【2】冬(1)

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【2】冬(1)

 事の起こりは、2016年の1月。  この頃私は、とある人物からの攻撃を受け、毎晩日課のように見ていた予知夢を見れなくなっていた。その後4月に表面化した凶悪な犯罪事件を経て、私は再び夢見の習慣を取り戻すことになるわけだが、事件前夜、私はひとりの少年に出会っていた。  この物語は、あの忌まわしい事件の始まりと終わりの季節に遭遇した、深い悲しみと苦難で染め抜かれた怪異譚である。  2015年の終わりから2016年春にかけての数か月は、拝み屋として生きてきた私にとっても別格の、まさに激動の季節と言えた。この数か月の間に起きた出来事については、『天正堂』三神派の弟弟子・新開水留(しんかいみとめ)氏による報告書をご覧いただければ、微に入り細に入り、氏の几帳面な性格が遺憾なく発揮された事件の一切合切をお読みいただけるだろう。実際には、順序立てて目を通して行かねば物事の繋がりを把握しきれない難解な資料とも言えるのだが、個人的には、そうした氏の編纂した資料を読むのが私は好きである。  ……話が逸れたが、前述の犯罪事件および私が関わる事になった事案についての参考資料として、『煩悩猿と畜生蠅』ならびに『希人暗夜行』を推薦しておく。  1月の初旬 ――  私宛に名指しで仕事の依頼が入ったのは、ある薄暗い日の午後だった。  普段海外で仕事をすることの多い私だが、この時は夢見の妨害を受けていることを父に相談すべく日本へ戻って来ていた。連絡を受けた場所は、日本で仕事をする際に新開水留氏と共同で使用している賃貸マンションの一室である。  寒い日だった。昨晩から降り出した雪は昼間の内に溶けて雨に変わっていたが、かえって凍えるような気温の低さに拍車をかけていた。窓辺に立ってふと外の様子を眺めていた私の携帯電話に、着信が入る。  見ると、知らぬ番号だ。相手は固定電話だったが、市外局番から察するに東京のどこかである。 「はい」  とだけ応じると、向こうは私が本人であるかを判断しかねたのか、無言だった。私に限ったことではないと思うが、知らない相手からの電話にこちらから名乗ることはまずない。 「どちら様でしょう」  と問う。するとそこへ、 「明日」  と、囁くように言う声が聞こえて来た。「会いに来て」  私は耳を澄まし、 「どなたですか」  と聞いた。男か女かも分からない声だったが、とても幼い印象を受けた。いたずら電話かもしれない。 「明日、会いに来て」 「どちらへおかけですか。私はあなたを知りません。会いに行くことなどありえません」 「明日」  私は電話を切り、着信拒否を設定してから通話履歴を消した。電話を受けた右耳がじりじりと痛む。ライターの火で焙られたような痛みだ。何かしらの霊障かもしれないし、違うかもしれない。何にしろ気持ちの良い印象は受けなかったので、電話を切った後すぐ受話口に言霊を振り掛けて怖気を祓った。  しかしその直後、すぐに別の番号から電話がかかってきたので驚いた。またしても未登録の番号だったが、先程かかってきた番号とは違い、今度は携帯電話だった。 「はい」  出ると、 「あなたが三神さん? 三神幻子(みかみまぼろし)さん?」  と女性の声。50代から60代くらいだろうか、あまり温和とは言えない雰囲気の、僅かに険の有る声だった。 「そうですが、あなたは」 「トオキミでございます。遠いに、君。遠君、わたくしはシン、鎮めると書いて鎮。遠君家当主の、妻です」 「……はあ」  知らない家名だった。だが相手方の口調から察する限り、自分の家に対して余程の誇りと自信を持っているのだろう。知らぬ、とは言い出せない雰囲気だった。 「あなた、明日のご予定は?」 「はあ、あると言えばあり、ないと言えばなし」 「ではあなた、明日遠君家にいらっしゃいな」 「はあ……え? 何故そうなるんです?」 「仕事を依頼します。あなた、天正堂の拝み屋なんでしょう?」 「……」  天正堂を知っているのか。ならば話は別だ。遠君家を知らないことが、ひょっとすると私の落ち度であるという可能性も出て来た。知識の鬼である新開氏に聞けば何か分かるかもしれないが、この時氏はまだ公安施設に拘留されたままだった。 「今から住所を申し上げます」 「あ、はい」  私は慌ててメモを取った。時間を指定され、必ず来るようにと念を押されて一方的に電話は切れた。夢を見れないと、こういうイレギュラーな事態に巻き込まれるから困る。正直気が重かったが、『天正堂』に直接仕事を依頼してくる人間が相手だ。無視する、という選択肢はない。  外を見ると、針のような雨がまだ降り続いていた。明日もきっと降るのだろう。私は右の耳たぶを指で嬲りながら、極厚のコートを買いに行こうと決めた。
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