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緑の若葉の芽吹く
覚えてますか。
私があそこを出たとき、荷物は段ボールにたった三つと、大きくはないスーツケースだけだった。当面の必要なものだけ持って私は新しい土地に来た。
ちょうど今ぐらいの季節だったけれど、私も細かいことはよく覚えていないの。
あなたと離れ難かった。
あなたは私と別れることを、なんとも思っていなかったかもしれないけれど、私はあなたが大好きだった。だから、ごめんねと断っただけで、あなたのものをひとつもらった。あなたは少し嫌な表情をしたように思ったけれど、なにも言わなかった。
新しい場所へ来ても、私は忘れなかった。あなたの姿をよく思い出した。
ときどき一緒に夜の星を眺めたこと。嵐の夜はあなたを心配しながら眠りについたこと。
遠くの山並みに朱色の太陽が落ちていく。それを見つめるさまざまな私の近くに、あなたはいた。
そばにいるだけで私のかなしみは軽くなった。あなたといるだけで、心が落ち着いた。あなたはそんな私を見ているだけだったけれど。
小さな頃はよく一緒に遊んでくれた。柔らかい肌に触れ、見上げるのが好きだった。ちょうど新緑の頃の、美しい緑の若葉のついた枝を揺らす、風も好きだった。あなたも好きだったのかな。
風の噂で、あなたがいなくなると知った。
あれから何年も経ち、私も今いる土地から新しい土地へ移ることになった。
だからあなたの形見は、川へ流すことにします。あなたがくれた若い緑の葉も、ずいぶん茶色くあせてしまった。
形見がなくなっても、私は時々あなたを思い出すことでしょう。
切り株から、新しい若葉が芽吹く夢を見るでしょう。
ありがとう。
私の愛した銀杏の木よ。
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