花と蕾

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花と蕾

一般的に、きらびやかな世界だと思われている芸能界。 だが、実際はドロドロとしたものが蔓延っている何とも形容し難い異質な世界だ。 スカウトやオーディションを経て芸能事務所に入所したところで、花を咲かせるのはほんの一握り。殆どは蕾のまま陽の目を見る事も無く朽ち果てるのが関の山だ。 伊澤茉央(いざわまお)も今にも蕾のまま朽ち果てそうな大多数の中の1人だ。 事務所から指示されたオーディションを受けては落ちの繰り返しで、受かったとしても所謂エキストラに毛が生えたくらいの端役のみ。 給料は最低限の固定給+歩合制なので雀の涙ほどしか貰えず。だからといっていつオーディションが入るかわからない状況なのでアルバイトさえもままならず、節約をしたりして何とか食べていってるといった具合で。 最低限とはいえ、大した仕事もできていないのに固定給を貰えるだけ十分有り難いことではあるのだが。 親が毎月数万円ほど仕送りをしてくれてはいるが、負担をかけてしまっている現実に申し訳ない気持ちを抱えている。 10歳の頃、姉に唆されるがまま今の事務所のオーディションを受けてみたらまさかの合格。 その時は本当に驚いたし嬉しかった。 事務所に入るイコール"THE芸能人"だと信じて疑わなかった純真無垢で自信に満ち溢れていたあの頃の自分に言ってやりたい。 ――お前は数年後いまにも朽ち果てそうになってるぞ、と。 高校入学を期に、茉央は都内で一人暮らしを始めた。 実家は北関東なので電車一本で都内に出てはこれるものの1時間半ほどかかるので、急なオーディション等には対応できずにいた。 それを見兼ねたマネージャーの富樫(とがし)に『都内の芸能科のある高校を受験したほうがいいんじゃない?芸能界は高校から一人暮らし始める子も多いしさ』と言われて、両親に事情を説明してくれたかと思えば。芸能界での活躍を期待してくれている両親は二つ返事で頷き、あれよあれよと言う間に始まった一人暮らしも今年の春で2年目に突入してしまった。 「………起きなきゃ」 時刻は朝の7時半。そろそろ起きて学校へ行く準備をしないと間に合わない。 ここから学校へは徒歩で15分ほどで着くのでギリギリまで眠れるのは有り難いが、逆に気が抜けてしまいいつも遅刻ギリギリの到着になる事が多かった。 動く度にスプリングがギシギシと音を立てて軋むシングルベッドから何とか這い出てシャワーを浴び、歯磨きをしながら富樫から仕事やオーディションの連絡がきていないかメッセージアプリのLIMEをチェックするのが茉央の毎朝の日課だ。 今朝は特に何の連絡も入っていないので今のところ予定通り、前々から話を貰っていたオーディションが夕方から入っているくらい。 今日はレッスンも無い日だし、夜はゆっくりできる。 因みにレッスンは週に4日程。人によって受ける課程は違うが、茉央は歌とダンスと演技とウォーキングのレッスンを受けている。 正直、自分は芸能界でタレントとしてやっていきたいのか。それとも俳優か、歌手か、モデルか。茉央自身よく分からずにいた。 現時点では、俳優業をやりたいのかもしれないとぼんやりとは思っているが明白では無い。 こんな考えだから芽が出ないのかもしれないなとも思う。そのうち、何かしらで運を掴めればいいなとは思っているけれど、。 「――さて……そろそろ行かないと」 身支度を整え、大分馴染んできたマンションの一室を後にする。 このマンションは事務所が所有しているものなので家賃は格安。部屋は1Kで少々手狭ではあるが、風呂とトイレは別々だし築年数もそこまで古くは無いので外観も内装も比較的綺麗だ。 茉央の通う私立花笠高等学校芸能科(しりつはながさこうとうがっこうげいのうか)には同じ事務所に所属している人が何人かいるものの、茉央は男女共に特別親しくは無い。 顔を合わせれば挨拶や世間話程度はするが、それ以上でもそれ以下でもないので一人暮らしをしているのか、ここのマンションに住んでいるのか それとも実家暮らしなのか。何も知らない。 まあ、知らなくても茉央にとって何も問題はないのだが。 「おはよー茉央ー!」 無事に遅刻する事なく教室に着くと、同じクラスの友人である高橋幸人(たかはしゆきひと)(通称幸)が駆け寄ってきた。 幸人とは入学してすぐに意気投合し、2年生でも同じクラスになれたのでニ人で喜びあったのは記憶に新しい。 幸人は身長が小さくて小柄な上、童顔なのでとても可愛らしい容姿をしている。 幸人は、徐々に人気が出だしているアイドルグループに所属している。最近は少し忙しいようで、時折休む日や早退する日も増えてきたので正直寂しい。寂しいけれどそれと同時に、友人が売れていくのは喜ばしい事だとも茉央は思っていた。 芸能科には色々な生徒がいて、俳優やアイドルやモデルが主ではあるが歌舞伎役者やプロのマジシャン、ミュージシャン等もいて仕事の都合により長期で休む人も少なくはない。 芸能科は特殊なので、多忙で休みがちになってしまっても後に補習やレポートさえ受ければ問題無いのが利点だ。あまりにも休みが多すぎる場合は留年になる場合もあるらしいが、大抵は多目に見てもらえるのだと聞いたことがある。 ――まあ、蕾のままの茉央には今のところあまり関係の無い利点ではあるが。
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