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しかも、利桜自身が望んでいなければ無意味。
やっぱり片想いと言うものは、ひっそりと楽しむだけにしておこう。
誰に迷惑を掛ける訳でも無いのだから。
未だ背中に張り付く下野をそのままに再度ノートへと向かった忠臣をクラスメイト達がクスクスと笑っていた。
*****
電話の向こうの相手に面倒くさそうな声音を隠そうともしない男はチラリと壁に掛けてある時計を確認。
そろそろ戻って来る時間になる。
「兎に角、しばらく会えないから。こっちもこっちで忙しいんだよ」
鳴り響いた軽快な音は炊飯器から。
「ウザいよ。俺等そう言う関係じゃないだろ。割り切れないならもう連絡してこないで」
吐き捨てる様にそう言って画面をタッチするまでも、耳障りな甲高い声が聞こえるのが鬱陶しい。
溜め息と言うよりは苛立ちを込めて息を吐き、電源から落とすとスマホをテーブルの上へと置いた。
今日は利桜が夕食の担当と言うのもあり、炊き込みご飯に鱧の吸い物、ほうれん草の胡麻和えと和の鉄人にも負けない意気込みで用意していたのだが、今の電話で若干気が削がれてしまった気もする。
炊き込みご飯は、いつだったか忠臣が美味しいと三杯もおかわりしたもの。
ほくほくと三日月になった眼が幼少期と変わらず、可愛らしいと今日もその姿が見れたらと、こっそり気合を入れていた利桜は小さく舌打ちをすると、ついでにと晩酌用の日本酒も取り出した。
(俺って女を見る眼無いのかもな)
今回の女性もハズレだった、と眉根を寄せる男なんて、一体何様だと総ブーイングになりそうなものだが憂いを帯びた表情さえも美しい男は、神すらかも許されるかもしれない。
いや、許されてきたのだろう。
お陰で背中を刺された事も無ければ、夜道に危ないと思った事も無い。
こんな非情、無情、極悪な女の切り方をしていたとしても、だ。
「面倒くせぇなぁ…」
そう呟いて、ふっと利桜が思い出した事が一つ。
最近、解消していない、と言う事。
いつからだっけ、と考えてみれば、かれこれ二か月近く。
忠臣と同居してから、と言う事になる。
尤もそんなにガツガツした性欲も持ち合わせていないし、ギラギラとした欲望も抱えてはいない。
毎日しないと収まりが悪いなんて事も勿論無い。
今だって、ホームポジションにお利口さんに待機しているのだが、言ってしまえば気持ちの問題だ。
(ムラムラはするよな)
二十代後半に入り、大人だけれど、男だもの。
生理的欲求は生存的本能に従ったそれ。仕方が無い事。
ただこんなに長期間誰とも関係を持たなかった事が無かった様に思える利桜は、実際の所しなくてもこうして穏やかに過ごせるのだと妙に感心してしまう。
それは誰のお陰かなんて言わなくても分かる事で、ふふっと口元に笑みを浮かべる彼の脳裏に現れたのは立派に成長した幼馴染。
どちらかと言うと小学校の時も他の子と比べて小柄でひょろっとして、体重もとても軽かった子供だったのに、まさかあんなに色んな意味で大きくなっていたとは。
それでも一目見て忠臣だと気付けたのは、あの驚いた時に見開かれる眼かもしれない。
初めて会った時も、大きくも無い眼がくりっと見開かれるのが可愛らしいと瞬時に思えたがそれは成長してからも変わらないらしい。
先程まで苛立っていた感情がすっとなだらかに落ち着きを取り戻すのを感じる。
そうして、
「ただいまー」
ドアが開錠された音と聞こえて来た声に鍋の火を止めた。
「おかえり」
「あ、ただいま、」
走って帰って来たのか、頬を少し赤らめ二回目の挨拶をする忠臣から見せられたのはビニール袋。
「さくらんぼ、店長に貰ったんであとで食べよう」
やはり可愛らしい。
申し訳ない限りと第三者ならば『どの辺が…?』と恐る恐るお伺いするであろう、その感情。
余裕で超えた平均身長にそれなりにしっかりとした筋肉質な男相手に可愛いと感想が出る事に利桜の美的感覚はバグってるのか、もしくは自分の顔を見すぎてそうなってしまったのかと疑問に思う所だろうが、彼の中の忠臣は変わっていないのだからしょうがない。
可愛くて自分の隣を辿々しく歩き、繋いだ手から伝わる体温も高く、鼻を寄せれば少しだけ甘い香りがした。
可愛い弟のような存在。
ーーーだからこそ、
『……は?』
眼を真っ赤に腫らした母からあの家族が引っ越ししたのだと聞いた時、学校から戻ったばかりの利桜は忠臣が居たアパートへ一目散に走り、誰も返事をしない扉を叩いたのだ。
嬉しそうに出迎える顔も無い、その部屋に。
『利桜くんっ』
弾む様な声で自分の名を呼ぶ声も聞こえないと言うのにーーー。
「…利桜くん?」
「ーーあぁ、何?」
訝しげに此方を見つめる眼に呆けていたらしい利桜がそんな素振りを見せずに微笑みかければ、忠臣が少し不安そうにその眼を揺らす。
「まじで大丈夫?ぼーっとしてた様に見えたけど。疲れてるなら先に風呂入ってきたら?」
「大丈夫だよ。ちょっと浸ってただけ」
浸っていた?
は?風呂だけに?
面白くも無い事を思いながら、益々不思議そうに首を傾げる忠臣を見て、ふっと笑ってしまうのは、
(ーー悪くない)
なんて思ってしまうからだ。
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