悪くは無い

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疑問と言うか、疑念と言うか。 動悸が早い。 息をするのもし辛い。 しかし、想い人に付き合おうと言われて嬉しくない訳が無いのも事実であり、色んな感情がぐるぐると胃の周りを渦巻いている様な感覚に忠臣の頭はプチどころではない混乱が生じていたりする。 バイト先のスーパーでの月一で行われる詰め放題市の主婦達の集まりの比でない。 「まぁ…理由と問われたら…心配だから、とか?」 「…心配?」 ようやっと答えが出たのか、そうぽつりと洩れた利桜の声に顔を上げ、訝し気な眼を向ければ利桜のいつもの笑顔。 「忠臣は好きな人は男だけど、男とは付き合った事無いんだろ?一度俺と付き合ってみて体験してからでもいいんじゃないかと思って」 「…意味が分からんのだけど」 いや、本当に。 乾ききった眼をバチバチと高速で瞬きする忠臣の眉間が狭まる。 「俺も忠臣が傷付くのは嫌だなって思うくらい、お前の事は好きだよ。だから、男と付き合うって言うのがどんなもんかくらい体験しておいたら?」 忠臣が傷付くのが嫌――――。 今日二度目のそんな台詞は思いの外すとんと忠臣の胸の中へと収まった。 志恩も利桜も何だかんだ心配してくれている。 ただ志恩の言っている事は割と理解出来たのだが、この利桜の言い分には些か真意が掴めない。 確かに忠臣は今現在男相手に好意を寄せていると明言したものの、だからと言って心配と言う理由で自分を実験台にと進めてくる意図は一体何なのだろうか。 つか、何故に今? しばし思案する忠臣だが、ふと過った一つの考え。 (いや…待てよ…) この国にはこの状況化にあつらえた様な言葉がある。 そう、『据え膳食わぬは男の恥』と言う言葉があるでは無いか。 この先幼馴染以上、利桜と恋人なんて関係になれるであろう可能性は殆ど無いに等しい。その前提が有る上でこんな棚から牡丹餅、いやフォアグラやキャビアの様な提案はもう一生無いかもしれない。 ごくり、と喉が鳴るのは、覚悟から。 (これが冥途の土産、とか言う奴?) え、死期が近いとかは勘弁だが。 「あの…本当に、付き合ってくれんの?利桜くんが?」 ぎゅうっと握った拳が震えそうになるのを押さえながら、若干口元が引き攣るのはご愛嬌だ。 にやけそうになっているんだか、この突拍子も無い提案に引き気味なのか。 恐らく両者な忠臣の問い掛けに、利桜が眼を細めた。 「勿論」 短い簡素な返事ではあるが、この答えにはぎっちりと詰まった何かを感じる。 「……そ、っか。ふーん…じゃあ、」 今更だがもうカップ麺は食べれる気がしない。 もう冷めてしまっているとか、麺がのびてふやけているから、とか、そう言った問題では無く、 「…………よ、ろしく、お願いします、でいいのか、分からんけど…」 「はは、いいよ、それで。こちらこそよろしく」 眩いばかりの利桜の笑顔が今、この瞬間から自分の物になったから。 腹以上に胸がいっぱいになったなんて、気恥ずかしさと照れ臭さマックスだ。 ――――あぁ…これって、めっちゃ悪くないんじゃね、これ。 まさかの恋人同士。 しかも初恋の相手。 特別な距離には入れないと思っていただけに、このお誘いは酷く甘く、脳を麻痺させる。 高鳴る胸とわくわくとした高揚感。目元に集まる熱は感動からかもしれない。 ――なのに、 『何だかなー。友達として会ってた時はあんなに楽しかったのに、恋人になっちゃうと全然違うのって何だろうなぁー』 普段思い出しもしない友人のふざけた顔と声。 少し浮かれた気持ちを暗闇から伸びた手にがしっとホラー映画の如く肩を叩かれた感覚に陥ったものの、 (でも、) もしその現象があったとしても、それはそれでいい諦めの切っ掛けにもなる。 かなり都合がいい事をさも納得したかの様に自分に言い聞かせ、ぐっと歯を食いしばった。 「えーっと…じゃ、俺風呂入ってくるわ…」 「そっか。飯何か頼んでやろうか?」 「いや、いい、かな」 「でもそれ食ってたんだろ?」 すっかり旨味もクソも無くなったであろうカップ麺を指差す利桜にふるふると首を振る忠臣は椅子から立ち上がり、残飯になってしまったそれを流しへと置いた。 その動き一つ一つも見られている様な緊張感。 「忠臣」 「え、な、に」 びくっと肩を揺らす忠臣にニコリと微笑むその顔は幼少期を思い出す。 「一緒に寝る?」 「……………いや、いい」 うん。 流石に今すぐそこまで回顧しようとは思わない。 身長より高いハードルはまだ超えられないと、忠臣はふるふると首を振り、そそくさと自室で下着を取り出すと、向かうは風呂。 逆上せ上がった頭を冷水で冷やし、飛び込んだ湯舟の暖かさにはぁーっと息を吐いた。 湯気越しのライトの光がキラキラと光って見える。 (いつもと違う…めちゃきれーに見えるじゃん…) ――恋人、と言う関係性に忠臣がどう立ち回り出来るか、全く理解できないけれど、今思う事はこれだけ。 やっぱり、 「悪く無いよなぁー…」 壁に反響した声が煙と共に消えた。
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