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 戦いはしばらく息を潜めていた。  城にいる者はそれぞれの日々を過ごした。騎士は己を高めんと鍛錬に励み、魔術師は自身の目的のために研究や実験を重ね、執事は暮らしを支えるため忙しく働き、侍従は城の内外に目を光らせながら戦略を練っていた。  陛下はほとんどの時間を居室での瞑想に費やし、魔者の子は文武の修行に勤しんだ。  戦争の予兆は不意にやってきた。 「侍従様はいるか?」  中庭で魔術の講義をしていた魔術師と魔者の子の頭上に低い声が降ってきた。  声の主を認めて魔術師は苦い顔をした。 「……〈天敵(イアグ)〉か」  〈天敵〉と呼ばれた黒い影がカーテンウォールから飛び降りた。 「何の用だ?」  近づいてくる〈天敵〉に向かって魔術師が吐き捨てるように言った。 「そう怒るなって。面白い知らせを持ってきてやったんだからさ」  魔術師の真向きに立った〈天敵〉は薄く笑った。城の中では小柄な魔術師には、大柄で体格のいい〈天敵〉は立ちはだかる壁のようだった。しかし姿形だけで怯む魔術師ではない。 「つまらんことだったら消し炭にするぞ」  怒気をはらんだ声だが〈天敵〉は動じない。 「あぁ、楽しみにしててくれよ」  そう言った後、〈天敵〉は魔術師のそばにいる魔者の子に気づいて緑青色の目を向けた。 「……陛下の《秘蔵っ子》か」 「何だ、お前たち初対面か?」  魔術師が魔者の子と〈天敵〉を見やる。 「そう言われるとそうだな」  〈天敵〉は魔者の子に向き直った。 「俺はフヴェズだ。魔術師たちとは一応長い付き合いなんだ」  よろしく頼むぜ、と差し出したフヴェズの手を魔術師が払いのけた。 「こいつには関わるな。こいつの身に何かあれば残りの角を切るだけじゃ済まないぞ」 「俺の角はもう誰も切れないさ」  フヴェズは髪をかき上げた。額にあるはずのオーガを象徴する角が右は根本から、左は半分から先がなかった。 「どうだか。お前は嘘つきだからな。隙をついて盗みに来るかもしれん」  魔術師の声は侮蔑と嫌悪が滲んでいた。  フヴェズは一瞬睨むように目を細めた。 「これ以上の興味はないさ。俺には《貴婦人(バード)》がいるからな」  ——オーガめ。  魔術師は舌打ちして背を向けた。 「来い」  それだけ言うと歩き出した。 「相変わらず気難しい」  フヴェズは同意を求めるように魔者の子を見やり、薄い反応に肩をすくめて魔術師の後を追った。  三階の玉座と呼ばれる大広間に通されたフヴェズは、敷物の上に置かれたクッションに座って陛下の到着を待っていた。  騎士や侍従も同座している。  魔術師は窓のそばに置かれた物入れを兼ねた椅子に座り、執事だけは出入り口の横に控えて距離を取っていた。  やがて呼びに行った魔者の子が戻ってきて、続いて陛下が姿を現した。 「ご機嫌麗しゅう、陛下」  高座に腰掛けるのを待って、フヴェズが慇懃に挨拶した。 『久しいな』  陛下は無表情に応えた。 「それで、面白い話ってのは?」  魔術師が口を挟む。 「気が短いな」  フヴェズは肩をすくめた。 「与太話だったら時間の無駄だからな」  魔術師の視線は冷たい。 「〈黒鷲(アクィラ)〉が来たぞ」  フヴェズの言葉で場の空気は一気に張り詰めた。異様な緊張感の中、侍従が口を開いた。 「やはり〈黒鷲〉だったか」 「何だ、知ってたのか?」と騎士。 「……最近、西の方に強い力を感じて使い魔を飛ばしたが」 「全部墜とされたんだろ?」  フヴェズが薄く笑った。 「俺もあんたほどじゃないが使い魔を遣ってみたんだ。だが全滅さ。ただかろうじて見られたんだよ、〈黒鷲〉の隊長をさ」 「〈中央〉の死神か。面倒な奴が来たな」  魔術師が苦い顔をした。 「たしかに今、この島には異質な力を持った奴らが進駐している。そいつらが〈黒鷲〉の連中ってことか」 「そうだろうな」とフヴェズ。 「で、その〈黒鷲〉ってヤバい奴らなのか」  騎士に問いにフヴェズが唸った。 「ヤバい奴らだ。あんただって聞いたことあるだろう? 〈中央〉の名門四家の一つ〈白鳥(オルロ)〉家を滅ぼした死神——ヨハンの名を」  島から遥か北西の地に〈中央〉と呼ばれる大陸があり、そこには魔術に長けた者が集まって出来た国がある。集まった、というより魔者でありながら魔力を持ち、魔術を扱えるという理由で忌み嫌われ迫害された者たちが救済を求めて辿り着いた、と言う方が正確である。  それゆえに、魔力を崇拝し、その玉座に魔力の最大の理解者であるエルフを頂く宗教国家という形になったのは必然とも言える。  エルフの王の下に四つの軍——〈獅子(レオニス)〉、〈(ルプス)〉、〈雄牛(タウルス)〉、〈白鳥〉があり、それぞれ血族と、各地からの志願兵で作られた強固な結束による圧倒的な軍事力で世界に名を轟かせている。  その中でも特に有名だったのが〈白鳥〉家であり、四家の中で一番歴史の浅い家だったが〈中央〉に伝わる独自の術——〈庭〉をほぼ完璧に発動させることが出来る唯一の一族だった……。 「〈中央〉でも最上級の使い手が揃った〈白鳥〉家は、史上最も強い一族だと恐れられていたが、たったひとりに皆殺しにされた。〈白鳥〉の血を継ぐものは幼子から老人にいたるまで遍く殺され、その血統はひとりを残して途絶えてしまった——その生き残ったひとりが一族を皆殺しにした張本人だ。名をヨハン。通り名は〈黒鷲〉のヨハン」  フヴェズの言葉にさすがの騎士も息を呑んだ。 「何だって自分の家族をぶっ殺したんだ?」 「さあな。……だが、ただのイカれ野郎じゃないのは、奴が今も〈中央〉に身を置き、〈黒鷲〉という一部隊を授けられていることが物語っている」  魔術師がやや苛立った声を上げた。 「奴の来歴なんてどうでもいいが、〈黒鷲〉が来たってことは、〈英雄〉側はいよいよなりふり構わず決着をつけようって肚だろ」  そう言って侍従を見やる。 「……〈庭〉か」  侍従はため息のように吐き出した。 「ただでさえ厄介な術なのに、死神が創るんだったらこの島の三分の一は軽く吹っ飛ぶぞ」と魔術師は怒気を強めた。 「そんなにヤバいのか?」  騎士の問いに魔術師は唸った。 「ヤバいな。かつて一度だけ〈庭〉を見たことがあるが……あれは虐殺だ。いや、それ以上だ。なにしろ囲った空間をまるごと消滅させるんだからな」と魔術師は嘲笑った。  無表情、無感動を絵に描いたような魔術師がここまで感情的になるということが、いかに〈黒鷲〉や〈庭〉が恐ろしいかを何よりも雄弁に語った。  侍従も騎士も押し黙っている。 「……どう足掻いたって戦うことはハナっから判ってたはずだろ」  フヴェズはいやに明るい声で言った。 『然なり』  陛下の美しい声が静かに大広間に響いた。 「そうだ。恐れることはない。勝てば良いのだ。そんな術など我らで蹴散らせる」  侍従が朗らかな声で応じる。 「なぁ」  侍従を横目に騎士がフヴェズに声を掛けた。 「〈守護(ラールウァ)〉は〈中央〉にいるんだろ?」 「〈守護〉? ……あぁ、〈中央〉の王の〈守護〉か。そうだ。奴らは〈中央〉にいる。なんたって王直属の護衛兵だからな」 「その〈守護〉も来てるんじゃないのか?」  魔術師はフヴェズを睨んだ。 「その通りだ。〈守護〉から一匹、隊長ヨハンの護衛役って感じで一緒に来てるぜ」 「本当か」と魔術師が詰問する。 「あぁ。多分〈槍手(ランサー)〉だ」  騎士が勢いよく立ち上がって歌うように叫んだ。 「〈槍手〉! やっと戦えるな」 「静かにしろ」  侍従が顔を顰める。 「因縁でもあるのか」  フヴェズの問いに騎士はニヤリと笑った。 「ない。が、これから出来るかもな」  要領を得ないフヴェズに魔術師が助け舟を出した。 「このエルフ殿はとにかく強いと名を馳せる奴と戦いたいんだよ。その〈槍手〉って奴は強いんだろ。〈守護〉の一族なら」 「あぁ、強い。王の護衛の為に創られた一族だからな。どの国も〈守護〉の力を借りたがってるが、〈中央〉は決して外には出さなかった。今回、〈槍手〉が来たことは異例中の異例だ。警戒するに越したことはないぜ」 「それはご忠告どうも」  魔術師は薄く笑った。 「〈黒鷲〉と〈守護〉か。決して負けることなどあり得ないが……、用心しておくか」  侍従は顔を上げて一座を見回した。 「いよいよ我らこそが勝者であると〈英雄〉らに教える時が来た。心してかかれ」
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