花と蕾

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爆弾発言の後。悠理に『とりあえず連絡先交換しよう』と言われて、有無を言わせぬ圧力に茉央は嫌だとか否定的な言葉を吐く事も出来ず、おずおずとLIMEのIDを交換したのだった。 悠理は、連絡先を交換した事に一先ず満足した様子で仕事があるから帰ると言い残し、またあの甘い花のような香りを仄かに残して颯爽と早退していった。まるで嵐のような、台風のような人だなと呆けながら思った。 茉央はといえば、ただただ混乱しているばかりで。潔く状況を飲み込めたのは学校が終わり、夕方からのオーディションを終えた後だった。 今日のオーディションは秋から始まる連ドラの生徒役で、何組かのグループに別れて事前に渡されていた台本を読むという流れだった。 結果は後日事務所に連絡が入り、富樫から連絡が来ることになっている。 手応えがあったような気がしなくも無いが、全く無いような気もする。茉央のような日本人離れした容姿だと中々嵌まる役が無いのも事実だが、結局茉央は自分に自信がないのだ。 悠理のような圧倒的な華やかさもないし、実力があるわけでもない。 幸人や富樫は、いつも褒めてくれるし励ましてくれるがどうしても自信を持つことが出来ずにいた。 マンションに帰宅し風呂等を終わらせ、作り置きしておいたカレーを食べ終えベッドに寝転がりうとうとしていたところでスマホのバイブ音が鳴った。 微睡みの中にいた為ビクッと身体を震わせつつ画面に視線を寄せると、"S.Y"という文字が見えて慌てて飛び起きる。 S.Yは悠理のLIMEのアカウント名だ。 出るべきか否か……茉央は一瞬悩んだが、別に悠理の事が嫌いだとかそういうわけでは無いしと自問自答して応答のボタンを押した。 「……はい」 「あ、伊澤くん?砂野だけど。今、電話しても大丈夫?」 電話越しの悠理の声は、直に聞くよりも少しだけ低く聞こえた。 元々低すぎず高すぎずな聞き心地の良い声をしているが、電話越しだとそこに少し色気のようなものが含まれていて何とも言えないムズ痒い聞き心地に、茉央は少しだけ耳の先が熱くなるのを感じた。 「…大丈夫だけど、どうしたの?」 「今仕事終わったんだけど、撮影の進行の関係で今週の土曜日久しぶりに丸1日オフになってさ」 「うん?」 「だから、もし伊澤くんが土曜日空いてるならデートしません?」 「デート……」 「そう。デート」 デート……とは。つまり、2人で一緒に出掛けるという事だよなと茉央は一瞬逡巡した。今日の唐突な告白といい、悠理の行動力は凄まじいなと他人事のように感心してしまう。 土曜日は今のところオーディションも仕事も入っていないし、レッスンは火水木金なのでスケジュールは空いている。 「とりあえず俺も伊澤くんの事まだ深くは知らないし、伊澤くんも俺の事よく知らないでしょ?だからお互いの事をもっと知れたらいいなーって思うんだけど」 確かに悠理の事は、テレビの画面越しか雑誌の静止画でしか知らない。今日話す事には話したが、1時間足らずだ。 悠理も、一目惚れしてくれたとは言っていたが茉央の中身を知っているわけではない。 元々悠理のドラマや映画での演技は素晴らしいなと尊敬していたし、一先ず恋愛云々を抜きにしても親しくなれる分には嬉しいなとは思う。 でも実際、悠理の方はどうだろうか。 茉央の中身を知ったら好きだなんて気持ちは一瞬にして冷めきってしまうのではないだろうか。 卑屈だし、どちらかといえばネガティブだし大して面白い話も出来ない。 いつの間にか、悠理に嫌われたくない等と思ってしまっている自分がいて茉央は動揺した。 一体自分は何を考えているのか。 別に悠理の気持ちが冷めたら冷めたでそれは仕方の無い事だし、気に病む事でもない。だって、茉央は悠理の事をそういう意味で好きなわけではないのだからと言い訳のように自分に言い聞かせる。 「…わかった、いいよ。デートしよう」 「いいの?本当に?」 「うん本当に」 「ありがとう!」 悠理は嬉しそうに声を弾ませて『明日お昼ぐらいに学校に行けると思うから時間とか色々決めよう』と言って悠理との初通話は終わった。 …デートか。と茉央は独り言を呟いた。 悠理は茉央が初恋だと言っていたが、恋人は居たとも言っていた。 茉央自身、初恋こそ幼稚園の先生にしていたものの、今まで誰かと付き合った経験は無かった。 女子から告白された事は何回かあったが、好きでもないのに付き合うのも申し訳ないなと思い毎回丁重に断ってしまっていた。 そもそも茉央も幼稚園の先生に初恋を抱いてからというもの、小学校から高校にかけて誰かを好きになる機会は残念ながら一度も無かった。 理想が高いだとかそんなんじゃなくて、ただ単に然程恋愛に興味が無かっただけで。 恋愛云々よりも友人と遊んだり1人で好きな事に没頭したりしたほうが楽しいと茉央は思っていた。そして今だってそう思っている。 都内に上京してきてからは、レッスンも週4日あるし合間にオーディション等も入る為、決まった休みが無いのも恋愛から遠ざかる一端だったのかもしれない。 そんな茉央が悠理とデートをする事になるとは。 「……とりあえずもう寝よう」 今日は少し疲れた。 まだ眠るには早い時間ではあったが、茉央はパンクしそうな思考回路を休ませる為に早めの眠りについたのだった。
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