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悪くは無い
「………あー…それは、あれっすね、出会っちゃったってやつですね」
行列が出来ると有名なパン屋のメロンパンをがじがじと齧りながら、佐野は訳知り顔でうんうん頷く。
「俺の経験から言わせて貰うと、『その人』は好きな相手と出会って、今浮かれて幸せ絶頂期ってやつっすよっ!だから楽しそうに見えるんでしょっ」
「……あぁ、そう」
これ一本で一日で必要な栄養が摂れると謳われているドリンクを飲んでいるにもかかわらず、心なしか口元を引き攣らせる利桜だが、絶妙な動きは大味佐野には気付かれる事は無い。
「で、『その人』は先輩の何になるって言うんですか?」
「…幼馴染だな」
「幼馴染…え、幼馴染の恋路を心配してんすか?何それ親かよ、いや、親よりウザいっすね」
「純粋な子だからさ。騙されてたら可哀想だろ?」
至極まともそうな事を言っている様に見えるのは、この容姿のお陰なのか。
やれやれと言わんばかりに、肩を竦める利桜に佐野もへぇ…っと相槌を打つとまたパンを齧る。
「相談されたんすか?」
「そんなもんかな」
フゥッと息を吐くだけでも、この社内の利桜に憧れている女性社員はきっと黄色い声をあげるのだろう。
ただ朝の挨拶を交わしただけでも、ストーカーじみた事をされた事がある、ペンを拾っただけで妊娠したと騒がれた事がある、彼のそう言った噂は事欠かないだけあるのだが、当の本人は素知らぬ顔で微笑を浮かべながら全てを撥ね付けている。
実際佐野自身、利桜を会社前で待ち伏せする女性を見た事もあったが、それも『気持ち悪ぃ』と一言発するだけで、気にも留めなかったのが、この男。
だと、言うのに。
そんな男が幼馴染の恋路を心配しているとか、笑話でしかない。自分の経験談なんて話せたモンでは無いのだろう、と言うか何の参考にもならないのかもしれない。
だから自分に聞いてきたのかもしれないが、気になる所と言ったら、『そこ』じゃない。
(純粋ねぇ…)
どんな女の子なのだろうか。
あまり豊かでも逞しくも無い想像力を何とか動かしつつ、脳裏に浮かぶ佐野なりの『幼馴染』。
小柄で黒髪、もしかして学生?
控えめではにかんだ様に笑い、ちょっと地味めだけれど、よく見れば可愛らしい、そんな女の子を脳内に浮かべた佐野は、パンを食べるとご馳走様です、と手を合わせた。
「あ、つか、」
「何?」
相変わらず一日分の栄養を摂取する利桜が視線だけを佐野に向ける。
「もうさ、その幼馴染、好きな相手とやれる所までやってるから、急に明るくなったんじゃないっすか?」
その日、パソコンを打つ手を振るわせる佐野の顔色が宜しく無く、上司から早退を勧められるのは数時間後の話だ。
*****
本日、こちら側と言えば、参考書片手にノートのチェックをしている忠臣の背中に乗っかり、さめざめとそこを涙で濡らす迷惑行為を繰り広げる男は、下野だ。
「いい加減どいてくれない?」
「冷たいよぉーーっ!!綾までもが冷たいっ!!」
「耳元で騒ぐなよっ」
再び、ぐすぐすと嗚咽を洩らす成人男性を背に、忠臣から洩れるのは深い溜め息。
「…何で同棲解消になったんだよ」
「聞いてくれる!?もうさっ、誤解が誤解を生んで結局それが決定打になってさぁ!!」
何のこっちゃ。
そう言ってやりたいが、余計に煩くなりそうだと言う未来は分かりきっている。
「要は、上手くいかなくなっただけだろ?」
「まぁ…そうなんだけど…」
忠臣の背中に額をぐりぐりと擦り付ける下野にマッチ棒とあだ名を付けてやりたい。
「何だかなー。友達として会ってた時はあんなに楽しかったのに、恋人になっちゃうと全然違うのって何だろうなぁー」
「分からんよ」
「この現象に名前を付けるとしたら何なんだよぉ〜教えて、あやえもぉぉん」
「…えぇぇ」
そうは言われても。
口元を引き攣らせる忠臣の視線は斜め上。
確かに、忠臣の高校時代の彼女も友人として付き合っていた時は笑い合っている時間が多かったが、恋人として付き合ってみたら、ぎくしゃくとぎこちなくなる事が増え、何となく違うと違いに思っていた筈だ。
「……相性の、問題とか?」
「相性ぉぉ?そんな占い師みたいなこと言うのかよぉ」
「いや、結構そう言った抽象的な所ってあるだろ。ほら、よく言う音楽性の違いとか、価値観の違いとか」
「バンドマンか」
「言っちゃえば人間性の違いなんだろうけど」
そう言って、忠臣が思い出すのは先日利桜に縋っていたあの女性。
きっと付き合うだけなら楽しかったのだろうが、『結婚』と言う現実に追われてしまった時に、相違がでたのだろう。
(…まぁ、難しいわな)
いつだったか、母親が言っていた。
『人ってね、どれだけ好きでいられるか、じゃなくて、どれだけその人と苦労が出来るか、だからね』
一生添い遂げるのならば、そこが重要だとまだ幼い時に聞かされた言葉。
だからこそ、美保は夫を捨て、逃げる様にして忠臣を連れて出たのだ。
芋づるの如く、一緒に落ちていくのは決してしたく無いと。
(俺もなぁ…)
何でもしてやりたい、なんて心意気もある、言うのは容易いが実際そこも不透明。
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