引きずり込まれた話

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引きずり込まれた話

「ねぇねぇ、あれってさぁ、覚えてる?」 ん? 歯磨きの手が止まる。 鏡にうつる自分が何やらおかしい。 いま、僕は"右手を上げて歯を磨いている"はずなのに、鏡にうつる僕は両手を下ろしてる。 歯を磨かないのか、困ったな。 そのままシャコシャコ磨き続けたら 「ねぇ!ってば!」 と何となく声が聞こえた気がした。 でも僕はひとり暮らしなのでオールOK。 何も問題はない。 この場合の声は、だいたいが隣近所の声だから。 シャコシャコ… いや、いいかげん磨けよ。鏡の僕も。 なにさぼってんだよ。虫歯になるぞ。 歯医者さん怖くないのかお前は。 あの神経に直接くる痛みに耐えられるのかお前は。 いいから大人しく言うこと聞いて磨きなさい。 め!って顔をして鏡をにらんだ。 鏡にうつる僕は 「いや、別にあんたが磨いてるから大丈夫だし」 って強気な姿勢でやる気満々だった。 はぁ?何言っちゃってんの? いつお前と僕が同じだって言ったよ。 誰が証明できるんだよ。 「見て~、自分を見て不思議がってる~」 って赤ちゃん時代の僕をあやす母親じゃあるまいし。 あの言葉を信じてるとでも思ってんの? 僕はお前がどう動いたって構わない。 鏡にうつるのが=自分じゃなくても別にいい。 だって、そう言われて育っただけで、本当に自分がうつってるかどうかなんて、確かめたことないんだから、信じられるわけないだろ。 くちをゆすいで、タオルで拭いてたら 「とか何とか言っちゃって~、じゃあ確かめて見ればいいじゃん」 って声が聞こえて、立ちくらみがした。 ああ?んん? これは?まずいぞ… 何だって立ちくらみがするわけ… 最近節約してたからかな… 洗面所にタオルがパサっと落ちた。 僕の姿は洗面所からも、鏡からも、消えた。
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