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尤も、もっと欲を出させてもらえるならば、『おかえり』ついでにハグの一つでもぶち込んで行きたいと言うのが本音だがこんな心情で今それを言う訳にもいかない。
はにかんだ笑みで少しだけ一歩だけ下がった忠臣はぐっと足を踏ん張り耐えるしかない。
「辛口…」
だが、ふっと呟いた利桜の声に弾けた様に顔を上げた忠臣は顔色を変えた。
もしかして、まずった?
甘口な人だっけ?
「え、か、辛口苦手だっけ?」
「いや、そうじゃなくて、」
あまりに狼狽してしまったのか、一瞬驚いた様に眼を見開いた利桜だが、すぐにその顔を破顔させた。
「忠臣って、甘口カレー食べてるイメージしか無かったな、って思って」
「それって…子供の頃の話じゃんかよ…」
「そうだけどさ、何か辛口食べる様になったんだよな、って思って」
何が面白いのか、そんな子供の頃の話をくすくすと笑いながら思い出している利桜に忠臣の眉間が狭まる。
愛おしいそうに笑うその顔だが、それは幼き日の自分と今の自分を重ねているのだろうか、なんて妙な疑念まで生まれてしまう。
これでは、まるで、
(俺なんて、それ以上になれないみたいじゃねーかよ…)
幼い自分に嫉妬するとか、そう言う次元ではない。
どう足掻いても、幼馴染以上何者にもなれないと、そう言われているかのような息苦しさ。
だから、かもしれない。
「でさ、忠臣」
「何…?」
いつもだったらすぐに着替える筈の利桜が上着を脱ぐとソファへと放るのを固い表情で見詰める。
「ちょっと話をしようか」
それと同時に発せられた利桜の言葉。
「…へ?」
「忠臣だって大人になったって事だよな。きちんと話したいんだ」
それは忠臣の思考を停止させると共に、じくじくと痛みを感じていた心臓にダイレクトに突き刺さってくれた。
(えっと…そ、れは、)
「な、んの話…?どういった、」
「座って」
口角を上げたままの利桜に促され、ソファへと近付いく忠臣の動きは硬い。
もしかして、この関係終わらせようか、なんてにこやかな笑顔で言われるのでは?
それともやっぱり女性の方がいいとか?
胃が引き攣るこの感覚。
ぎゅうっと絞られるそれは、額に脂汗を生産する。
「俺さ、今まで俺で経験しておけばとか言ってたけどさ」
「う、うん」
やはり、お別れ宣言?
胃が痛む、
やばい、リバースするかもしれない、
「それ忘れて普通に俺と付き合って欲しいんだけど」
ーー
ーーー……
ーーーーーん?
リバース云々は何処に行ったのか。
ぐわっと残像も残らぬ速さで顔を上げた忠臣の眼が普段の倍以上に見開かれている。
「…っ、あ、えお、どっ」
声も上手く出て来ない。
と言うよりも頭が回っていないのかもしれない。
何を言われたのか、分からない。もしかしたら自分に都合が良い様に聞こえているだけなのかもしれない。
それくらい聞こえてきた事に自信が無い忠臣は瞬き一つせずにただ眼を乾燥させるだけ。
「忠臣が好きだよ、だからちゃんと付き合いたいんだ。お前はどう?」
それとは反対に微笑む利桜の笑顔は瑞々しさも感じさせる程潤っている様に見える。
「え、っと、」
うっかりすれば見惚れてしまう。
だが、そんな場合じゃないのは分かっている。
返事、そうだ、返事をしなければならない。
(好き、って言われた、俺の事、好きだって、)
それは幼馴染でも、その延長線でも無い、純粋に向けられた言葉として受け取っていいものなのだろうか。
もしも、もし、そう、だったら、
(この勝機は逃したら駄目だろ…っ!!!)
「お、俺も利桜くんと付き合いたい、す、好きだしっ…!」
ガタッとソファから前のめりに利桜へと詰め寄る忠臣の声は力強い。
泣き虫で甘口カレーしか食べれなかった頃とは違うのだ。
「そっか、良かった」
伸ばされた手にも今度から色々と考えて遠慮する事も無い。
「よ、良かった、」
にこりと綺麗な笑みが、自分の物になったと言える。
「飯、食おうか」
「そ、そっか、えっと、温め直すから、着替えてきて」
現実味が全く無い上に、ふわふわとした足取りが覚束なさを感じるが、温めだした鍋から再び香るカレーの匂いにぶるりと身震いする忠臣ははぁーーーーっと大きく息を吐いた。
(う、嬉しい…、めちゃ、嬉しい…)
利桜が。
あの利桜が本当に好きになったと言ってくれた。
ふにゃっと表情が緩みそうになるのも、鍋を混ぜる手が震えそうになるのも仕方が無い。
「ちゃんとした、恋人同士…」
もっと甘えていいのだ。
もう少しだけ、ワガママも許されるかもしれない。
自分も利桜の特別になれたと言う事。
距離ももっと縮まる、すぐそこに、0センチに。
引っ越しをする前に見た、利桜とあの時一緒に居た女性の様に寄り添って歩いてもーーーー、
(…あれ、)
ーーーざわり
「…?」
悪寒にも似た背中を這う感覚に無意識に首を傾げる忠臣は一人、瞬きを繰り返す。
言い様の無い、説明し辛いこの感覚は一体何なのか。
そう、それはまるで幼い時に一人家で母を待っていた時の心細さに似ている様な、気がするのだが。
「…んだよ」
きっと利桜と気持ちが通じたから?
分かっている。
付き合えた、恋人になれた、想いが通じた。それが終わりではない、始まりなのだから、これから先きっと不安な事も今まで以上に増えるであろう事も。
(だからって…思い込むのも駄目だろ…!)
辛口のカレー味。
もう一度ぐるりと混ぜると、忠臣は火を止めた。
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