仲直り、そして……

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仲直り、そして……

「北斗、熱い」    少しして気付いたのは、北斗の身体の熱さだった。  そういえば熱中症で病院に行ってたんだ。  無理矢理病院に行かされたみたいな事言うから、半分仮病かと思ってた。 「お前がしがみ付くからだろ」  回された腕を外しもせず、溜息を零す。  その声は普段と同じ、さっきの言い合いの気まずさなんか少しも感じさせないもので、つられるようにいつも通り言い返した。 「じゃなくて、熱が出たのほんとだったんだ。熱中症だって?」  身体を離し、顔色を見ようと正面に回れば、 「大したことない」  するりとかわされ、ムッとするより心配になる。  こんな時は、間違いなく無理してる。 「ダメだよ、早く上がって寝てろよ。夕食は? 食べれたのか?」  いきなりの質問攻めに「軽くな」とだけ答え、「お前は?」と返された。 「え、…っと」  言ってもいいものだろうか。  あんなに北斗を心配させてたなんて知らなかったから、おばさん達と呑気に食事してたと知ったらまた気まずくなりそうだ。  だけど八時がこようとしている今、健康な男子高生が夕食もまだというのは考え難い。  それに誤魔化す為の上手い言い訳なんか、この俺が瞬時に思いつくはずもない。  諦めて、渋々本当の事を白状した。 「あの、…食べてきた。おばさんにご馳走してもらったんだ」 「え、ああそうか、お袋の病院だったのか」  意外そうに呟いて、何故か言いようもなく複雑な顔をする。  その様子で、北斗達は違う病院に行っていたと容易に察しがついた。  それはともかく、また気まずくなる前に「でも」と急いで付け足した。 「おばさんまで巻き込んで心配掛けたのは悪かったけど、すごく楽しかったよ? 途中で仁科さんも来てくれたし、それに――」  ムキになって弁解しかけた俺を、北斗がやんわり制した。 「いや、いいんだ。総合病院は信頼できるし、その事はよかった」 「うん、すごく丁寧に見てくれた」  おばさんが涙ながら、横で先生に睨みを利かせていた事は黙ってよう。 「それより休めって、試合の疲れもまだ取れてないだろ?」  怪我について深く追究されないよう休養を勧めてみたけれど、北斗のスタミナ、というか回復力は相当のものらしい。 「もう寝飽きた。瑞希からの連絡待ってるうちに、うとうとしてたらしい」  それを聞いて頭が垂れた。 「なんだ、二階にいたのか」  恨みがましい口調になるのは仕方ない。  俺の男心なんかこれっぽっちも頓着せず軽く頷いた北斗が、 「六時に解散したんだ」  と、慰労会の後に行われた会食について簡単に話した。「会長の権限で五時過ぎにお開き」  手振りで示され、「えっ?」と驚いた。 「五時で? 随分早いな」 「まあな。で、その後部でちょっと話して、六時には学校出た」 「そうだったんだ」  頷くと、さっきまでとは明らかに違う、険の取れた眼差しで俺を見た北斗が、短く息を吐いた。 「お前と連絡取れないし、仕方ないから久しぶりにランディーを散歩させてたら――」  言葉が途切れ、「ん?」と見返せば、「何でもない」と小さく首を振る。  小首を傾げる俺をあっさり無視して、続きを口にした。 「その後、ちょっと横になるつもりで、いつの間にか寝てた」 「あれ、もしかしてランディーの飲み水入れたの、北斗?」 「ああ。気付いたのか」 「うん。けど隣のおばさんだと思ってた」 「疲れていたのはみんな一緒だ。だから会食だけで早々に解放してくれた」 「さすが小野寺会長、ホント手際いいよな、あの人」  今日の司会進行を思い返し、羨望の溜息が洩れる。 「そうだな。今年は生徒会も大忙しだ。(さとし)も大変な人に目を付けられたもんだ」  藤木の持病の事はよく知っているんだろう。生徒会の激務に耐えられるのか、友人の身を気遣う北斗に「大丈夫だよ」と言ってやった。 「藤木要領いいし、案外楽しんでるみたいだ。喘息の発作も最近起きなくなったって」  意気込んで口にして、目の前の半病人を思い出す。 「そんな事より今はお前。西日が入らないだけましだけど、あの部屋でよく寝れたよな。暑かっただろ?」  だって、物音なんか全然しなかった。  ランディーの小屋の上が北斗の部屋だ。冷房入れてたら室外機の音くらい俺でも気付く。 「蒸せかえってた。けどクーラー入れる前にベッドに座ったのがまずかった。そのまま力尽きたらしい」 「バカだなぁ、熱中症なのに無茶すんなよ。脱水症状起こすよ」  言いながら、昨日の養護の先生の話を思い出していた。  あの時の、心身ともに辛そうな様子も。 「疲れてたんだ」  素っ気無く返すけど、それも当然だと思う。  それなのに愛犬(ランディー)の事はほかさないんだ。 「ランディーの散歩はできても?」 「あいつは別格。俺の大事な相棒だから」 「それはそうだろうけど……」  言い淀み、相変わらずランディー第一主義の北斗に、溜息が零れる。  自分の身体よりも愛犬の方が大事だなんて、らしいと言うか何と言うか。 「そのランディーの鳴き声に起こされたんだ、文句言うなよ」  そう言われ、ようやく合点がいった。 「あー、だから電気点いてなかったのか」 「みたいだな。目が覚めたら真っ暗で、何時だろうって思いながら……ちょっとボーッとしてた」 『そのまま上にいればよかったのに』  心の中で毒づいて、会いたくて堪らなかった奴に向けての台詞がこれか、と密かに落ち込む。 「そしたら下で人の気配がして、下りてみたら」 「風呂から水音?」 「そ」 「納得。で、あの対面に戻るのか」  それに鷹揚に頷いた北斗が、「それにしても」と余計な一声を付け加えた。 「凄い顔、してたな」  ククッと笑いを噛み殺され、頬が染まる。  ……クッソー、またしても。  何であのタイミングで下りてきたんだ、こいつは。  上でボケーッとしてたら……いや、それはそれで恐かったかもしれないけど、いつもいつもやられっ放しで腹が立つ。  どうにかして一泡吹かせてやりたい! 「うるさい! お前はさっさと二階に上がって寝てろ!」  結局、何の報復も思い浮かばず、腹立ち紛れに喚くだけのいつものパターン。  で、収まるはずだったのに、 「いや、汗かいたし、俺も寝るより風呂入ってさっぱりしたい気分だ」  浴室を振り返る北斗の一言で、ものすごい名案が閃いた。 「あ、なら一緒に入る?」 「は?」  提案した俺を、北斗が呆れた眼差しで見返した。 「なに、その目。また子供っぽいとか言いたいんだろ」 「よくわかってるじゃないか」  少しも取り合わない北斗を意地でも風呂に付き合わせたい。そんな衝動に駆られる。 「違うって! ほら、俺、怪我してるだろ?」  言いながら襟元からのぞく包帯を指で示すと、言わんとする事を瞬時に理解したらしく、北斗がさっきとは違う表情を見せた。  動揺? みたいな。  ちょっと違うか。  けど、怒ってる様子ではなくて……。  ひょっとして、困ってる!?  うわ、北斗の困った顔なんて初めて見たんじゃないだろうか。  いいや、前にもあったような。  いつだったか、以前にも一回見てる気がする。  あれは……いつだったか、どこでだったのか――  あー、思い出せない。  容量の少ない記憶力が情けない!  その事にいらつきながらも、ちょっと仕返しできたみたいで悪い気はしない。  それどころか、珍しいものを見たせいで気分も一気に浮上する。  押しの一手で畳み掛けるようにお願いしてみた。 「背中とか洗ってくれたら包帯濡れなくて済むし、傷にも障らないだろ。だから助かるなって」  言った途端、よろけるように入り口の柱にもたれ掛かった北斗が額に手を当てた。 「やっぱりか」 「うん。夕べもホテルではまだ痛くて、ゆっくり入れなかったんだ」 「お前、怪我した晩も風呂入ったのか?」  驚きも露わに訊かれ、「当然」と頷いた。 「道着はまだいいけど、剣道の防具ってすっごく臭いんだよ」 「まぁ、だろうな」  答えた北斗の口元に苦笑が浮かぶ。  少しずつ表情を和らげていく様子に、内心ほっとして続けた。 「それにしてもホテルのユニットバスって狭いよな。俺、初めてだったからびっくりしたよ。あれに比べたらここなら二人で入っても十分広いし」 「あのな、この際風呂の広さは関係ないんだよ」  ハァ~と盛大な溜息を吐いた北斗が、「けど、確かに背中は洗い辛いか」  一人ごち、諦めたような目で俺を見た。  その瞳の色に、さっきの困惑は少しも感じられない。  こいつって、怒った時は別にしてほんとに一瞬しか素顔見せないんだよな。  こんなに表情の読みにくい人間って、俺の周りでもそういないような気がする。  だから逆に『単細胞』って言われるのか。 「ま、いいや。そうと決まれば着替え取ってくる。北斗のも持ってくるから、お湯頼む。そろそろ一杯になってるはずだから」  浴室を指差し、それだけ告げて二階への階段に急いで向かう。「嫌だ」と言わせない為に。 「ああッ!? 俺に拒否権はないのか!」  背後で喚くその心中を想い、クスッと笑みを漏らした。  彼の中でどんな心の動きがあったのか、俺にはわからない。  だけど、「祝えない」と言った言葉だけは恐らく変わらない。  それならそれでいい。  その代りだ。これくらい甘えたって罰は当たらないだろう。  階段を駆け上がる俺の後ろには、誰にも見えない黒く尖った尻尾が生えていた。
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