頭痛のブルー

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取り合えず落ち着こう、そう喉を上下させたのだが、 「初めてだと思ったのに慣れてるな、って思ったのが複雑でさ」 「――――ぐっ…!!!!!」 反射的に口元を押さえた為か、鼻から味噌汁だったものが飛沫として飛び出すと言う、悲惨な現実が佐野を襲った。 ごほごほと咳き込み、息苦しそうに近くにあった紙ナプキンを掴むと顔を覆う。 予想外の発言だったのか、涙目ながらも呆然と利桜を見遣る後輩だが、矢張り利桜は気を取られる事も無く、はぁ…っと溜め息を吐くと憂いを一段階上げる。 こんなに苦しんでいる人間が、しかも知らぬ間柄ではないと言うのに、その気にも留めない態度はどうだろう。 人の心はあるのか、この人。 いや、だが仕方ない。こういう人間なのだ。 仕方ない、仕方ないと自分に言い聞かせながら、佐野は顔を綺麗に拭きあげると、コホンと咳払いを一つ。 「……あの、どう言う意味でしょうか…?」 そうだ、取り合えずこんな醜態を晒す羽目になった利桜の発言を問うのが先だ。 「だから、多分向こうも男相手にするのは初めてだと思ってたんだけど、何て言うか…こう、すんなりと持って行けたって言うか」 変わらず綺麗な顔が有り得ない言葉を紡ぐ。 淡々と昼飯を食いながら、どんな感情で物を言っているのか、是非聞いてみたいと切に思う佐野だが、気になる所はそこでは無い。 「……別に、それはいいじゃないですか。いや、……あの、と言うか、え、先輩…最後まで突き進んだ、って事ですか、ね…?」 「まぁね。俺から付き合おうって言った手前、それも含まれるでしょ」 「………先輩って男もイケたんすか?」 いつだったか取引相手の男から鼻息荒く、距離感もバグっていた時は表面上は何事も無いかの様にあしらっていたが、それから二度とそこの担当になる事は無かった筈。 涼しい顔して『○ね』なんて吐き捨てていたのも忘れてはいない。 女としか付き合っていないと思っていたが、ここに来てまさかの男相手とは。 「男?無理に決まってるだろ」 「……えぇー…意味が分からん」 「その子だからに決まってるだろ。じゃなきゃ、誰が男なんて相手にするんだよ」 何言ってんだと言わんばかりの顔をされる。 (――待って、何でそんな顔されなきゃいけないんだよ) 話の本筋も見えないが為に、全く意味が分からない。 この話だけを冷静な眼で第三者として隣で聞いていたとしても理解する事は無いだろう。 「………え、っと…兎に角先輩は男と付き合う事になったんですね」 もうそこからツッコミどころ満載だが、一々ここで突っ込んでいたら先に進みそうに無い。 「そう」 「で、致す事になって…、相手が何か手慣れてるなぁ、と思ったと…?」 「そう」 「何が悪いんでしょう、それ…面倒な相手よりもいいんじゃなかと思うんですけど」 もしかしてこの人処女厨? いや、それは無い。何度か偶然見かけた今までの女性達は手慣れているどころか、手練れた玄人の様な女ばかりだった筈。 (まぁ、どうせ遊び半分に手出しただけなんだろうけど) 誰かに本気になるなんて想像もつかない。 そんな事を思いつつ、怪訝さを顔面に滲ませ、表情を歪めて見せる佐野を前に利桜はふぅっと肩を竦めた。 「悪いとは言ってないだろ」 「何、その人は結局初めてだったんでしょ。結局、どこが、何が嫌だったんすかっ」 小学校の教科書でも一度読み直して欲しい。 文法は正確に。 いい加減煮え切らない物言いに苛立ちが募ったのか、残りのおかずを一気に掻き込んだ佐野は頬を膨らませる。 はっきり言って欲しいと利桜を睨みつければ、斜め上を見つめ、次いで細めた、その双眸。 「別に。嫌じゃないって言ってるだろ」 じゃ、その不機嫌だった元はどこにあるんだ。 「はぁ?」 「ただ俺がきちんとイチから教えてあげたかったな、って思っただけだよ」 「………」 「どうも普段から一人でたまにやってたみたいでさ。快感の取り方も知ってて」 「………」 「ああ言うのって、ただ気持ち良いからってだけで自分から弄ろうと思う訳?それとも誰かを想ってやるもんなのか?」 「………」 「お前の歴代の恋人もそんな感じだった?」 「……どう、でしょう」 「そう言うのを考えてたら、少し複雑な気持ちになっただけだよ」 ーーーーーへ…ぇ、 言いたい事を言い終え、それなりにスッキリしたのか、利桜も残っていた食事を終えると『奢ってやる』と珍しく伝票を手に取った。 「あ、りがとうございます、」 こちらも珍しく殊勝な態度で頭を下げる後輩は、その後ろ姿を見て思う。 (ええっと…ええっと…そ、れって、えー…) 所謂、あれ、ではーーー? この男には世界一無いと思われる言葉。 (ヤキモチ…と、か、) ***** 聞くとやるとでは違う。 (よく言ったもんだぜ…) 朝起きる事も出来ず、昼になった今ようやっと活動を始めた忠臣は何とか一階まで降りてくると冷蔵庫から水を取り出した。 喉が未だに違和感がある。 少し乾燥したような、ガラガラ感。 「あー…、明日は学校行けるか…?」 出来るだけ万全にしておかなければ。 一々『こんな事』で身体が動かないだとか、学校を休んでしまうだとか、呆れられるかもしれない。
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