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【44】晩春(14)
「まあ、いいでしょう」
最初に口を開いたのは山田さんだった。
私個人としては、山田さんとの約束を守ったつもりでいる。麻未親子と遠君さんの対立が激化した場合、間に入れと言われた指示を何とか果たせたのだから。私が目を向けると、山田さんは顎先を手で撫でながら、
「冷静にいきましょ」
と言った。それが私に対してなのか遠君さんに対してなのかは分からないが、私は自分のことのように受け取った。
「とにかく、今の所纏くん親子には差し迫って、例のX氏、彼の脅威はなさそうだ。それが分かっただけでもまあ良かったじゃないですか」
「何が良かったんですか」
呼応するかのように遠君さんが問うも、
「まあまあ」
山田さんは笑みを崩さない。「……ってあれ、あのさっきの男がX氏ってことはないですよね?」
お道化た調子で山田さんは言い、私と孫太さんを交互に見た。
いやあ……変装の線を疑ってか、はっきりと答えられない孫太さんの後に続いて、私が答えた。
「彼が丸子直路です」
言うや否や山田さんは同僚と顔を見合わせ、「ぶふー」と大袈裟に溜息をついた。おそらく、「失礼な態度をとらなくてよかった」とでも思っているのだろう。
そこへ、丸子の指示だろうか、店の従業員らしき女性が2人現れ、御飲物はいかがでしょうと聞いてきた。山田さんは頭を振り回して喜び、
「一番高いブランデーを」
と即答した。同僚に腹を突かれるも、「経費でいけるだろ」と取り合わない。職務中の飲酒については何も思う所がないらしい。私たちは白けた雰囲気に溜息をつき、思い思い、この広い座敷に腰を落ち着けた。私と孫太さんは庭を向いて縁側に座り、遠君さんと篝さんは黒檀製と思しき巨大なローテーブルに席を取った。ふわふわの赤い座布団が用意された食事用の席であり、とても座り心地が良さそうだった。しかし、とにかく私は外の風に当たって頭を冷やしたい思いが強かった。
「すまねえ」
と孫太さんが頭を下げた。
「あなたに謝っていただく話ではありません」
「いやぁ……なんつうか、そのう……すまねえ」
「私が去った後、麻未家の様子はいかがでしたか」
「あ、ああ」
孫太さんの話では、やはり私の予想した通り特にこれとった異変はなく、X氏に対して呪詛を打った纏くんの精神状態も日に日に良くなっていったそうだ。だが遠君家ではそうはいかなかった。兆代さんの御加減が優れず、残された手と足が落ちた頃、遠君鎮さんの様子が激変した。
「昔っからの付き合いだ。ああいう、きついところのある性格なのはそうだが、これまではどっちかっつーと、それは良い意味で発揮されて来た。江戸っ子で姉御肌というのか、落ち込んだ空気を払い飛ばすように、明るくって前向きで、人には口うるさく言うもんの、言われた方も何故か笑っちまうような、そういう……いやこれは分かり辛い話かもしんねえなぁ」
「分かりますよ」
「そうかい。……所が鎮さん、ここへ来て人が変わったようになっちまった。分からなくはない。長年連れ添った兆代さんがあんな風になったのもそうだし、もともと薬屋で財を成した一家だ、看板を任された責任感だってあっただろう。自分の一存で商いを途絶えさせるわけにもいかねえし、心労が祟ったのかもな……」
「その矛先が全部、麻未へと向いた……ですか」
「ああ。それを安寿がまともに食らった。兆代さんが亡くなるまでは、鎮さんも纏本人を前に何かを言うことを堪えてたみたいだが、安寿には酷かった。ただ」
「安寿さんは安寿さんで、彼女にも言い分はある」
「そうだ。さっき言ってた通り。数年前までは、鎮さんも始門としてやるべきことをやるんだと頼もしく息巻いてたからなあ」
「何があったんですか。どこの段階で、彼女はあんな……」
しかし孫太さんは首を横に振った。
「何があったかと言うよりも……頑張ることに疲れちまったのかもしれねえ」
「……」
確かに、孫太さんの言う通りかもしれない。
纏くんもそうだ。
そして遠君さんだってそう。
彼らは何故、何の為に戦っているのだろうと思わざるを得ない。
先祖代々受け継がれて来た宿命の輪廻。しかしその伝承を引き継がねばならない本当の義務が、彼らにあるはずもないのだ。残酷なのは、連綿と受け継がれてきた宿命から飛び出した先人がただのひとりもいなかった、ということだ。レールから飛び出してはいけないと信じ込ませたこれまでの歴史が、前例を阻んだのだ。ましてや、兆代さんは歴史の外からやって来た人間で、彼をレールに乗せたのは他でもない、遠君さんである。彼女の心は今、散り散りに砕けていてもおかしくなかった。
「三神さんよ」
「はい」
「あんたぁ、何で戻って来たんだい?」
孫太さんに問われ、一瞬私は、遠君さんから兆代さんの死を聞かされたからだ、と答えかけた。だが違う。孫太さんが聞きたいのはそういうことではないはずだ。
「何か、分かったのかい?」
「分かったか、と言われると自信はありません。私なりに距離を置いて一族を見つめ、色々と調べてみました」
「……ああ」
「幸いにして博識な人物が私の周囲にはたくさんいますから、知恵を借りて、なんとか纏くんを救える方法を案じたつもりでいます。きっかけは兆代さんの件ですが……最初から戻って来るつもりでした」
「心強い。凄いねぇ、あんた」
低く野太い声で感心され、
「っはは」
思わず笑ってしまい、恥ずかしくなって咳をした。「どういう意味ですか」
「強いんだねえ」
「だから、どういう、意味ですか」
「強さってなあ、優しさだと思うんだ俺ぁ」
「……はあ、ええ、はい、それは分かる気がします」
「お、誰かそう言った御仁とお知り合いで?」
「ええ、いますね。自分のことより他者を思える、そういう人が」
「そりゃあいい。だけどね三神さん。そういうあんたも、俺にはそういった強さを備えてるように見えるんだ」
「買いかぶり過ぎです。私はこう見えて利己的ですよ」
「どこがぁ?」
室内から山田さんに呼ばれ、私は立ち上がった。
「そもそも私、負けると分かってる戦はしませんので」
言うと、
「……は。頼もしいじゃねえか」
孫太さんは目を見開いて笑った。
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