ページを捲る早さを知る人

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けれど、この恋を楽しむと決めたのだ。 もう一つ付け加えるのならば、どう拗らせたのか、利桜から向けられる感情は全て有難く受け取りたいと言う少々気持ちの悪い境地に達している。 「あの、本当ゴメン、今度はちゃんと連絡するから、」 心配し、注意してくれている事に関しても、それは自分に向けられた大事な気持ちだと困った様に眉根を八の字にしながらも、忠臣は口角を上げた。 「…気を付けろよ、本当」 やれやれと頭に乗せられる手も心地良い。 「うん」 絵本を捲るこの手が好きだ。 幼かった忠臣にも丁度良いペースでページを捲る早さに、優しい仕草は紙を傷めないのも知っている。 そんなレアな部分を知れているなんて、結構贅沢な事。 きっと今までの恋人だって知らないのでは、と妙な優越感が生まれてくる程。 「明日も学校だろ?早く風呂入って寝れば?」 「うん、利桜くんも早いとこ休んで。俺を待っててくれたんだろ?」 「忠臣はそんな事心配しなくていいんだよ」 まったく、と笑うその笑顔も、忠臣にとっては全部忘れる事無い事なのだろう。 じめじめとしていた湿気の多そうな陰気な考えも、少し違った角度から見れるようになれるのではと満足そうに眼を細める忠臣は急いで風呂へと向かった。 ***** 『なぁ』 『………なんですか?』 生意気そうな顔で此方を見上げる子供に、表情一つ変えない男の眼からも、何の感情も読み取れない。 『お前、忠臣の転校先、住所とか知ってる?』 だが、質問はドストレート。 一瞬目を見開いた子供だが、次いで面倒臭そうに眉根を寄せると、すっと視線を逸らした。 『知らない』 『…本当かよ』 『知らないってば』 『………』 じぃっと高い位置から見下ろされる視線が真っ直ぐに自分に注がれる事に不快感を隠そうともしない子供も負けじと見上げ返す。 『何?あんた、忠臣から何も言われなかったの?前は毎日保育園まで迎えに来てたりしたのに?家族ぐるみで付き合ってたんだろ?親に聞けばいいじゃん』 ついでに、皮肉たっぷりにそんな言葉を投げかければ、整った顔立ちが一瞬歪んだ様に見えたが、掻き上げた前髪の隙間から覗く灰色の双眸からは矢張り感情は読み取れない。 子供故に素直に損得無しで物事を見れる、それは人間相手も然り。 だが、まるで人形の様なその眼に怯んでしまった子供は、反射的に眼を伏せると、その身体を翻した。 『と、とにかく、俺は知らないからっ』 小学校の帰り道、遠く離れた場所でこちらを伺いながら待っていた友人達の元に戻っていく後姿に、洩らしたのは小さな舌打ちだ―――。 そんな思い出がぼんやりと思い出された利桜は朝食として出されたパンにバターを塗りながら眉根を寄せる。 「……つまり、昨日久々に会った友人って保育園時代からの、あの友達?」 「あの、と言うと…」 「喧嘩したって泣いてた事あったよな、忠臣。小学校上がってからもツルんでたのは知ってた…って、言うか…」 「そうそう、よく覚えてんね。途中まで手紙のやり取りしてたんだけど、中学の引っ越しん時に手紙入れてた箱丸ごとどっか行っちゃってさ。連絡取れなかったんだけど」 「………………へぇ」 思いのほか抉れたバターが食パンの上を滑り、少しずつ浸透していく。 昨日はだいぶ遅く就寝した筈だが、寝不足も感じさせない忠臣がついでにサラダもとテーブルに置いてくれるのを横目に利桜は軽く頭を下げた。 舌打ちでも出そうな位に朝から苛立つのは何故だろう。 当時、わざわざ呼び止めた志恩が嘘を付いていたからか。 そのお陰で母親に連絡先を知りたいと聞いたら、『聞いてなかったの、嘘ぉ!!?』と大袈裟に驚かれたからだろうか。 それとも、そんな大嘘を飄々と煽る様に吐いた、あのクソガキと会えたと忠臣が嬉しそうに笑っているからだろうか。 ――――久々に会えて、浮かれる程に。 だから、こんなに元気でニコニコしてるのか、とそう考えたら納得がいく。 重さを増したパンを齧ると、じわりと舌に広がるバターが少々くどい。 「で、今度遊びに行こうって誘ってくれたんだけど、そん時は泊りになると思うから、」 「は?」 くどさに交じって、いきなり感じたのは苦みだ。 「いや、何言ってんの?」 「へ?い、や、志恩ん家、マンションで一人暮らしだから、そんなに迷惑掛ける事は無いと思う、んです、が」 思わず敬語になったのは、さっきまで寝ぼけ眼で長い睫毛が可愛いとすら思っていた眼が瞬き一つせずに、ぐわっと見開かれその圧に押された為。 椅子に座っていると言うのに、身体が後ろに倒れそうな、その気迫に忠臣の心臓がどきりと跳ね上がった。 「……忠臣、まさかとは思うけど」 まさか、あの男が好きなのでは―――? 利桜の中で浮かび上がった一つの憶測。 色素の薄いビー玉の様な眼をくりくりと動かしながら、目の前の忠臣を観察するように眺めると、肌艶の良い頬がほんのりと染まっていくのが分かる。 照れ臭そうに、唇を真一文字に結びはにかむ笑みも何だかいつも以上に、どこか爽快にも見える。 (えー…) あんな嘘つき野郎が好きだとか、何だか許せない気持ちになる利桜の中でこれが父性なのかと、胃の辺りが重く感じたのは決してバターの所為では無いのだろう。
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