<4・黒の誓い>

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<4・黒の誓い>

 泣きながら自分の体を慰めて、一体どれくらいの時間が経過しただろうか。数分か、あるいは数時間か。小夏にとって幸運だったのは、宿屋の三階がほぼ無人であったこと(自分達の部屋は二階だった)。三階の共用トイレに、誰も人が来なかったことである。  蒼生の予想は正しかったようで、部屋から出れば立って歩けるくらいには状態が回復した。一階に人の気配がしたのでやむなく三階に逃げ込み、トイレの個室に駆け込むことまでどうにか成功。熱は燻っていたし手間どったが(なんせ、そう言った行為の経験なんかあるはずもない処女だ)、どうにかまともに身動きできるくらいにはなったと思う。何分か意識が飛んだ後で、気が付いた時には平熱に戻っていたとでも言うべきか。あれがいわゆる絶頂というものだったのかどうかは――正直考えたくもないことでしかないが。 ――大久保のやつ、追いかけてこなかった。  蒼生に言われるまま逃げてしまったが、本当にそれで良かったのだろうか。全身が冷たくなる感覚は、ただ単に汗を掻いているだけではあるまい。洗面台で顔を洗ってどうにか息をつく。鏡に映った自分は、稀に見る酷い顔をしていた。幼い頃父が望んだ成績が取れなかった時も、宿題をこっそり隠した時も、友達と遊び過ぎて門限を破ってしまった時も。ここまで情けない顔を晒したことはなかったのではないか、と思うほどの有様である。たった数分か数時間で、とんでもなく年を食ってしまったような気がする。窓の外の向こうは、相変わらず曇天のまま。今にも雨が降り出しそうな景色は、まるで自分の心模様を現しているかのようだ。 ――無事かな、蒼生君。  成績優秀、お金持ちの品行方正なお嬢様。自分が皆に、そう思われていることは知っている。友人達はいつも優しかったし毎日楽しかったが、どこかで皆から一目置かれすぎて距離を感じていたことも確かだ。特に男子にとって、自分は“高嶺の花”扱いだったのもわかっている。話しかけてくれる子は、本当に少なかった。彼等はみんなどこかで自分に対して遠慮をしていたように思われたから。  大久保コウジは知らないだろう。自分にとって、姫島蒼生がどれほど特別な少年であったかなど。  彼は取り立てて人と喋るのが得意というわけではない。サッカーは上手いし勉強はできる、それから非常に綺麗な顔をしているが――それだけと言えばそれだけの少年だ。場を和ませる冗談が言えるわけでもなく、いわゆるムードメーカーというわけでもない。それでも彼がいつもみんなの輪の中心にいたのは、彼が“人助け”をけして躊躇わない性格だったからだと知っている。  例えば、廊下で転んでプリントをぶちまけてしまった時。何も言わずに真っ先に拾ってくれるのが彼だった。
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