ページを捲る早さを知る人

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明日は土日でゆっくり出来る、その上今日はこれから利桜との食事が待っている。 それだけで心弾む忠臣の身体は、今日一日実習を体験したとは思えない程に軽い。 油断すれば、ふへらぁ…っと緩む口元、垂れ下がる眦に、休憩中のパートの主婦達もその様子を目敏く感知。 「忠臣くーん、何だかご機嫌ね」 「何かいい事あったのかしら?」 うふふっと三日月型の眼に囲まれ、今更だが浮かれていた事に気付いた忠臣は、どぎまぎと顔を赤らめた。 「い、いや、そう言う訳じゃないんですけど…っ」 あからさまに態度に出ていたのが恥ずかしい。 まるで遠足を楽しみにしている小学生の様で、何とも気まずいと肩を竦めてる忠臣だが、まだ明るい声は止まらない。 「あ、分かったぁ、デートでしょー?」 パート陣の中でもまだ二十代の主婦が、まさにこれだぁと言わんばかりに輝かせた眼を向け、大きく頷く。 「あら、そうなの?デートとかいいわねぇ、若い人はぁ」 あらやだぁ、と一気に慈愛に満ちた表情と華やぐ淑女達の声に忠臣は大きく首を振った。 「マジで違うんですってっ、その、一緒に住んでる人と飯を食うだけで、」 「えっ!!忠臣くん、同棲してるのっ!!」 「うそ、やるじゃんっ!」 「違います、その、男なんで、」 ルームシェア的な、と説明をつけ足せば、現金なモノで今度は波の様に奥様達のテンションがなーんだぁ、と言う言葉と共に引いていく。 「絶対に彼女だと思ってたのにー」 「あんなに嬉しそうだったからねぇ」 口々に呟かれるそんな言葉に喉が詰まる感覚が襲う忠臣は、持っていたペットボトルの水を一口含んだ。 ごくりと飲み干せば、代わりに洩れ出たのは溜め息。 (気を付けないとな…) こんなパートの従業員に気付かれてしまう浮かれ具合、浮かれポンチ野郎にも程がある。 利桜の前でもこんな姿を見せたら、感づかれてしまう恐れがあるかもしれないと言うのに。 それが原因で避けられたり、最悪嫌悪なんて向けられた日には立ち直れないだろう。また新たに住むところを探す、なんてそんな事よりも、もっと大きなモノを失ってしまいそうだ。 やっと、昔の様に話せる様になったと言うのに、出来たらそんな最悪な事は避けなければ。 気合も新たに、鼻息荒く両頬を軽くパンパンと叩く忠臣は、ぐっと拳を握った。 バイトが終わり、利桜へと連絡をすれば、まだミーティングが長引いていると言う返信、それと同時に送られてきたのは、会社の住所。 どうやら会社の前で待っていて欲しいと言う事らしい。 何とかアプリ頼りにその住所へと向かった忠臣は、予想以上に大きなビルを見上げ、おぉ…っと感嘆の声を上げた。 (この中に利桜くんの会社が入ってんのかぁ…) オフィス街の為、周りを行き来するのはスーツ姿のサラリーマン、OLと言った中、Tシャツにカーゴパンツと言った自分の恰好は何だか浮いて見えるのでは、とビルの端に寄った忠臣は一応利桜へと『到着しました』と一言送信。 すっかり日も落ち、段々と暗くなっていく見知らぬ景色に少しだけ心細さを感じていると、すぐにスマホが鳴った。 【今から降りるから、玄関前に居て】 喜んで、と返信しそうになったのは本能だろう。 【了解】と、理性を保ち当たり障りのない返事を打つと、忠臣は利桜を待つべく、玄関前にある柱へと背中を預けた。 その時、ふっと眼を向けた先に居た女性――。 女性らしい、身体のラインを活かしたスーツ姿はこの辺の会社に勤務しているのだろうか。 自分と同じ様に誰かを待っているのかもしれないと思うと妙な親近感が湧く忠臣だが、何処かその表情は強張り、気持ちも張りつめているのか、まっすぐに伸びた姿勢と微動だにしないその身体に首を傾げた。 (……緊張、してる?) 今から決闘だか、カチ込みだかあるのか。 ほんの少しだけ首を竦め、上がっている肩。 顔を確認すれば、暗がりだが何となく整った顔だと言う事だけは分かる。思いつめた様な女性の様子が気にならないと言ったら嘘になるが、それよりも忠臣には利桜との食事が待っているのだ。 (どうでもいいか) 決闘でも何でも、忠臣には関係無い。 腹も減ってきた、何を食べさせてくれるのだろうか、と本命の目的にも期待を膨らませた頃、 「忠臣?」 呼ばれた声にはっと顔を上げ、そちらに顔を向ければスーツ姿の利桜がにこやかに歩いてくる姿が見えた。 「り、」 利桜くん、と声を掛けたつもりだった。 つもり、となってしまったのは、それは利桜に聞こえる前に、見事に打ち消された為。 「利桜っ!!」 忠臣よりも、もっと大きなその声に。 ーーーーへ? 一瞬動きを止めてしまった忠臣よりも先に、利桜の元へと駆け寄る人間。 (こ、の人…っ) 「利桜、ごめんなさい、話を聞いてっ」 縋り付く様に利桜に手を伸ばし、その腕を掴む姿 。 さっきから忠臣と共に玄関前に居た、スーツの女性。 間近で見れば強張った表情はそのままだが、かなりの美形の部類に入る女性に、流石の忠臣も眼を見開いた。 (すっげー美人…) まさに美女。 最近触れ合うのはバイト先の奥方ばかりの忠臣にはあまり縁の無い美貌は、思わずドキリとさせられる。 だが、 「…何、お前」 利桜から発せられた低い声に、はっと我に帰った、と言うよりは引き戻された。
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