ページを捲る早さを知る人

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びくっと肩を跳ね、自分を見詰める忠臣に訝し気な表情を見せる志恩だが、その眼に曇りが無い。 「な、何?」 「いや、ちょっと感動して…」 「………どこで?何に?」 そうそう、それだよ、『それ』。 忠臣が向けて欲しかった感情はまさしく、その寂しいと思って貰える、有難いそれ。 勿論志恩からではない、利桜から、だ。 優しく一緒に暮らせるだけ有難い、無いものねだりだと言われればそうかもしれないが、志恩が向けてくれている感情の半分でも、いや、この際十分の一でも利桜にあったならば。 (………………いや、あったからってどうにでもなる訳じゃないけどさ) 結局は気分の問題なのだ。 少しだけ、上がる。 自己満足もいいところだが、利桜に想いがあるのだから仕方ない。 「…まぁ、何か知らんけど…連絡先交換しとこうぜ」 「あ、あぁ、いいけど」 互いにスマホを取り出し、連絡先を交換。 ディスプレイに『志恩』と表示されたのを確認した忠臣の眼についでに入った時刻はもう既に二十三時を回っている。 流石に長いし過ぎたと慌てて帰り支度する忠臣に、泊まってけよーと誘ってくれる志恩の心遣いは有難い。しかし、流石に何も用意していない中宿泊は無理だと断りを入れればあからさまに肩を落とされたが、玄関先まで見送る志恩は唇を尖らせながらも、 「また、来いよ。今度はゆっくり遊ぼうぜ、映画とかカラオケとか」 「あぁ、だな」 頷けば、にこっと明るい笑顔。 「やっぱ若いもんは毎日は楽しまないとだしな」 「はは、若いもんって」 じゃあなっと手を振る志恩に手を振り返し、急いで足を進める中、忠臣の脳内に友人の言葉が浮かぶ。 暗い夜道に外灯の灯りの優しい色味がまるで志恩の笑顔の様。 「…楽しむ、か」 そう言えば、自分は楽しんでいたのだろうか。 利桜に恋をしている事に――。 ただ毎日、どうしようもない感情に溜め息しかついていない気がする、いや、それしかしていないのは確かだ。 利桜と未来がある訳じゃないと分かって居ながらも、勝手に落胆して落ち込むなんて、どんな自分勝手な人間だろう。 ――――なんて、つまらない。 『忠臣って、全然つまらない』 今頃思い出される歴代彼女からの話し合いでもしてたんかと疑問を持っていた、お約束の台詞が鋭く胸を抉ってくる。 「………」 (…ゴールがある訳じゃないけど、) ぴたりと立ち止まった忠臣はもう既に家の前。 元々一緒に暮らせるって言うだけでも、嬉しかったし、楽しかった。頼れと言われて舞い上がりだってした。 欲を出し過ぎて、子供の様に拗ねていただけに過ぎない。 『若いもん』なのだから、楽しんでみるのもありなのかもしれない。 折角恋とやらが出来ているのだ。 もう少しこのふわふわとした気持ちを大事にしてもいい筈だ。 そう思ったら、ふっと憑き物が落ちたかの様に心が軽くなるのを感じた忠臣は、すっきりとした表情で扉に鍵を差し入れる。 (そうだよな、だって自分の気持ちだもんなっ) これから先また恋をする事もあるかもしれないが、この気持ちは今だけのもの。 ―――楽しんだもの勝ちだ。 何だかんだ志恩に会えて良かった。 今度何か奢ってやろう、なんて思いながら扉を開け、いそいそと靴を脱いだ忠臣だが、 「おかえり」 「――――――――っ!!!!!!」 背後から掛けられた声に、びくぅっと全身の毛穴と言う毛穴を毛羽立てて声にならない悲鳴を上げてしまった。 喉が痛い。 「え…!え、!」 急いで振り返ってみれば、まだ帰っていないと思っていた利桜が廊下の壁に寄りかかり、そこに立っている。 まるで絵画の様――。 なんて軽口と言う名の本音を言える筈も無く、色んな意味での驚愕に顔を引き攣らせる忠臣はようやっと震えそうになる唇を開いた。 「た、ただ、いま」 「遅かったな」 ニコリ。 擬音が付きそうなにこやかな笑みだと言うのに、空気が冷たい。 中腰の体勢のまま、ごくりと喉を嚥下させた忠臣がそろりと視線を彷徨わせれば、もう一度聞こえた声。 「おそかったな」 一言一句、はっきりとしたその声。 二回も言われた。 「何してたんだよ」 もう一度ごくりと唾を飲み込み、ええっと…っと言い淀みながらもこの寒々とした空気を何とかすべく言い訳を纏めた。 「小学校の時の、同級生と、飯食ってて…」 「こんな時間まで?」 確かにもう既に二十四時前。 勝手に利桜は午前様で帰ってくるのでは、と思っていたのは忠臣だけで、利桜からしてみれば心配していたのだろう。 しかも他人様の子供を預かっていると言う懸念もあるのかもしれない。 (俺、まだ未成年だしな…) その上学生ときたもんだ。 しゅんっと頭を垂れ、『ごめん…』と呟けば、これ見よがしな溜め息にまたビクッと肩が揺れる。 「遅くなるなら連絡くらいしろよ。心配するだろ」 「ごもっとも、です…」 言い返す言葉も見つからない。 利桜が遅くなろうとなるまいと、連絡の一つでも入れておくべきだったのだ。 「久々会えて、ちょっと浮かれてた…」 反省だと眼を伏せる姿とその言葉に利桜の灰色の眼が少しだけ揺らぐが、すぐに肩を竦めると、少し濡れている髪を掻き上げた。 どうやら風呂上りのご様子に、起きて待っていたのだろうかと思うと余計に気の毒さが膨れ上がる。
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