過去の夢 1

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過去の夢 1

 夢の中だというのに、意識がはっきりしていた。  これは自分が見ている夢だ。そうはっきりと自覚しているのに、自分の意志で目を覚ますことができない。まるで、意識を夢の中に閉じ込められたようだった。  それは、廃墟の夢だった。  冷たい鉄筋コンクリートでできた、学校のような廃墟。壁や天井、床のいたるところにヒビが入り、崩壊している箇所も少なくない。窓ガラスは残らず割れて、細かい破片が床を埋め尽くしている。切れかけた蛍光灯がちかちかと不規則に点滅している。廃墟の所々には、不気味な血の跡があった。  廊下はどこまでも無限に伸び、階段の踊り場からは、果ての無い階段が上にも下にも続いている。窓の外は、いつだって闇が立ち込めている。その不気味な空間に、出口はなかった。  瑞葉が悪夢を見るようになったのは、ちょうど十日ほど前からだった。  はじめは毎日同じ夢を見るからと言って、そんなに気にはしなかった。高校生活が始まって、いろいろと大変な一ヶ月が過ぎたばかりだ。疲れているんだろうと思っていた。けれど、夢の中を徘徊する化け物の姿を目にしてから、夢は恐ろしさを増した。  夢の中に、自分以外の何かがいる。化け物の姿をした恐ろしい何かが。  無限に広がる廃墟の中をさまよいながら、ずっと自分のことを探している。自分を殺そうと、狙っている。見つかってはいけない。絶対に。  それなのに、眠りにつくたびにまるで引きずり込まれるように、気がつけばいつも同じ夢の中にいる。それはまるで、自分の夢を、何かに乗っ取られているような感じだった。  その日も、いつもの悪夢に苦しんだ後だった。  日曜の早朝。わざとセットしておいた携帯のアラームで、瑞葉は夢の中から救い出された。着替えをして居間に入ると、休日出勤で出掛けるしたくをしていた母に驚かれた。 「友達と出掛ける約束なの」  寝癖のついた髪をいじりながら、小さな嘘をつく。少しだけ母に悪い気がしたが、いろいろと心配されるのはごめんだった。  後ろめたさを隠すように広げた新聞から、何かがひらりと舞い落ちた。一枚のチラシだ。真っ白な、何の特徴も無いチラシに、なぜか瑞葉は目を奪われた。  あなたの悪夢、解決します。  おかしなキャッチコピーだな、と思ってよく見ると、近所にオープンした占い館のチラシだった。広げたばかりの新聞をたたみ、黒字一色で適当に書かれただけのチラシを、食い入るように見つめる。  悪夢が続く方、ご相談ください。占い館、貘。  見出しより少しだけ小さな文字で、短い文章が書かれていた。あとは占いの案内や店の住所、連絡先が列記されているだけだ。怪しいことこの上ない。 「朝食、用意してあるからちゃんと食べなさいね」  いってきます。母が部屋を出て行く。 「いってらっしゃい」  瑞葉は、チラシを見つめたまま、呟くように言った。  新築の建物が、目の前にある。右隣は今にもつぶれそうな雑貨屋。反対側は民家。 「喫茶店…?」  瑞葉は思わず呟いた。そんなはずがない。住所は合っているのだから。  しゃれたドアにはオープンと英字で書かれたプレートが下がり、大きな窓はぴかぴかに磨かれている。入り口の側にはプランターがある。その横に、お勧めメニューを書いた看板が立っていても、少しも不自然には見えないだろう。  しかし、入り口の脇には、貘と書かれたシンプルな看板が出ているだけだった。その下に、本日オープンと乱雑な字で書き足されたチラシが貼り付けてあった。瑞葉の元に届いたものと同じチラシだ。  瑞葉は恐る恐る扉を開けてみた。 「いらっしゃいませ」  入り口の向かいのカウンターで、女の人がにっこりと笑った。  外見と同じく、内装もまるで喫茶店のようだった。店内には、四人掛けのテーブルがいくつも並んでいる。窓から入った日差しが、新品の木目を照らしている。 「あの、占い館…ですよね?」  瑞葉が不安そうに尋ねると、カウンターの従業員はにっこりと笑った。 「そうですよ」  そのとき、カウンター脇の扉が勢い良く開いた。 「楓ちゃん、客っ!?」  部屋に飛び込んできたのは、大学生くらいの外見の青年だった。染めたように真っ黒な髪が目を引く。楓と呼ばれた従業員が、くすくすと笑った。 「お客さんです。久遠(くおん)さん、いますか?」 「おっしゃぁ。客一号ゲットっ!!」  男が両手を上げて喜ぶ。その背中を、開け放したままの扉の向こうから、大きな革靴の底が襲った。バランスを崩して、男が勢いよく床に倒れる。思わず悲鳴を上げる瑞葉に、倒れた男がうつぶせのまま片手を上げた。大丈夫、ということだろうか。 「いてて…」 「うるさい、恒哉。邪魔だ」  恒哉と呼ばれた男の後ろから、もう一人、別の男が現れる。痩身で、傷んだ茶色の髪をした男だった。歳は恒哉とそう変わらないだろう。 「久遠さん、お客さんです」  楓が苦笑を浮かべながら、男に向かって言った。久遠と呼ばれた男は、瑞葉に目を向ける。  店の奥には、他より少しだけ大きいテーブルと、革張りのソファが二つ、向かい合わせに置かれていた。久遠は壁際のソファに座ると、向かい側を示した。 「どうぞ」 「怖くないから、大丈夫ですよ」  据わった目で促され、正直かなり戸惑ったが、楓に笑顔でそう言われては帰るわけにもいかなくなった。瑞葉はぺこりと頭を下げると、遠慮がちにやたらとふかふかのソファの端に座った。お尻が沈みすぎて怖い。帰さないぞと言われているみたいで、怖い。 「占い館、貘へようこそ。俺は占い師の紫藤久遠だ。よろしく」  久遠が右手を差し出してくる。 「えっと、高瀬瑞葉です。よろしくお願いします」  握手をしながら、もう一度頭を下げる。 「手相の診断から、タロット占い、水晶占い、夢占い、何でもできるが、今日はどういった用だ?」  久遠が聞いてくる。妙に威圧的な口調に、瑞葉は、少し困った表情をした。 「おい久遠。おまえ、客には敬語使えよ、敬語」  カウンター席に座った恒哉が、横から口を挟んでくる。 「うるさい、恒哉」 「ごめんな、瑞葉ちゃん。こいつ面の皮が人より化け物級に厚いけど、許してやって」 「恒哉。おまえも年上の人間には、敬意を持って接するべきだと思うが」 「あの、お二人とも。瑞葉ちゃん、困ってますよ」  楓が久遠と瑞葉の前にティーカップを置いた。テーブルの中央には、クッキーの乗った皿と、シュガーポットが置かれる。久遠がシュガーポットから角砂糖を紅茶に入れていく。一つ、二つ、三つ…。甘党なんだろうか、この人。 「で、何の用だ?」  久遠の手元に気を取られていた瑞葉は、はっとして朝刊に挟まっていたチラシを取り出した。 「あの。私、最近悪夢が続いているんです。それで、相談にきたんですが…」 「やった、久遠。いきなり貘の依頼じゃん」  カウンターで、恒哉が声を上げた。 「うるさいって言ってるだろ、恒哉。黙れ」 「だって嬉しいじゃん」  久遠がため息をついた。 「岸田、書類」  楓が、何枚かの書類を持ってきた。その内の一枚にボールペンが添えられ、瑞葉の前に置かれる。紙には、氏名や住所を書く欄があった。 「夢の内容を覚えてるか?」  瑞葉は頷き、廃墟の様子を詳しく説明した。  一通り話を終わらせ、瑞葉が口を閉じる。話の間中一言も口を挟まなかった久遠が、難しい顔で足を組んだ。 「高瀬瑞葉」 「はい」 「おまえは、夢魔に憑かれている」  おまえはもう死んでいる?思わず頭の中で似たような語呂のセリフを探してしまった。  聞きなれない単語に、脳が戸惑っている。瑞葉は一人、首を振ると、聞き返した。 「夢魔…ですか?」  久遠が頷く。 「夢魔ってのは、人の夢に潜り込み、人の体を乗っ取ろうとするモノだ。放っておけば、おまえの精神は弱り、体の主導権を夢魔に奪われる」  あんまり脅かすなよ。恒哉が言った。久遠は無視して続ける。 「夢魔を倒すには、貘を夢に呼び込むしかない」 「……貘?」  鼻の長いサイの姿が浮かぶ。そのバクではないはずだ。  一人脳内ツッコミを繰り広げる瑞葉に久遠は頷いて、オレや恒哉がそうだ、と言った。意味がよくわからず、瑞葉は首をかしげる。 「貘ってのは、人の夢の中に入り込める人間のことだ。夢魔に憑かれた人間の夢に入り、夢魔を倒す」 「夢に、入る?」  久遠は皿に乗ったクッキーをつまみあげて頷いた。 「文字通り、夢に入る」 「久遠、どっちが行く?」  恒哉がどこか楽しそうに言う。久遠は恒哉に顔を向けた。 「おまえが行け」 「おっしゃ」  まかせとけ。恒哉が瑞葉に笑顔を向けた。 「岸田、楔。青いほう」  久遠が紅茶に手を伸ばしながら言った。楓が返事をする。久遠は紅茶を一口飲み、砂糖を足した。  楓が、小さな木箱を運んできた。 「どうぞ、瑞葉ちゃん」 「……これ、何ですか?」 「開けてみ」  恒哉が嬉しそうな顔で寄ってきて、呟いた。  恐る恐る木箱の蓋を取ると、中から掌に収まるくらいの小さな楔が出てきた。銀色の楔で、青い宝石がはめ込まれている。楔には長めのチェーンがつけられている。久遠が楔を指差した。 「今日から、眠るときは忘れずにそれをつけろ」 「……はい?」  状況が飲み込めていない瑞葉は、不思議そうに返事をした。 「貘っていうのはさ、人の夢に入る能力を持ってるんだ。新米の貘は、その楔がないと人の夢には入れない」  恒哉が説明する。 「ま、俺も久遠ももうベテランだし、楔が無くても夢には入れるんだけどな。楔を渡しておけば、それが目印になるんだ」  よくはわからないが、瑞葉はとりあえず頷いた。 「今日から、おまえの夢に恒哉が入る。バカなやつだが、貘としての腕は確かだ。そんなに心配はいらない」 「バカっつーな」  久遠の言葉に、恒哉が反論する。二人のやりとりが賑やかで、張り詰めていた気持ちが不意に緩んだ感覚がした。気が付けば、思わず笑ってしまっていた。
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