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【3】冬(2)
指定された時間は午後3時。新品のコートに袖を通して電車で向かう。都内だけあって所要時間はさほど掛からない。最寄りの駅のひとつ手前で下車し、街並みの雰囲気を確かめながら線路脇の細い道を歩いた。
昨日、遠君鎮なる女性との電話を終えた後、自分なりに遠君家について調べてみたが、特にこれといって興味深い情報は得られなかった。特に何を知りたいと思ったわけでもないが、相手側だけがこちらを知り、こちらには何の情報もない、そんな状況が些か不安だったのだ。
拝み屋として私より倍以上もキャリアのある父に相談してみようかとも思ったが、何となくプライドが邪魔をしてやめた。というのも、私はこの頃、いかに自分が予知夢に頼り切っていたかを思い知り、猛省する日々を送っていたのだ。今ここで父を頼ってしまっては、そんな他力本願な自分を戒めることにならないと感じ、あえて不安を抱えたまま飛び込んでみる決心を固めていた。
遠君家は、厳かな門構えが特徴的な大きなお屋敷だった。瓦屋根のついた灰色の平門の両脇には、同じ色の漆喰塀が果てしなく伸び、門前に立って呆気に取られながら目で追いかけるまで、自分が歩いて来た歩道の片側が5分前からずっと遠君家だったことに気付けなかった。
「時代劇」
と呟いたほどである。ピタリと閉じた門にはどこにも呼び出しボタンが見当たらず、腕時計で午後3時丁度を確認した私は、右手を上げてノックの構えをとった。
「偉いわね」
突然背後から声を掛けられ、驚きのあまりゴンと物凄い音で門を叩いてしまった。
「驚かせてしまったかしら?」
昨日電話で聞いた声だった。振り返ると、茶色い髪を頭の上に丸く結った着物姿の女性が、風呂敷包みを胸に抱えて立っていた。形の良い大きな目をした美しい人ではあったが、電話で話した時に受けた印象通り、全体的に釣り上がった顔立ちがそのまま気の強さを象徴していた。
「三神幻子です」
頭を下げると、
「遠君鎮です。あら、随分と麗しい方ね。30代には見えないわ。もう少し背後にも気を配らなきゃ駄目よ」
と、からかいだか何だか分からない事を言われた。「時間通りね。ごめんなさいね、急用で出ていたものですから、まだお迎えの準備が出来ていないの。少しだけ待っていてくださる?」
「はあ」
幾つくらいの年の人だろうか。若いと言われておいて何だが、相手の見た目は特に若々しいという風体ではない。どちらかと言えば貫禄を感じるし、目元にはそれなりの皺が刻まれている。やはり5、60十代ではあろうが、しかしピタリと年齢を言い合てられない理由は、彼女の身体から放たれる覇気である。平たく言えば、いかにも元気そうなのだ。
遠君さんのあとに続いて門をくぐり、手入れの行き届いた庭園内を飛び石を踏んで歩いた。一昨日降った雪は全く残っておらず、苔と石灯籠、植栽された木々などが巧みなセンスで配置された風情ある光景に、私は思わず足を止めて見惚れた。
「お寒いでしょうに」
やんわりと急かされ、屋敷の中へと足を踏み入れる。てっきり玄関で待たされるのかと思ったが、遠君さんは履物を脱ぎながら、
「奥座敷に準備をしてます」
と言う。そして右前方に手を差し向けながら「次の間の右の部屋が使っていない表座敷ですからそこで待っていてくださいな。厠は、外側の板を辿って行けば奥にありますよ」
慣れた口調で指示を出し、では、と軽やかに会釈して廊下の奥へそそくさと消えた。
土間から上がった板張りの廊下が、確かに角を折れて奥へと続いているようだ。しかし特に催しているわけでもなかった私は目の前の襖を開け、次の間と呼ばれる和室へ入った。
……暗い。午後3時だというのに暗い。近代的な間接照明の類は見当たらず、傘のかかった電球も灯っていない。そもそも人がいないのだから明かりがないのは仕方がない。4畳程の和室を抜けてさっさと隣の表座敷へと移ろうとした、その時だった。襖に手をかけて身を寄せた瞬間、隣の部屋で動くものの気配を感じた。微かに畳をこする音も聞こえ、私は思わず襖から離れた。先客がいるとは思わなかった。
「失礼します。……こちらで待つように言われたもので」
声をかけるも相手方の反応はなかった。そこからさらに5秒ほど待ってゆっくりと襖を開けると、驚いたことにそこには誰もいなかった。敷居を跨がずに視線だけを巡らせて隣の部屋を観察する。
「……」
暗いという以外特に嫌な気配は感じない。今私がいる次の間と呼ばれた和室よりも、表座敷である隣室の方が、廊下に面して外の光を取り込んでいる分、少しは明るい。普段使いをしているようには見えず、小振りな箪笥と鏡台がひっそり部屋の片隅に佇んでいる以外、人が隠れられそうな調度品はない。だが、私の耳は確かに畳を擦る音を聞いた。それが足音なのか衣擦れなのかは分からないが、幻聴でないことだけは間違いない。
「……失礼します」
声をかけて入室する。表座敷は次の間よりも倍近い広さがあり、私が開けて通って来た襖の辺りから見ると、左側に奥行きが伸びている。吸い寄せられるようにその開けた空間に目をやると、
「……鎧?」
奥の床の間に、赤い甲冑が鎮座してこちらを見ていた。武家屋敷か、と思う。
「ちょっとだけ」
触ってみたい欲求に身体がうずうずしたが、やはり誰かに見られると恥ずかしいのでやめておいた。
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