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急いで制服を着替え、小銭入れをスカートのポケットに突っ込むと、私は階段を駆けおりた。
玄関に置かれた大きな段ボールを……なにが入ってるんだろう? 意外と重いんだけど。
靴を履きながら段ボールのフタを少しめくって、そっと中をのぞき込む。
私が小学校の時の教科書とノート。おまけに、お母さんが後生大事にファイリングしてた私のテストまで。
これは確実に封印されるべき黒歴史だ。蔵なんかに片づけず、灰にしたい。
ふと顔を上げると、磨りガラスの引き戸の向こうに黒い人影。お客さんかな?
引き戸に手をかける。カラカラとかわいた音が玄関に響く。
そこに立っていたのは、制服姿の健だった。
「ど、どうしたの? 珍しい」
小学校のころは、よくお互いの家を行き来していた。けど今は、お母さんの用事で健の家に行くことはあっても、中にあがって遊ぶことはなくなった。健は健で、親のお使いですらウチに来なくなっていたし。
「いや、どうしてるかな、って思って」
私を気にしてきてくれたのか、な? そう思うと、ちょっとドキッとした。
健はジッと私の目を見つめて、スッと拳を差し出す。
キョトンとする私の前で、健はその握った手を開いた。そこには、見覚えのあるツヤツヤしたグレーのネイルチップがあった。
「なに、これ?」
「初めて買ったネイルだったんだよね? やっぱり返した方がいいかな、って思ったから」
「え? なんで? 私、バトルで負けたのに?」
「だって、ボクが初心者に負けるワケないんだし、聖子ちゃんにも悪い……」
「変な同情、ヤメてよ! いくら私が初心者でも、ネイルバトルのルールくらい知ってるんだから」
「そうだけど……」
オロオロする健の前にすっと寄る。
気がつけば、私よりもずっと小さかった健の身長は、いつのまにか同じくらいになっていた。
「でも、じゃない。それでも返すって言うなら、もう二度と健とバトルなんてしないから!」
心にもないことを口走ってしまった。
今日だって、自分からバトルを仕掛けたクセに。
負けたけど、悔しかったけど、悲しかったけど、健とまたネイルバトルをしたいって思ったのが本音だ。手加減なんていらない。本気の健を倒したい。
健は意外にも、嬉しそうに顔をほころばせた。
「じゃあ、返さなかったらまたバトルしてくれるんだね?」
「え、あ、まぁ、うん、これ片づけたらネイル買いに行く予定だったし」
チラリと段ボール箱に目を落とすと、いきなり健に両肩を捕まれた。
「それ、僕もいっしょに行っていい?」
ちょっ、なにこの体勢? 近い、顔近い。離れて。変な汗が出てくるから。
そんな子犬のように、目をキラキラさせないで。
健はネイルを奪った敵であって、簡単に手の内をさらすワケにはいかない。
最初から、私と健の間にはとんでもない力の差があるんだ。それは今日のバトルでイヤというほどわかった。まずは対等に戦えるレベルにならなきゃ。
「ダメダメダメー! 今度はちゃんとペットを馴らしてからバトルに挑むから、それまで楽しみに……じゃない、首を洗って待ってなさい!」
言っちゃった。宣戦布告。健の手を振り払って。
健は目をパチクリさせる。けどすぐに、挑戦的な目で私を見てニヤリと笑った。
「わかった。そこまで言うなら、いつでも相手になるよ。けど、次も絶対に僕が勝つから」
「な、そんなのやってみなきゃわからないじゃん」
「わかるよ。だって、聖子ちゃんは昔からゲームとか苦手だったし。コマンドが覚えられないって文句ばかり言って」
腰に手をあてて、健は勝ち誇ったようにフフンと鼻を鳴らした。
小学校のころ、対戦型のテレビゲームでどうしても健に勝てなかった。それ以降、私が健とゲーム勝負をすることはなくなった。
「勝負は勝たなきゃ意味がない」なんて言いながら、私は今まで勝てる見込みのある勝負しかしてこなかった。
ネイルバトルも、何度か挑戦して勝てなかったら逃げ出すのかな? なんて思ったら、急に恥ずかしさで顔がアツくなった。
「負けない……」
「え?」
「絶対に健なんかに負けない! 今日は負けたけど、次も勝てるかどうかわからないけど、勝つまでずっと続けるから、絶対に負けない!」
「すごい理屈だね。じゃあ、なおさら僕は負けられないな」
顔をクシャリとゆがめてへへッと笑う。
久しぶりに間近で見たな、健のこんな笑顔。と、こんなことをやってる場合じゃない。
早く段ボールを片づけて、ガシャマシーンをやりに行かないと。
「健、調子に乗って、私と戦う前に負けないでよね!」
「ハイハイ。じゃあ、楽しみに待ってるから、またいつでも声かけてね」
満足気に笑うと、健はクルリと背中を向けて駆け出した。すぐに立ち止まってもう一度こっちを振り返ったかと思うと、大きく手を振ってピョンピョンと飛び跳ねた。
「絶対だよ~!」
中学生にもなって、ノリがいつまでも小学生のままだ。話す機会が少なくなっちゃったけど、健は小学校のころからかわっていないのかもしれない。
「聖子、誰かきてたのか?」
制服から着替えたお兄ちゃんが奥から顔を出す。
「ああ、うん、健」
「え、ウソ、健くんきてるの? お姉ちゃんそれを早く言ってよ!」
リビングから紀子が飛び出してくる。けど、もう帰っちゃったと知って、ものすごく不満そうに私をにらみつけると居間に引っ込んでしまった。
「健のヤツ、なにしにきてたんだ?」
お兄ちゃんがなんだかちょっと怖い顔をする。
私にはアマいけど、お兄ちゃんは健にはものすごく厳しい。昔から「あんな頼りないヤツと遊ぶな」って言われてきた。なにがそんなに気に入らないのやら。
「たいした用事じゃないよ、ホント」
「ならいいが、聖子ももう中学生になったんだ。健のお守りもいい加減卒業して……」
「わかった、あとで聞くから! 私、今忙しいのっ!」
お兄ちゃんはものすごく悲しそうに目を細める。
や、だって耳にタコだし。お兄ちゃんにつき合ってたら日が暮れちゃう。早く段ボールを片づけてネイルを買いに行かなきゃ。
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