【5】冬(4)

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【5】冬(4)

 猫目でおかっぱ頭の女性が、廊下の先で半身をこちらに向けて立っていた。どうぞ、という表情で首を捻り、私を誘導する。通された部屋は表座敷よりも更に広く、20畳程だろうか、旅館のちょっとした宴会場を思わせる場所だった。ただし、居合わせた人間から漂ってくる気配なそんな宴の席とは程遠い代物である。  ひとことで言って、険悪。  通された奥座敷には遠君さんが廊下側を向いて座り、猫目のおかっぱ女性は私の右脇をするりと通り抜け、そのまま向かって右側の壁際に正座で腰を下ろした。その表情はニコニコと目を細めて微笑んでいるが、彼女からは明らかな殺気が漂っている。  問題なのは、私の目の前に背を向け下手に座っている男である。猫目の女性が襖を開けた途端、彼の背中が目に入った。漆黒のスーツを着たオールバックの男性で、一応礼儀正しく正座で遠君さんと向かい合ってはいるものの、彼の全身から立ち昇っているのもまた禍々しい程の殺気である。私は気圧され、入室するのを躊躇った。この男性が何者なのかを知らないし、そもそも仕事の内容を聞く事さえこれからなのだ。だのに、何故もうこんなにも物騒なんだ……? 「そちらへ」  遠君さんが手を差し向けたのは、その男性の左横だった。私は「失礼します」と声をかけてから座敷に足を踏み入れ、男性から2人分程距離を開けて座った。私と男性が座るベき場所には脚付きの漆器膳が用意され、日本茶と和菓子が綺麗に並べられていた。私はお茶を零さないように膳を持ち上げ、自分の前に引き寄せた。 「お待たせいたしました。上座から失礼いたします、遠君家当主、遠君 兆代(ちょうだい)の妻、(しん)と申します」  遠君さんは畳に両手をついて深々と頭を下げた。私は呼応して頭を下げたが、隣の男性は微塵にも動く気配を感じさせなかった。実際微動だにしなかったのだろうし、用心深く彼を見つめていた猫目の女性は、そのせいで頭を下げるのが少し遅かった。 「本来ならば、わたくしではなく当主である兆代自らが話をせねばならぬ立場ではありますが、何分病に臥せっております故、わたくしがここに座ることをお許しいただきたいと存じます」  先程少し言葉を交わした時とは違い、かなり慇懃な挨拶だった。私は何が始まろうとしているのか理解せぬまま、ただただ遠君さんの話の続きを待った。 「まずは、本日ご足労頂けたことを心より御礼申し上げます。各々方、わたくしの方からお名前を紹介させて頂いても、不都合ありませんか?」  遠君さんが確認をとった瞬間、 「いらん」  と隣の男性が答えた。  首筋を冷気が這った。低いというよりは掠れに近く、他人に与える印象は威厳よりも遥に恐怖に近い。聞いただけで心臓がドンと跳ねた。右目でそっと見やると、なんとその男は左目で私を見ていた。 「……ッ!」 「何を見ている」 「いえ……何も」  辛うじてそう答えるのが精一杯だった。  顔立ちは綺麗だった。背中側から見ただけで、鍛え抜かれた筋肉が漆黒のスーツを下から盛上げているのが分かる。だが私を睨みつける横顔は色白で儚げ、どこか憂いを称えた少年のような造形美だった。ただし、人相そのものは所謂、極悪である。 「そういうことでしたら」  と遠君さんが声を上げる。「お名前は伏せたままでいきましょう。男性の方がX氏、女性の方がYさん、でよろしいですね。ちなみに、こちらに控えている少々目付きの悪いおかっぱ頭は、名を(かがり)と言います。うちの親類というか、小間使いのようでもあり……」  じっと私を見ていたX氏の目が遠君さんへ移動した。 「小間使いを同席させてるのか?」 「さようです。長年当家に仕えている一族の出ですから、こういったお家問題にはある意味、必要不可欠な生き証人でもあるわけです」  常人ならば卒倒しかねないX氏の眼力にも動じず、遠君さんは笑みすら浮かべてそう答えた。肝心の、篝と呼ばれた猫目の女性は打って変わって顔色が蒼い。 「これよりお話させていただくのは、我が遠君家、いえ、我々が世間に身を忍ばせる為の名ではなく本当の名前……わたくしども始門(はじまりもん)一族が背負う業深き宿命の歴史、そういったものになりましょう」 「……は」  始門(はじまりもん)一族だって? 「じ」  私は今、始門一族の家にいるのか。  そういうことか ――  そもそも偽名だったのだ。道理で遠君家なんて家名、知らないはずである。 「Yさん」  と遠君さんが私を呼んだ。「あなたは始門家について、なにかご存知のことがおありのようですね?」  彼女の顔には屈託のない微笑みが浮かんでおり、私の口から事情を説明させたい様子が伺い知れた。実を言えば、私は一族について詳しい知識を持っているわけではない。ただ、聞いたことがあったのだ。だが私にその話を教えてくれたのは……。 「数十年に一度、とんでもなく高い霊性を持った霊能者を輩出する名門一族である、とだけ」  私はそう答える。「ただし、私にそれを教えた人物はすでにこの世にはいません。ですので、この話が本当なのかは確証がありません。でも」 「でも?」  遠君さんの目がきらりと光る。 「私にその話をした人物は、私が知る限り最も優れた霊性を持った、まさにと呼ばれるに相応しい人物でした。決して噓やはったりで他人を騙す人間ではありません」  そう、と遠君さんは頷いた。  嬉しそうでもあり、また、悲しそうでもある表情を浮かべていた。  私はおや、と思い彼女を見つめた。この話のどこに、彼女を悲しませる要素があっただろう。 「Yさん」  遠君さんは言う。「それはある意味正しくて、ある意味では、やはり間違っていると言わざるを得ないのですよ」
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