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深呼吸を何度か繰り返し笑顔を貼り付けて、待ち合わせ場所である大輔との逢瀬に使っていた化学準備室の扉を開けた。
中は真っ暗で何も見えない。
突然パンっという乾いた音がして火薬の匂いがした。真っ暗な中よく見るとクラッカーを持った笑顔の大輔と蝋燭の火がゆらゆらと揺れているのが見えた。
「……え?」
「硯くん、お誕生日おめでとうー!」
いつもの大輔の元気で朗らかな声だった。
今日は卒業式。そして僕の誕生日でもあった。
誕生日が恋人との別れの日になってから僕は自分の誕生日を祝う気にはなれなかった。
大輔は何で知って……?
「あー、だってセンセーのメアドxxx0301@xxx.comじゃない。普通気づくって。一昨年は知り合う前に終わっちゃってたし、センセー自分の誕生日嫌いみたいだったから……去年は祝いたかったけど我慢した。今年は最後だから絶対祝おうって思ったんだ。――ダメ、だった?」
大輔の問いにすぐに答える事ができなかった。大輔の口から出た『最後』という言葉。
僕は大輔なら……もしかして、と思っていた。別れてあげるなんて事を思いながら大輔なら別れたくないって言ってくれるんじゃないかって、もしかしたら卒業してもずっと好きでいてくれるのではないかと、本当は期待していたんだ。
――――でも、ダメだったんだな。
笑ってお別れすると決めていたのに涙がじわりと浮かんだ。
崩れ落ちてしまいそうになるのをなんとか堪え、大輔を抱きしめキスをした。
驚き見開かれるキミの瞳。
これで最後なら……最後だから…ねぇお願い。
「――抱いて……?」
だけど大輔は抱きつく僕の身体を引きはがした。
悲しみに全身が支配され、この世の終わりのような気持ちになる。
別れるのだから抱けない? ――思い出もくれないの……?
それがキミの優しさなのかもしれないけれど…その優しさは今は残酷なだけだ……。
「センセ? ――あの日、オレがセンセーに告白した日、オレに訊いたよね? 『じゃあキミは何をしてくれるの?』って、オレは『沢山の愛をあげる』って答えたはずだよ」
「――そんなの……忘れたよ。だってキミはもう卒業してしまったじゃないか。最後だって言ったし、彼と同じで僕の事なんてもう――――」
嘘。本当は覚えてる。あの時の僕の心の震え、キミは分からないだろうね。
俯く僕の口を親指と人差し指の二本の指で横から摘ままれ唇がアヒルみたいになる。大輔の顔を見ると、眉間に皺を寄せ、珍しくムッとした顔をしていた。
「むぅー。他のヤツの話なんてしないでよ。他のヤツなんて関係ない。オレ、センセーより年下だし、頼りないかもしれないけど、でもセンセーの事誰より愛してるよ? センセーを幸せにしたいっていつも思ってる。それなのに学校卒業したからってセンセーの事手放せるわけないじゃないか。センセーを手放してしまったらもうオレは恋はできないよ。オレの心はセンセーと共にあるから、センセーがいないとオレの心は死んじゃうんだ。最後って言うのはオレたちがここで会えるのは最後って意味だよ。もう二度と会わないとか関係を解消するって意味じゃない」
「――でも……」
信じられない。そんな夢みたいな話。
「センセーは覚えていなかったみたいだけど、前にねセンセーが酔っぱらってオレに電話してきた事があったんだ。『僕の心は1LDK。僕が愛すのはキミが高校生でいる間だけ』って。最初は悲しかった。だってオレ、高校生じゃなくなったら捨てられるんだって思ったから。だけどセンセーを傍で見ていて、違うんじゃないかって思ったんだ。センセーは僕を捨てるんじゃなくて僕から捨てられるって思ってるんじゃないかって。センセーがね1LDKにこだわるなら、1LDKのDKを大輔小柳にすればいいじゃん。これからずーっとオレひとり。オレひとりだけをあなたのここに住まわせて?」
と、大輔は僕の心をツンっと人差し指でつついた。
卒業という名の失恋。
もうしなくていいんだ――。
必死に抑えてきた想いが溢れ、今までを想い泣いて、これからを想い泣いた。
悲しみが喜びに変わっていく。
「好き」「愛してる」「僕を愛して」
何度も口から出そうになりその度に口を噤んだ。
でもいいんだ。もういいんだ。
「好き……。大輔……僕と死ぬまで一緒にいて……」
「もちのろんだよ。センセー……あ、もう卒業したし硯くんでいいよね? さっきはどさくさ紛れに呼んじゃったけど。――硯くんこそ死ぬまで一緒にいてね?」
そう言って照れたように笑うキミ。なんて愛おしい。
僕は涙を零しながら震える声でなんとか「勿論……」と答えた。
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