【4】冬(3)

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【4】冬(3)

 赤い甲冑が飾られている床の前の真上、天井の板がほんの少しだけずれているのが見えた。 「……」  私は静かに鼻から息を吸い込むと、甲冑と向かい合う形で部屋の中央に正座し、遠君さんに呼ばれるのを待った。私はふと思い出し、持参したショルダーバッグの中に手を入れて持ち物を確認した。  『天正堂』の拝み屋として仕事を依頼されるということは、2つの意味を持っている。吉凶占いか、霊障被害に関する相談である。そのどちらにも対応出来るようにと、昨晩鞄の中身を入れ替えて準備した。ひと通り掻き回して忘れ物がないことを確認すると、コンビニで衝動買いした飴玉を包み紙から出してひとつ口に放り込んだ。 「ぐふ……大きい」  思っていたより大きかった。  私はコンビニでその飴玉の袋を手に取ってまじまじと見たはずだが、どうやら自分の考えていた大きさとは違うものを買ってしまったらしい。 「大きな飴玉……いやいやいや、どうせそんなには……」  という勝手な思い込みが働いたのだ。これを失敗と捉えるか発見と捉えるかで人生の価値は少なからず変わって来ると思うのだが、往々にして人生とはそんなものである。 「でも、おいし」  よく、人は、運命は変えられる、などと高らかに宣言したりする。それはある意味間違いではないが、概ね間違いだ。  この世には決して動かせない未来もあれば、頑張ればなんとかなる未来もある。時間が常に一方向に流れている為、未来に対する捉え方も一方的になってしまう傾向にあるのだろう。だが実際にはそんなに単純な話ではない。  例えば、普段通い慣れた道に大岩の落石があったとしよう。もちろん大抵の人はその落石を予知できない。予測することは出来ても、予知は出ない。そして身の丈の数倍はあるその大岩を、決して人は単独で動かすことなど出来ないのだ。これが、決定された未来である。  ところが稀に、その大岩を動かす人間がいる。大岩は元からその道にあったものではないし、地面に固定されているわけではない。だから物理的には排除可能なのだが、その結果を導き出す為に必要なエネルギーは人間の想像を遥に凌駕する。もちろん、単独で不可能な場合は他人の手を借りたっていい。そうやって、膨大なエネルギーを作り出せた人間だけがごく稀に大岩を動かして見せるのだ。人はそれを、奇跡と呼んでいる。  その一方で、この大岩の存在を予め進言し、普段通い慣れた道ではない新たな道を指し示すことで、より良い未来へと導く方法もまた、運命を変えることの出来る力を持っている。私たち『天正堂』の拝み屋が行う(まじな)いが、これにあたる。  ただし私の肩書きはもう長い間、占い師ではない。  天正堂・三神派。  本部団体からの暖簾分けでもうひとつの流派を設立した三神三歳(みかみさんさい)とその娘であるこの私、あとはもうひとり。新開水留(しんかいみとめ)氏だ。我ら3人に関して言えば、ほぼほぼ依頼者の吉凶を占う拝み屋としての活動を行っていない。では、私たちの存在理由は一体何なのか。  前述の大岩に例えて言うなら、道塞ぐ苦難を回避するでも押し退けるでもなく、この世から消し去ってくれと相談を持ち掛けてくる人々が存在する。ある意味尊大な言い分に聞こえてしまうかもしれないが、この場合の大岩とは、この世ならざる者たちが引き起こす、霊障被害だ。生きて行く為には拝み屋に頼るしか手段の残されていない被害者たちが、この世には多く彷徨い歩いている。私は、そんな彼らに寄り添いながら共に同じ夜を歩き、霊障被害に苦しむ人々を救い上げることを生業とする……生まれながらの霊能者である。  襖が開き、見知らぬ女性が顔を覗かせた。私と目が合う。いくら舐めても小さくならない飴玉に頬が膨らんだままの間抜けな私を見下ろし、その女性は聞いた。 「ひとり?」 「くこ……ふ、多分」  っかしーなー、と女性は首を捻り、 「ずっとひとり?」  と再度尋ねた。  おかっぱ頭の、猫のように鋭い目をした女性である。背はそこまで高くはなさそうだが、身体にピタリと張り付くような濃紺のスーツを着こなす様は、いかにも俊敏な猫科を思わせる雰囲気を醸し出していた。彼女が襖を開く直前、私はそこに人の気配を感じ取ったはずだが、まるで足音というものがしなかった。  私は赤い甲冑に視線を戻し、 「ずっとですね」  と答えた。 「ふーん、ま、いいや。どうぞ、準備が整いました」  身を引きながらそう言った女性に視線をやり、 「あなたは?」  と私が問うと、 「ああ、別に名乗る程のもんじゃないですよ」  と口端を自虐的に捻り上げ、奥座敷へどうぞ、と言い残して姿を消した。じっと見ていたにも関わらず、今度も足音はしなかった。見事な身のこなし、やはり猫である。築年数が経過した武家屋敷の板廊下だ。私など、一歩踏み込んだ瞬間恥ずかしいくらい板が軋むだろう。  そう言えば私も彼女に名乗らなかったな、と思い当たる。自分から先に名乗るべきだったか。 「それにしても……」  再び床の間に飾られた赤い甲冑を見つめる。ずっとひとり、という質問はどういう意味なのだろう。表座敷に入る直前、動く者の気配を感じ取ったことを思い出す。  やはり他にも、この部屋には誰かがいるのだろうか?  私は甲冑にそっと手を伸ばし、下唇を噛んで、指先を引っ込めた。
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