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「覚えてないのかよ」
「ちょ、だって俺全然小さかったし、覚えてないのかとか言われても無理があるって言うか、」
「でも俺は、絶対に何とかしてやるって、俺を頼れって、殆ど毎日の様にお前に言ってたし、それに頷いてたのは忠臣だろうが」
「……………ぁぁ」
確かに。
それこそ新種の挨拶かな、と言うくらい毎日、ほぼそう言われ続けていたのを覚えている。
刷り込みにも似たあの習慣。
それに頷いたり、元気よく肯定の返事をしていたのもおまけに。
「でも、何とかって言うけど…再婚も兼ねての引っ越しなんて利桜くんだってどうしようもなかっただろ…」
「それでも一言あっても良かっただろう。その後だって連絡してくれたっていいのに」
「そう、だけ、ど…」
本当は言おうとしたんだ。
手紙も書いて、利桜の為だけにお別れを言おうとしていたんだ。
でも、今更なんて言うつもりなのか。
あの時学校から帰宅した利桜が女の子と仲良く歩いていたのを見て、心が折れたなんて言えやしないのが本音。
初恋だと気付いた瞬間に、木っ端微塵となった気持ちを繋ぎ合わせる事なんてドМの所業等、あんな幼かった忠臣に出来る芸当では無い。
視線を彷徨わせた挙句、そろりと眼を伏せた忠臣をどう思っているのか、やたらと大きく聞こえる利桜の溜め息は益々委縮させる。
「ご、めん…」
結局出来るのは謝罪のみ。
罪悪感と理不尽さが入り混じったそれはまるで拗ねている様に見えているかもしれないが、それでも申し訳ないと言う気持ちだけは伝えたい。
「何を謝ってんの?」
こんなクソ意地の悪い事を言われても、だ。
「…黙って引っ越して、優しくしてくれたのに、それを無碍にして…」
「それより俺はお前が俺の事、そこら辺の友達よりも下に見られてた事のが悲しかったって言うのもあるんだけどな。送別会はしてもらったんだろ?」
「ま、ぁ、…」
怒っている、と言われるよりも、悲しかった、なんて言われる方がダイレクトに心臓を射抜く感。
勢い良く吐血してしまいそうに痛む胃を押さえ、忠臣は唇を真一文字に結び、もう一度頭を下げて、『ごめん…』と呟いた。
「でも、その、本当に俺利桜くんをないがしろにした訳じゃなくて、その急過ぎて言い出せなくて、当日を迎えたみたいな感じで…」
嘘と苦しい言い訳。
「あっち行ってからも…新しい環境に慣れたくて、連絡もせずに、それも悪かったと思ってる…」
「……こっちに戻ってからも連絡しなかったのは?」
これまた朋美から恋人がおり、同棲までしていると聞いたからですっ。
とも、言える筈も無く。
「……も、もう俺の事とか、忘れてるかなー…なんて思いまし、」
―――ひゅ、
っと息を飲み込み、言葉まで一緒に腹に流し込んだのは正解だ。
南極の気候をそのまま纏ったかの様な冷気を纏う利桜がにっこりと微笑む。
豆腐でも持たせたならばすぐに凍り、釘でも打てるかもしれない。勿論そんな事実行出来る度胸も勇気も覚悟も無い忠臣はただ、ごくりと喉を上下させ、
(…詰んだ)
と己の運命を呪うも、
「俺は忘れてなんかなかったよ」
雰囲気とは違う、切なげだが優しい声音。
それにゆっくりと促される様に顔を上げれば、ふふっと苦笑いする利桜と眼が合い、首を傾げられた。
可愛い仕草が胸を高鳴らせる。
「俺、本当に忠臣の事弟みたいに可愛がってたから、マジでショックだったんだわ。母親から『寂しくなったわねー忠臣くんが居ないとか信じられないわー』なんて言われてフリーズしたよ」
唇を尖らせるその表情も愛らしい。
顔面偏差値が馬鹿みたいに突き抜けた男はあざといを通り越して、尊い存在になるのだ。
だから、なのか。
『ごめん』
と、言い掛けた言葉にストップを掛け、忠臣はもごもごと口元を動かす。
「り、おーくん…」
「何?」
「俺、会いたかったし、会えて嬉しかった、よ」
謝罪だけでは伝わらない気持ち。
謝罪だけでは、相手の気持ちをこちらで否定してしまうのかもしれない。
(だったら、言わないと、だわ…)
「年取ったら取っただけ、色々考える事も増えて、変に気も遣うようになって…でも、まじで会えて嬉しかったし、一緒に住めて有難いと思うよ」
言葉に出して言うのは、何となくむず痒い気持ちがはち切れそうになるが、不格好なりにようやっとそう告げれば、利桜の眼がくりんと大きく動くのが見えた。
「本当に?」
「うん、本当は引っ越しだってしたくなかったし…」
そう、もっと高校生くらいだったなら、きっと一人暮らしをすると柱にしがみつくなり、道路に転がるなり、周りの誰もがドン引くくらい全力で駄々をこねていたかもしれない。
後にこの町には住めなくなるであろう光景だが、本当にそれくらい思っていたのだから。
「そっか。嫌われてたんじゃなくて、ほっとした」
「まさかっ」
むしろ結構気持ち悪い思いを長年持ってて拗らせてますけど。
「でも俺結構色々と無理強いさせたな、って思ってて。良かれって思ってたの俺だけで、お前にとって余計な事だったら、って最近考えてたからさ」
「まさか…」
首を振りながら、そう答えると、目の前の空気の透明度が上がり、クリアになる感覚。
「良かった」
ふわりと笑う利桜の笑顔に幼い時に感じたままの泣きたくなるような安心感。
目元に熱が灯る。
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