<29・かくて刃は振り下ろされる>

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――謝ってねえだろが。俺は、まだ、それさえ。 「大久保コウジ」 「……あ?」  頭の中が滅茶苦茶の状態で、正直死んでしまいたくなるほどに苦しい。それでも小夏が自分を呼ぶので、コウジは気力を振り絞って頭を上げた。涙と鼻水で酷いことになっているであろう顔で見つめた先にあった、小夏の顔は。 「あんた、私が言ったこと……忘れたわけじゃないわよね?」  ざああ、と強い風が、木の葉を飛ばしながら吹き荒れる。彼女の艶やかな黒髪が靡いた。幻想的な光景だったのかもしれない――その中心に位置する小夏の顔が、ただただ“無”を映していなければ。  ぽっかりとあいた両目。  ドス黒い感情の全てを煮詰めて、それさえも通り越したような虚無の色で彼女は、流れるように蒼生の腰に差してある短剣を抜いた。そして。 「忘れたとは言わせない。私は、最初の晩でもう、全部決めていた」 「あ……」  コウジは思わず座り込み、ただただ目の前にいる女が立ち上がるのを見つめる他なかった。脳の中で、ガンガンと鳴り響く警鐘。全身を冷たい汗が伝う。これが、殺意と憎悪と呼ばれるものだとはっきりと認識していた。  そうだ、つい少し前に、小夏ははっきりこう言ったばかりではないか。 『ええ、そうよ。……私にはなんとなくわかるもの。井本さんは私や蒼生君のことは奴隷化すればいいと思ってたけど、あんたのことは確実に殺すと言ってはばからなかった。私にはわかる。あんただけは殺さなきゃいけないって、そう思う気持ちが。あんたは、現実に世界にのうのうと戻って、何もかもなかったことにして生きていていい人間じゃない』  現実に戻っていい人間ではない。  それは、つまり。 「蒼生君があんたをどう思っていても、あんたが少しくらい改心しても……私は何も変わらない。あんたの罪は、消えない」  逃げなければ。そう思った瞬間、足がずきりと痛みを訴えた。  能力で防御を、と考えて気づく。自分はさっきドラゴンに能力を使ったばかり。もう一度小夏にかけても本当に大丈夫なのか。そもそも、小夏が自分に刃向えているのはやはり、蒼生が“件の話”をした夜に小夏にかかっていた能力を解除したからということだろう。かけなおさなければ恐らく実行力がない。でも、代償は、それにここまできて小夏をもう一度奴隷にしていいものか――。
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