【45】晩春(15)

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【45】晩春(15)

「所で三神さん。私、ずっと聞きたかったんですよねえ」  驚いた事に、本当に山田さんはブランデーを飲んでいた。立ち上がって私を見ている彼の顔色に特別な変化はないが、同僚とともに黒檀テーブルの端っこに座っていた席には、琥珀色の液体が注がれたグラスが怪しく煌めいていた。 「何でしょう」  部屋の中央付近に戻ると、山田さんとは反対側の端に席を取っていた遠君さんと篝さんが立ち上がろうとした。私は手で合図しながら「そのままで」と言い、彼女らを座り直させた。ここはまだ、私と山田さんの持ち場である。 「私の個人的な、いやチョウジとしての見解はすでに披露した通りです」  皆さんも聞いていたでしょう、そんな風に両手を上に向けて開きながら一同を見やり、そして山田さんは続けた。「麻未さん家の纏くんは持って生まれた穢れによって周囲に不幸をばら撒いている。これは間違いない。年齢や、動機の有無などを考慮に入れると確かに……同情の余地はある。だが事実は事実です。彼の、というか終門という一族の穢れが何に由来するのかそれはまだ分かっていない。現在調査中です。だが原因が分からないからといって、起きている事象を無視することは出来ませんよ。我々がこちらの遠君鎮さんから持ち込まれた依頼を引き受けたのは、これは至極当然の話なんです」  アルコールが入り、山田さんは幾分上機嫌に見えた。遠君家にいた頃は随分と荒々しい顔つきを見せていたが、今は当初のつるりとした若々しい顔に戻っている。おぼこいとさえ言える顔面なのに、言うことのひとつひとつが腹立たしいくらいに正しかった。 「だけど三神さん。あなたは一度、私のこの見解を無視しようとした。これまで始門がどのように穢れを封じて来たのかを考察したいと言い出し、責任の所在をはっきりさせようとはしなかった。しかも、私の話をまるで意味がないと、あなたはそう切って捨てたんですよ。忘れもしない。ああ、思い出したらムカついてきた。もう一杯飲もう、おい、注いでくれ」  振り返りつつ山田さんがそう言うと、同僚は鼻から溜息を吐き出しながらも言われた通りに従った。 「まず第一に」  山田さんは右手の人さし指を立てる。「私が纏くん犯人説を唱えているのは何も遠君さんの証言を鵜呑みにしたからじゃない。実地調査を行い、麻未家に留まる霊障の残滓をうちの面子が数人で感知しています。おい、お前もそうだよな。……ご覧の通り。そして第二に、始門同様終門にも歴史がある。その歴史が、当該一族による穢れの発現を記録している。周期が恐ろしく長いのと一定ではない為に遡るのに苦労しましたが、実際これには三神さん、あんたんとこの本家にも協力を願い出ています。つまり天正堂お墨付きなんですよ、麻未家から穢れが出るってのはね。一番近い事例で言っても戦時中の話ですから、いちいち蒸し返すのは避けたいと思いますが、要するにこれはあなたが一笑に付していいような軽々しい事案ではないんです。ドゥーユーアンダスターン?」  急に英語を喋ったので驚いたが、正直に言って山田さんの長々とした話は、今更聞かされるまでもない事柄で埋め尽くされていた。私が安寿さんから聞いた特攻隊の話を山田さんが把握している、という点が知れたことと、この場に同席する人々に同じレベルの事実認識を促せた、ということ以外特に意味のある話ではなかった。しかし山田さんは最後に、私を見据えてこう付け加えたのだ。 「もう逃げないでくださいよ。きっちり、あなたのご意見を述べ終えるまでは」 「ところで」  と私は言った。  同僚から、ブランデーがなみなみと注がれたグラスを受け取った山田さんが動きを止めて私を睨んだ。彼の言い分を帳消しにする言い回しを敢えて使って見せたからだろう。だが私には私の言い分がある。私のやり方がある。 「山田さんは確か、こんな疑問を抱いていましたよね。何故、終門の一族は引っ越そうとしていたか。それも、まだ松葉さんや桜さんたちが生きていた頃に」 「ああ、ええ」 「だけどその疑問は無意味です」 「あんたなぁ!」  人を馬鹿にするのも大概にしろよ、と続けた山田さんの手にするグラスから、ブランデーが零れた。私はそのブランデーの動きを見て、ああ、と溜息をついた。それはまるで大地に揺さぶられた海が激しく寄せては返すのに似て、この物語の真実を体現しているかのように思えたのだ。 「まずひとつ」  私は声を張り上げて山田さんを制した。「山田さんだけでなく、皆さん誤解していらっしゃるんです」 「……な、何ですか、誤解?」  言いながら山田さんはひと口啜って、グラスを同僚に預けた。 「ええ、勘違いと言ってもいいでしょう」 「だから何を」  麻未の家は、あの土地から離れたとしても穢れからは逃げられません。 「……おい」  山田さんは覇気のない声を出し、まるで私を心配するかのような目をした。自分の言ってることが分かってるのか、そういう目だった。あるいは土地のせいにしてしまえば、心情的には纏くん擁護もやむなし、というスタンスを貫けたのだ。だがそれでも私は真実を述べるべきだと、最初からそう決めていた。 「結果的には買い手がつかなかったおかげで今現在麻未家はあのまま、先祖代々の土地に暮らしているわけですが、仮に他所の土地に移れたとしても、同じ結果になっていたでしょう」 「それでも兆代さんは、死んでいた……と?」  山田さんの問いに、 「それは結果ではありません。私は終門の話をしています」  私は首を横に振った。  山田さんは目を剥いて、 「そりゃあでも、一緒の話じゃないですか。纏くんはどこに行っても穢れを放つって、三神さんあんたそう言ってるんでしょう?」 「一緒ではありませんが、纏くんに関して言えばそうです。実際、兆代さんが亡くなられた時纏くんは、千葉にいたんですよね? 戦時中の事例だって同じことが言えます」  答える私に山田さんが息を飲んだ。しかしはたと思い直した様子で、 「いや、それだって麻未家の土地が原因かもしれませんよね。たまたま穢れた土地の上にいなかっただけで、引っ越したわけじゃない。家と土地の因縁は結ばれたままだ。確かに、纏くんは入院して千葉にいた。だけど兆代さんが亡くなった直接的な原因はやはり、あの土地に関連した何かの呪い、穢れ、そう言えるんじゃないでしょうか……?」  私は嗤う。 「それ、もう、ほとんど言いがかりじゃないですか。山田さんの説が正しいなら犯人は土地です。ならもう、纏くんに非はないんじゃないですか。遠君さん、それで納得していただけますか?」 「だけどそれじゃあ、あんた! 完全に麻未纏が穢れの正体だ、どこへ行ってもそれは変わらないって、自分で証言してるようなもんじゃないですか!」 「そうですよ」 「それでいいのかよ!」  黙って話を聞いていた山田さんの同僚が膝立ちになって、山田さんの上着の裾を引っ張った。始門側に立っていると言って笑った彼なのに、真剣に腹を立てているのが分かった……決して抗えない運命に翻弄される、哀れな少年のために。
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