第一章 それは昨日、ネイルバトルから始まった

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 放課後の教室で、向かい合わせにピッタリと並べられた机の上。  フィールドと呼ばれる水槽のような囲いの中を猛突進する私のペット――サイ。灰色の、ゴツゴツした岩のようなサイが、フィールドの隅で待ち構えるキツネに向かって突っ込んでいく。 「ちょっ、待って。止まって! 私、そんな命令してないっ!」  慌てて指先を振る。ブンブン振る。「待って、待って」と叫んでも、サイに私の声は届かない。  キツネはフィールドの隅でさらに小さく体を丸めた。  あんなに隅っこで待ってるなんて、絶対に健のワナだ。ここはまず、様子を見なきゃ。 「止まってってば! 止まれー!!」  縦にならんだ大きなツノをさげて、サイは脇目も振らずキツネに襲いかかった。  あ、終わった……私は、負けた。初めてのネイルバトルで。  クラスメイトが見守る中、小さな金色のキツネにのどを喰いつかれて、サイはあっけなく横倒しになった。もがく暇もなく。  バトルフィールドを散々走り回されたあげく、このありさま。サイの鎧のような分厚い皮膚も、相手にさわれもしなければ宝の持ち腐れだ。 「そんなぁ……」  信じられない。いくら私が初心者だからって、サイがキツネに負けるなんて、そんなバカな話はない。これが現実なら、サイはライオンにだって勝つこともあるのに。 「ズルだ! イカサマだ! 絶対になにかしたでしょ!」  太股の横でギュッと拳を握り締め、健をにらみつける。  家が隣の幼なじみ――稲荷(いなり)健。  中学生になってちょっと背がのびたくらいでこんなに生意気になるなんて。  小学校のころはちびっ子で、いつも私のうしろをチョコチョコついて回っていたクセに。 「は? そんなこと、するワケないじゃん。みんなが見てるのに」  自分の何倍もある大きなサイを倒したキツネが、フィールドの中で軽々と宙返りして、健の目の前に着地する。  最初は男子ふたりだったギャラリーも、周りにいた女子グループも加わって、いつの間にか山のような人だかりになっていた。 「さすが、健! 一年A組の最強説!」 「ネイルバトル常勝、挑戦者求む!」 「健くんのキツネ、カッコいいー」 「カッコいい? かわいいじゃん」  クラスメイトの声援の中、山岡(やまおか)くんが健の肩に握り拳を押し当てる。 「スゲェな、どうやって倒したんだよ。サイなんて噛みついたくらいじゃ普通勝てないだろ?」 「ただの体力切れだよ。無駄に走りすぎた、ってだけで。ここの勝利かな」  健がツンツンと頭を指さす。ネイルをつけた指先で。ムカつく。  大きな笑いが教室で渦を巻く。頭の上から降ってくる笑い声に、私は首をすぼめて背中を丸めた。  うう、恥ずかしい。昔と立場が逆転だ。  健のクセに、健のクセに、健のクセに……  小学校のころの健は気が弱くて、いつも私が仲間の輪に入れてあげていたんだから。そりゃあ、勉強は私の方が全然ダメだったけど。運動なら健どころか誰にも負けたことはない。それなのに、それなのに。  そうだ。これはきっと、あれだ。全部ネイルバトルが悪いんだ。そうに決まってる。  と言ったところで、影西(かげにし)中で流行っちゃってるんだからしょうがないけど。 「おー、おまえたち、早く帰れよ。学校で遊ぶのも大概にしておけ~」  みんなが一斉に教室の入り口を振り返る。そこには、引き戸に手をついた、あきれ顔の田浦(たうら)先生が立っていた。 「他の先生たちに目をつけられるぞ。俺は優しいからいいけどな」  ちょっと浅黒い顔に白い歯をニカッとのぞかせて笑う。私たち一年A組の優しい担任。  田浦先生は授業中に遊びさえしなければ、たとえ学校にマンガ本を持ってきても怒ったりしない。  だから、教室でのネイルバトルも堂々とできるってワケ。他のクラスや上級生なんかは、ネイルを没収された人もいるらしい。  私は一年A組でよかった。ラッキー。 「じゃあ、ルールだから遠慮なくこれはもらうね。聖子ちゃん、ありがとう」 「あっ……」  健が私の指先からグレーのネイルチップをはずす。上目づかいで私を見ながら、少しだけ申し訳なさそうに。そんな顔されたって、私の気は晴れない。  健は金色のネイルが輝く指先をすっと横に振ってフィールドとペットを消すと、床に置いてあるカバンから缶ペンケースを取り出した。パコンと音を立てた缶ペンケースの中には、敷き詰められた白い布の上に、カラフルなネイルチップがキレイにならんでいた。 「ほう、こうやって見るとネイルも綺麗なもんだな」  田浦先生は無精ひげをなでながら、クラスメイトに混ざって缶ペンケースをのぞき込む。  健は私から奪ったネイルを缶ペンケースにならべて、機嫌よさそうにフフッと鼻を鳴らし田浦先生を見上げた。 「先生もネイルが好きなんですか?」 「そういう言い方は方々に誤解を招くからヤメてくれ。カプセルトイは大好きだけどな。コレクター心がくすぐられるって言うか、レアものが手に入ると興奮するよな。ネイルはまだ持ってないんだが」  田浦先生はまるで子供のようにキシシと笑った。  教室に、ドッと笑いの花が咲く。私の不愉快な気分とは裏腹に。  生まれて初めて手に入れたオシャレアイテムがペットネイルだった。  恥ずかしいのを我慢して、駅前のガシャマシーンでネイルを買ったのが昨日。  たった一日でそれを手放す羽目になるなんて、まさかそんなこと思いもしなかった。  悔しくて、悲しくて、閉じていく健の缶ペンケースを見つめて唇を噛む。 「あ、聖子ちゃん。バトルならいつでも受けて立つから、また遊ぼうね」 「……バカッ! 健なんて大っ嫌い!」  床に置いたカバンを肩にかけ、私はひとり教室を飛び出した。
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