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 英雄率いる〈国王軍〉——正確には英雄は〈アルトス傭兵団〉の団長であり、傭兵団は国王軍の一軍団にすぎないが、実質的な指揮官として〈国王軍〉の中枢を担っている——と〈中央〉から援軍として派遣された〈黒鷲(アクィラ)部隊〉の連合軍は、島を東西に分断するように流れるロタ川を越えて軍を進めてきた。  ひんやりとした夜風が魔術師の頬を撫でた。肌寒さなど気にも留めず、自身の居室がある城塔の最上階——テラスの胸壁に腰掛け、ロタ川のある西の方角をじっと見つめている。 「寒くないのか?」  背後から騎士の声が響いたが、魔術師は振り返らない。  騎士は軽い身のこなしで魔術師の隣の胸壁に飛び移り、同じように西へ目を向けた。 「来てるのか?」 「……あぁ」 「強そうか?」 「……あぁ」  騎士は虚を衝かれて一瞬言葉を失った。 「……お前がそう言うなら、今回は本当に強いんだろうな」  魔術師は答えず目を瞑った。両手を顔の前に掲げ、大きく息を吸い込んだ。束の間の静寂の後、不意に空気が震えはじめる。  騎士の髪が不思議な風に揺れる。魔術師が目を開けて息を吐くと両手の先に使い魔が出現した。行け、というように手を振ると使い魔は西の方へ飛び去った。  騎士は息を漏らした。 「相変わらず綺麗だな」  魔術師はわずかに騎士を見やって言った。 「何の用だ?」 「何って、お前に会いに来たんだけど」  騎士は美しい笑みを魔術師に向けた。 「……大方、〈槍手(ランサー)〉を確かめに来たんだろ」 「ご名答」  騎士は笑みを深めた。  魔術師は鼻を鳴らして再び目を閉じた。 「……大群だ」 「奴はいるか?」 「ちょっと待ってろ。変な術が張り巡らされてるから操作が難しい……」  魔術師の眉間に皺が寄る。 「いた。〈隊長〉だ」  忘れもしないこの顔だ、と魔術師は呟いた。 「どんなだ?」  騎士は身を乗り出す。  魔術師は無言で左手を騎士に向けた。  騎士は陶壁に腰掛けて首を垂れた。魔術師は騎士の頭上に手をかざした。 「こいつが〈隊長〉……」  騎士の閉じた瞳の奥に〈隊長〉の姿が浮かぶ。天幕を張った陣営の中、ひとり離れて座っている。 「その近くにいるのが〈槍手〉か?」  すこし離れたところで〈槍手〉と見られる人物が大勢の兵士に囲まれて談笑している。 「多分な。こいつだけ異質だ」 「他に来てる奴はいないか……」  次の瞬間、うっと呻いて魔術師の体が傾いた。騎士はすかさず飛んで魔術師を抱きとめた。 「油断した」  やられた、と頭を抑えながら魔術師は唸る。 「誰に? 〈隊長〉か?」 「……いや違う。近くにいた術者だろう。最後にこっちを見た、白濁した目の奴だ」 「噂に違わぬヤバい奴らだ」  魔術師は当然のように回された騎士の腕から逃れて立ち上がった。 「この程度でヤバいなんて言ってたら、明日の戦いは絶望的だ」 「判ってるさ」  騎士は自信に満ちた笑みを浮かべた。どこかオーガの笑みを思わせるのは、強さに取り憑かれ飽くことなく戦いを欲しているからだろうか、と魔術師は鼻に皺を寄せた。 「……偵察は終わりだ」  そう言って魔術師は扉に向かった。 「なぁ」  騎士が声をかけた。魔術師は肩越しに騎士を見やる。 「明日が終わったら、会いに行くか?」  誰に、とは魔術師は訊かなかった。  魔術師がただひたすら会いたいと願い続けるそのひとは、騎士に命を握られてどこかに隠されている。 「……」  騎士の髪を不穏な風が揺らした。それに気を留めた一瞬の後に魔術師は姿を消していた。  騎士は魔術師のいた場所を見つめた。 「あのオーガは出て行ったようですね」  陛下の居室に侍従の声が響く。 『構わぬ』  静かな、しかし感情のない声が返ってきた。  陛下は寝台に腰掛け、侍従は相対するように置かれた椅子に座っている。その距離はややあるが、陛下の放つ威圧感に侍従は押し潰されんと耐えながらこの場に留まっている。  侍従は咳払いをして本題を切り出した。 「先程、魔術師が偵察を行いまして」  侍従は魔術師の使い魔を呼び寄せ、成果を映像にして中空に映し出した。 「ロタ川を越えたこちら側の平原に前衛が展開し、廃墟を利用した砦を川上と川下に急造しています。本陣は対岸の奥に据えられているようです。前衛には〈国王軍〉と〈黒鷲部隊〉の連合軍、本陣には〈隊長〉と〈槍手〉の小隊が詰めている模様です」  陛下は目を閉じて聞いている。 「そして〈庭〉ですが……」  扉の開く音が侍従の言葉を遮った。魔者の子が姿を現すと侍従は鋭い視線を向けた。 「上へ行くが良い。いま陛下は私と大事な話をしている」 『構わぬ』  陛下はこともなげに言った。 「へ、陛下……」  侍従はうろたえたように陛下を見たが、 『知らなむ話ぞ』  有無を言わせぬ口調だった。 「……御意」と侍従は首を垂れた。  陛下は魔者の子を見やる。 『来よ』  とげとげしい侍従の視線を受けながら魔者の子は陛下のそばに歩み出た。座るように手で促されて寝台の脇に腰を下ろした。 『申せ』 「〈庭〉ですが、魔術師の申すところその規模はこの島の三分の一に及ぶそうです。そうなれば対岸の奥にあるトラキスの丘から奴らの本陣までが範囲となります。高度な術なので発動には時間がかかり多くの力を必要とするとのことで、突出した前衛は発動までの時間稼ぎと見え、開戦後一気に前衛を突き崩せば〈庭〉の発動を前に決着しましょう」  陛下は唇の端をわずかに歪めて笑うように息を吐いた。 『〈守護(ラールウァ)〉は』 「〈守護〉には騎士を当たらせます。魔術師はその血に興味を持っているようで生捕りを所望していますが、なにせ《混成種(クラテール)》——それもあらゆる種族の血を混ぜた怪物——ですから、予想だにしないことが起こりうる可能性が甚だしいので、騎士には必ず殺せと厳命しています。……まぁこちらの言うことなど聞くような奴ではありませんが、圧倒的な強さを誇る〈守護〉の中でも当代随一との呼び声も高い〈槍手〉が相手ですから、生きて逃すなどと手ぬるいことは許さないかと」  ひと息ついてから侍従は報告を続ける。 「そして〈隊長〉ですが、あのオーガが申した通り、自らの一族を滅ぼした化物でして強さは〈守護〉にも引けを取らないとのこと。特筆すべきは〈庭〉を三度発動させたことです。並の術者なら一度の発動でさえ命を落とすという至難の術を三度行うとは、〈中央〉のなかでもわずかでしょう。しかしさすがに四度目は十死の業となることは必定。とはいえ、発動さえさせずに葬ってみせましょうぞ」  侍従の声が熱く響いた。 『……侍従よ』  陛下の声が熱を冷ます。 『任す』  侍従は息を飲み、やがて我に返って深く頭を下げた。  陛下は魔者の子に目を向けた。銀の眸が魔者の子の黒い瞳と出会う。 『付き従え』  侍従は怒りに震えたが、陛下の一瞥でそれを改めた。 「た、確かにこやつも戦力に……なるが」とぶつぶつ文句を言っていたが最後は納得したようで、おもむろに席を立った。 「では陛下。私めはお暇させていただきます」  侍従はまた深々と頭を下げ、扉に向かった。 『侍従よ』  部屋を出ようとする侍従に陛下が声をかけた。振り返った侍従に陛下は穏やかな笑みを見せた。 「……」  侍従は小さく首を垂れて扉の奥に消えた。  侍従の後ろ姿を見届けてから魔物の子が立ち上がった。  陛下が手を伸ばしてその手首を掴んだ。  魔物の子は引き寄せられるように陛下と向き合う。 「明日は出づ」  陛下は魔者の子を見つめた。  魔者の子は一度大きく瞬きをして頷いた。 ——滅ぼすのだ、なにもかも  誰ものともしれない声が頭の中にこだました。微睡みの中で聞いたそれは夢だったのかもしれない。隣に眠るものが見せた幻覚かもしれない。この腕に感じる熱さえ嘘なのかもしれない。  そしてまた暗闇に溶けていく——。
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