ページを捲る早さを知る人

1/13
前へ
/108ページ
次へ

ページを捲る早さを知る人

あの頃の利桜の家にはたくさんの本があったのを覚えている。 今実際に行ってみれば、然程驚きは無いのかもしれないが、まだ五歳だった忠臣には天井を見上げる程に敷き詰められた本は、かなりの圧巻で眼をキラキラと輝かせたものだ。 その中には小難しい雑学書から、大人になっても読まないであろう専門学的な本も混ざっていたのだが、丁度忠臣の眼に届く範囲には児童書や絵本等も数多く揃えられており、預けられた二週間はその本を手に取るのも楽しみの一つでもあった。 一人で読んで登場人物になりきるのも面白い、ドキドキと胸を高鳴らせ興奮もした。 だが、それ以上に楽しいと思えたのは、 『忠臣、おいで』 利桜が本を読んでくれる時だ。 何故か背後から利桜に抱っこされるスタイルだったが、それでも面白い絵本と背後から聞こえる声、体温。 そして、ページを捲る指の綺麗な骨格に全てが至福に包まれていたのだと思う。 (ぜんぶ好きだな…) ぱらりと紙の擦れる音すらも、心地良い。 そんな幸せな時間は思い出だから、尊く縋りたくなるほど懐かしいののだろう。 朝、それを見つけたのは偶然だ。 「……弁当」 しかも二つ。 寝起きの頭でそれをじっと見詰めていると、エプロンを壁に掛けながら慌ただしい様子で二つの弁当を保冷バッグに詰め込む忠臣が、ぱちりと眼を合わせた。 「あ、おはよう、利桜くんっ」 「おはよ…何、急いでるの?」 時計を確認すれば、まだ七時になったばかり。 いつもの忠臣であれば、この時間は起き抜けのコーヒーをぼーっとした顔で飲んでいる筈。 「俺今日実習で、集合が実習先なんだよ。道分からんし、出来るだけ早く出ようと思って」 「…だから、弁当なんだ」 「そう、近くにコンビニあるかも分からないし」 着替えも詰め込んでいるらしいパンパンになったバックパックに弁当も半ば無理矢理起こし込む忠臣に利桜の眉根が寄る。 「弁当…何で二つな訳?」 「あ、これ…その、友達の分もあって…」 「友達?」 無意識なのか、少し低い声に慌てて忠臣が振る首は勢いが良い。 「いや、っ、あの、ちゃんと弁当のおかずは自分で買ってきた、って言うか、スーパーの残りもんの総菜を安くで貰えたやつばっかりだからっ」 「いや、そう言う事言ってるんじゃなくて、お前パシられてる訳じゃないよな」 寝起きの気だるさもあるのか、怪訝そうな表情と低い声音はある種の色気を感じるのか、一瞬動きを止めた忠臣だが、すぐにまた首を振るとバツが悪そうに弁当を詰めたバッグを背負った。 「違うって。この間財布忘れて昼飯奢って貰ったら、そいつが今日弁当作って来いとか言いやがってさ…」 「…なるほど」 「じゃ、俺行ってくるから」 「いってらっしゃい。気を付けてな」 「利桜くんも」 片手をゆらっと振り、足早に出て行く忠臣の背中を壁に凭れながら見送る利桜はふぅっと安堵の息を吐く。 「大きくなっちゃって…」 微笑混じりに呟いた声は、忠臣に聞こえる事は無い。 ***** 実習とは言え、机上とは全く違う現場に対し、何も分からないが取り合えず出来る事はメモを取る事と大きく頷きながら元気のよい返事をするだけの時間と言うものが終わり、広げた弁当とお茶のペットボトルは近くの自販機で購入したもの。 「あー…45点だわぁー」 「へぇ、お前の取るテストの点数よりはいいって事かよ、有難う」 人の弁当に採点を点けると言う、人間として最低ランクを更新し続ける下野に嫌味と言う名の調味料を小さじ程度。 むぅっと唇を尖らせる成人男子は可愛くとも何ともない。 (利桜くんなら可愛いけどさ…) 同じ仕草だと言うのにやっている人間が違うだけでこんなに天と地の差が出るとは。 知らない所で再びディスられている事等知りもしない下野はぶつぶつと文句を垂らしながらも卵焼きを口へ放ると、『おっ』と背筋を伸ばす。 「これ、この卵焼き旨いじゃんっ」 「それだけ唯一俺の手作りなんだわ、流石違いの分かる男、有難う」 「…腹立つわー」 スーパーの売れ残りの総菜だらけの弁当と塩を混ぜただけの握り飯。 卵焼きだけ朝作ったのだから、少し焦げていようと旨いと感じて当たり前なのかもしれないが、悪い気はしない。 「つか、お前半同棲の彼女から作って貰えば良かったじゃねーかよ」 「アイツ昨日から友達と旅行行ってやんの、悲しみぃー」 なるほど。 学生の下野とは違い、もう既に社会に出てはたらいているらしい彼女は自由に使える金もあるらしい。 「なぁ」 「ん?何だよ」 「同棲してるお前らのルール的なものってある?」 「ルール?」 きょとんとした顔と口元に付いている白米が間抜け面をもっと輝かせるこの男は天才か。 「特にねぇな。スマホを見るとかは論外だし、うーん…あ、あれだな、買ってきた物を勝手に食わない」 特にスイーツ…っ!! 青褪めた表情で下野は白身フライを掴んだ箸を振るわせる。どうやら実体験らしい。 「そっか」 「え、もしかしてお前も同棲すんの?つか、彼女とか居たわけっ?」 「いや、そんなんじゃねーけど」 ニンニク風味の強さが売りの唐揚げをぱくりと一口で頬張る忠臣は、 (だったら…嬉しいけどさ…) なんて、独り言を一緒に噛み砕いた。
/108ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4085人が本棚に入れています
本棚に追加