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力を抜いてしまったら、ぽろりと落ちそうな涙を堪えて、忠臣はぐっと拳に力を入れた。
誤解が溶けて、十年間のわだかまりも少し溶けた気がする。
互いに埋められる事のない時間だがそれでも、こうして話が出来て良かったと心から思う。
矢張り利桜は自分の事を覚えて、考えていてくれたのだと。
思う、のだけれど。
『俺、本当に忠臣の事弟みたいに可愛がってたから』
(……ですよねー…)
決して聞き逃さない、と言うよりは嫌でも耳をこじ開けて無理矢理入って来た、この言葉。
まぁ、分かっていた。
それは勿論の事だ。
そこら辺の知り合いに毛が生えた程度の関係性では無いと言って貰えて有難いくらいに思わなければ。
それに、もっと遡れば、気になる言葉が一つ。
「あ、あのさ、利桜くん…」
「ん?」
「さっきの、お、男をお持ち帰りって、何?」
『偶然会ったかと思えば、男をお持ち帰り中で逃げ出すわ、仕方無いからこっちが折れてまた連絡したんだよ』
聞き間違えでは無い、利桜の台詞。
全く身に覚えのないこのシチュエーションはどっからスキップしてやって来たのだろうか。
気になって仕方ない。
「あぁ、だってお前、俺と再会した時に抱えてた男いただろ。そいつが『家行きたい』みたいな事言ってなかった?」
「あ――――………」
思い出されるはあの職質顔、クラスメイトの下野だ。
そう言えば、そんな事を言っていた。
あの日べろんべろんに酔っ払い、家に帰りたくないと言った下野を仕方が無いと家に泊めようと思っていた時、あの男はそんな事を叫んでいたと思い出した忠臣の顔がさぁーっと蒼褪めていく。
(居眠りしている間にでも額に肉って書いて、まじで職質顔完成させてやろうか)
そんな地味で陰湿な嫌がらせを思いつくも、そんな事を考えている場合じゃない。
下野との誤解なんて金をやると言われたとしても、遠慮したい。
「ちが、違うからっ!あれはクラスメイトで家に帰れないとか言った上に、酔っ払ったから、で、」
「そう」
忠臣の弁明を前に、くすくすと笑う利桜はすっと立ち上がりながら肩を竦めた。
「まぁ、俺は人のセクシャリティをどうこうは言わないから」
「…へ?」
「今時そう言うの流行らないだろ」
「ま、まぁ…」
冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、喉を潤す利桜を見詰める忠臣の表情は何とも言えない。
(他人のセクシャルに興味無いってことは…)
一生忠臣には脈は無いと言う事だ。
くどい様だが決して、あわよくばなんて思った事も無い。
勿論忠臣自身もゲイでは無い。
ただ、利桜限定の恋と言うだけ。
その利桜が、他人ならばそう言う恋愛があってもいい、批判はしないと発言したならば、つまりはそう言う事。
(まぁ、別に良いけどさ…)
洩れる溜め息は落胆からでは無い。
矢張りこの恋は、あの時既に終わっていた、と言う事実に自分自身納得出来たからだ。
そう言った意味での特別枠には入れない。
幼い時の様に、0センチの距離で利桜の隣に立つ事は出来ないが、それでも違う意味で特別に思って貰っている事は分かったのだから、それでいい。
(だよな…)
十年間、気に掛けて貰っていた。
ずっと彼の中に住まわせて貰えていた。
当時の感情をそのままにぶつけて貰える事だって出来た。
それで十分だ。
その事実が分かっただけ、すっきりとした爽快な気分にすらなれる忠臣は、少しだけ苦笑いを浮かべる。
「忠臣」
「な、何?」
「今度飯食いに行こう」
「あー…」
「俺の奢りだよ」
眼を細めて、嬉しそうに自分を見詰める利桜を見るだけで、忠臣も嬉しいと感じるのだから。
「有難う、楽しみにしてるよ」
だから、忠臣もふっと歯を見せて笑えるのだろう。
幼い時の様に、もう二人で手を繋いで歩む事も無く、利桜から守って貰える事も無く、二人を囲っていた白線も消えゆく。
代わりに一本の線となり、違いの進行方向へと真っ直ぐ伸びる、それ。
(悲しくは、無いか…)
ーーこの人が幸せであれば、いいな。
なんて、心から思える事が幸せなのかもしれない。
*****
その数日後、仕事から戻った利桜が夕食もそこそこに出して来た提案はこれだ。
「ルールを決めよう」
「ルール?」
「人を連れてくるのは基本NGみたいな。のっぴきならない理由がある時は仕方無いけどさ」
「例えば何らかの事情があって、俺の部屋だけ、って言うのは?」
「そうだな…それも理由によるって事でいい?」
夕食の準備をしていた手を止め、忠臣は利桜の提案に頷く。
一緒に暮らしていく上でそう言ったプライベートな事は一番大事な事だろう。
(同居してるからこそ、そこら辺はきちんと弁え無いとな)
しかし、この提案。
もしかして、利桜は本当に忠臣がゲイだと思って男を連れ込むかも、と懸念しているのでは?と、若干の不安が過ぎるものの、こちらとしても彼が女を連れ込んで鉢合わせ、は避けたいかもしれない。
(まぁ、だよな…)
それに、出来るだけ長く利桜の側に入れたら。
そこまでは、少しくらい欲張ってもいいよな、と忠臣は再び食事の準備に取り掛かった。
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