花と蕾

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駅から少し離れた路地を歩いている途中でお洒落な雰囲気のカフェを見つけて、外から硝子張りの店内を覗くと、ランチには早い時間帯のせいか比較的空いていたので入ることにした。 店内へ入ると、顎髭を生やした男性店員が席へと案内してくれた。とてもお洒落なカフェだが、ナチュラルな雰囲気が心地良い。沢山飾られている観葉植物は店主の趣味だろうか。 森宿にはたまに幸人と買い物に来るくらいなもので、いつもどこでも混雑している賑やかな場所というイメージしかなかったが、こんなお店もあるのだなと思った。 先程の男性店員が、洒落たグラスに入った檸檬水と共にメニュー表を渡してくれたので、悠理と2人で目を通す。 ランチのメニューはA 〜Eセットの5種類。カフェだからか飲み物の種類は幅広く書いてあり、どれにしようか逡巡する。 AセットのオムライスかBセットのハンバーグか……。茉央は基本的にお子様ランチのような食べ物が好きなので、ここのランチはどれも心惹かれる。 「俺はランチのAセットにする。伊澤くんは?」 「俺も砂野くんと同じAセットにする」  「飲み物は?」 「果実入りいちごミルクで」 「了解」 悠理が頷くと丁度タイミングよく店員が来てくれたので注文を済ませた。 悩んだ末にオムライスを選択したが、またもや悠理と被ってしまった事に茉央は内心何とも言えない気持ちになる。気恥ずかしいような、嬉しいような……。 悠理はカフェオレを頼んでいたので、流石に飲み物までは被っていなかったけれど、。 「今更だけど、"くん"付けじゃなくていいよ」 「あ、俺も」 「じゃあ茉央って呼んでいい?俺の事も名前で呼んでほしいな」 「えっと、じゃあ……悠理?」 悠理の名前を呼ぶのは何となく少し緊張を覚えたが、言われたとおりに名前を口にすると、何故か悠理は一瞬フリーズした後で俯いたまま顔を掌で覆い隠し肩を震わせていた。 「……悠理、どうかした?」 「いや、ごめん。…好きな子に自分の下の名前呼ばれるのがこんなに幸せな事だと思ってなかったから嬉しすぎて悶えた」 そう言って心なしか照れ臭そうにはにかむ悠理を見て、茉央まで照れ臭くなってくる。 まさか名前を呼んだだけなのに、こんなに喜んでもらえるなんて。 茉央は、悠理の事がなんだかとても可愛く思えてしまって一気に肩の力が抜けた。 「そういえばこの間の月曜日の夕方、青山スタジオにいた?今の撮影、青山スタジオで撮ってるんだけど一瞬チラッと茉央の事見かけた気がしてさ」 この間の月曜日は、確かに青山スタジオに行った。例の連ドラのオーディションがあったからだ。 あの日、屋上で衝撃的な事件があった後、悠理は仕事があるからと早退していったが、青山スタジオにいたのか。 「それ多分俺だと思う。秋からの連ドラのオーディションがあったんだ」 「あーなるほど。そういうことか。なんだ、声掛ければ良かった」 「…ちょっと緊張してたから、まともに話せなかったかも」 はにかみながらそう言ったら悠理は『それもそうか』と言って笑った。 「俺も秋からの連ドラの話貰ってたんだけど、先に違う映画の撮影予定が入っちゃってたから断ったんだよなあ」 「映画かあ。いいな。…俺もまた端役でもいいから出てみたい」 「まだオフレコだけどボーイズラブ作品でさ、三角関係的な話なんだけど、俺以外主要のキャストがまだ確定してないみたいで、キャスティング迷ってるって聞いたからもしかしたら茉央が抜擢されるかもよ?」 「そんな馬鹿な。…オーディションの話くらいはもしかしたらくるかもしれないけど、抜擢されるなんてありえないよ」 ありえるわけがない。今まで一度だってそんな話はこなかったし、殆どオーディションの話ばかりだ。 きたとしても端役くらいなもので、悠理の言ったような主要な役にキャスティングされることなんて皆無だと茉央は苦笑いをこぼした。 「なんで?ありえなくなんてないと思うけど」 「ありえないんだって。俺、10歳でこの世界に足を突っ込んだのに未だに無名のひよっこだし。……このまま蕾のままで終わるんじゃないかって最近よく考えるよ」 言葉と共に自然と苦笑いがこぼれた。 自分で言ってて悲しくなってくる。 あまりネガティブな発言はしたくないけれど、事実だから仕方が無い。 自分はきっと蕾を咲かせることもできず花になれぬまま朽ちていくのだと、茉央は思う。 「茉央。この業界一筋縄じゃいかないけどさ、容姿や実力も大切だけど一番大切なのは運とかタイミングだと思うんだ。だから、これから絶対茉央にもつきが巡ってくる。絶対大丈夫」 「悠理……」 「それにこの前も言ったけど、茉央以上に綺麗な人見たことないし!茉央の魅力に気付いていないやつらは本当に阿呆だと思う」 そう言ってブスっとした顔をする悠理を見て思わず吹き出してしまった。 自分は本当に周りに恵まれている。 悠理も幸人も富樫や家族も皆優しい。 ネガティブな俺をいつだって励ましてくれる。 「ありがとう悠理」 「ん。いつか一緒に共演したいな」 「うん。俺、めげずに頑張るよ」 そうだ。いつか悠理と共演できるくらいに力をつけて頑張りたい。 蕾のまま枯れていくだなんて、応援してくれている家族にも申し訳ないじゃないか。 芽が出ない人なんで五万といるが、まだ諦めるには早い。先程までネガティブだったのにも関わらず、茉央はすっかり晴れ晴れとした気分になっていた。 悠理のおかげで久しぶりにポジティブになれた気がして自然と気持ちが浮上した。 今日は、とても良い日だ。
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