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哀しきイチゴちゃん
「うわー、俺がプレゼントしたプーさん、飾ってくれてるんだ。チョー嬉しー」
軽薄な声がして、ドタドタと大きな足音が続く。浮気相手の面なんか見たかねぇ。俺は、ヤツらの死角になるように、部屋の隅の隅に身を潜めた。
「大樹君がくれたんだもん、宝物だよぉ。あ、今、お茶入れるね……」
梨乃のヤツ、しおらしく甘えた声なんか出しやがって。
「うん。あのさ、出掛けられないなら、ピザでも取って、まったりしないか?」
「え、いいのぉ?」
聞きたくもないのに、確り会話が届く。悲しいかなワンルーム。
「俺は、梨乃と過ごせるなら、どこでもいいんだって」
チッ。俺の彼女を呼び捨てにしてんじゃねぇぞ、コラ。
「やだ、嬉しぃ……大樹君、大好き」
「ん……梨乃、こっち来いよ」
「大樹君……」
「ぅああああっ!! 止めろぉ! 離れろおおおぉ!!」
ガタン、バサバサッ、ガタン、ガタガタダンッ!
「わ、うわっ?!」
堪らなくなって、天井近くまで飛び上がった。力任せに羽ばたいたら、ぶつかった拍子に止まり木が落ちて、派手な音を立てた。
テーブルの前で、固まった男女がこちらを見ている。男は、梨乃の腕を掴んでいて、2人の距離はやけに近い。
「離れろって言ってんだろ、このスケベ野郎が!」
俺は、両足で金網をガッチリ掴み、なおも羽根をバタつかせて抗議する。綿毛が少し抜け、カゴの床に落ちていた抜け羽根やら粟玉の殻が風圧でブワッと舞い上がる。
「ピースケ、うるさいっ! なに汚してんのよっ」
瞬間、梨乃はキレた。口調が素に戻っている。
「梨乃……ペット飼ってたんだ……」
間抜け面を晒した間男は、顔は俺に向いているものの……瞳は、真横の彼女を捕らえている。
「そうなの。この子、甘えんぼで、ヤキモチ焼きなのよね」
なおも激しく羽ばたく俺を見て、彼女は溜め息を吐いた。
「ごめんね、大樹君。寝かせちゃうから、座ってて」
睡眠時用のグレーの布を手に、真顔の梨乃が近付いてくる。
「最初から、こうしておけば良かった」
マズい。暗くされると、眠くなるのは習性だ。強烈な眠気に襲われ、逆らえなくなる。
「やっ、止めろっ! 俺はまだ、眠くなんか――」
「グギャッ!」
激しく抗議していたら、とんでもなくブッ細工な叫び声が響いた。
「だ、大樹君っ?!」
振り向く梨乃の肩の向こうで、ソファーから転がり落ちた男が床に崩れ、蹲る。彼女が慌てて駆け寄った。
「えっ、えっ、なに?」
「痛っ、てえええぇ!!」
ヤツは無様に股間を押さえて、脂汗を流している。
「なんか、固いモンが……刺さった……」
苦しげにヤツが呻く。その横で立ち止まると、彼女は――彼女の手は、ソファーに伸びた。
「あーっ! 探してた家の鍵っ……!」
ここんちのソファーの座面は3枚に分かれていて、骨組みに沿ってきっちり嵌まる作りになっている。滅多に見つけられない場所だから、貝の皿から運んで、座面の隙間に押し込んでおいたんだ。
そこに、アイツは――偶然にも、座面の繋ぎ目の上に座っちまったらしい。勢いよく座った拍子に座面が押されて、飛び出した異物の先端が直撃した訳だ。ククッ、計算してやったことじゃねぇけど、小気味いいじゃねぇか! こいつァ、怒りの鉄槌だ、思い知れっ!
「あーん、スワロフスキーのイチゴちゃんがバラバラだぁ……」
梨乃は、情けない涙声を上げた。ガックリと床に座り込み、ソファーの座面と付近の床に散らばる赤い残骸を一粒一粒拾い始めた。
「そっちの心配かよ……信じらんねぇ……」
まだ青い顔をしたままゆっくり立ちあがると、男はフラフラと玄関に向かった。
「あっ。えっ、大樹君?」
「帰る……食う気、失せた……」
パタパタと梨乃が追いかけた。高ぶった2人の声が聞こえ、やがて乱暴に閉められたドアの音が響くと、彼女1人だけが戻ってきた。
「おい……梨乃……」
涙に濡れた顔で近付いてくる。彼女は、俺から瞳を逸らしたまま、鳥カゴにグレーの布をバサリと掛けた。
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