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【6】冬(5)
X氏。
彼の視線が気になった。
私をじっと横目で見ている。
睨んでいるように思うが怖過ぎて確認は出来ない。ただ、X氏がもしも私同様ほとんど事情を知らずに遠君家に招かれたのであれば、氏が私を見据えている理由はなんとなく分かる。蚊帳の外に置かれたまま話が先へ進んで行く状況に、彼のプライドが耐えられないのではないだろうか。
「Xさん」
空気を察したのか、遠君さんがX氏に顔を向けた。「我らが始門一族の名前を、どこかで聞いたことはありますか?」
X氏の視線が私から外れ、遠君さんへと移動する。
「あってもなくても是非を答える気はない。全部最初から説明するんだ」
X氏のその言動は、彼をひと目見た時から私が感じていた既視感が、全くの的外れではないことの裏付けであるように思えた。私はこのX氏によく似た人を知っている。だがそうなるとこのX氏は……表稼業の人間ではない。
「分かりました。こちらもそのつもりでおりました」
遠君さんは頷き、私とX氏、その丁度中間地点の何もない空間を見据えて話し始めた。
「さるお偉い先生様はかつて、わたくしどもの一族を『観測者の家』だ、と仰いました」
観測者、というあまり普段の会話に登らない単語に私の表情は幾分揺らいだと思うが、やはりX氏が気になって聞き返すことをしなかった。黙っていれば補足説明が入るだろう、ここは大人しくしているのが吉だ。
「先程Yさんはわたくしどもの家を、力の強い霊能者を輩出する一族であると称されました。しかし、それはある一方向から見れば正しく、別の角度から見れば間違いなのです。確かに、わたくしども始門一族からは超常的な力をもった人間が生まれ出る、しかしそれは何故なのか……そこから始めなければなりません。それは、数十年に一度、周囲に不幸をばら撒く穢れまみれの子を産み出す恐るべき一族に対抗しうる、我らが対となる存在であるが故の、悲しい性なのです」
X氏の目が私を睨んだ。
私の様子を伺っているらしい。
だが、内心私は狼狽えていた。
遠君さんの話は、20年以上この世界で生きて来た私でさえ全く聞いたことのない内容だったのだ。私はこれまで、周囲から幾度となく突拍子が無いぞと小馬鹿にされて来た。しかし今は、遠君さんこそがその立場にいると言わざるを得ない。正直、遠君さんの話は飛躍する妄想力が描いた絵空事のようだった。霊能力という力の存在を頭から否定する人間の心境とは、まさしくこのような感覚なのかと得心がいった程である。
「はい」
私は右手を挙げ、遠君さんを見つめ返した。
「み……Yさん。どうぞ」
「それは、人ですか?」
「え?」
私の質問に遠君さんの顔が曇る。私は誰かを、また何かを侮辱したつもりはなかったが、この時遠君さんの顔に浮かんだ表情は明らかに嫌悪感だった。
「質問を変えます」
と私は続けた。「周囲に不幸をばら撒く穢れまみれの子、というお話についてです。神道、及び一般的にいう穢れとは、本来どこにでも存在するものです。人間が生活をしていく上で、必ず発生する生命の余韻、その滞り、その場所、その物、その人間たちの残響とも言えます」
「……はあ」
「遠君さんは先程、生まれながらに穢れを纏い、周囲に不幸を撒き散らすと仰いましたが、私にはその状況がうまく整理出来ません。もし、その状況を任意的に引き起こすことが可能であるなら……」
「あるなら?」
軽く目を見開き問い返す遠君さん同様、X氏の視線が私の右のこめかみにぎりぎりと穴を開けようと睨んでいる。
「……しかしそれは人ではなく、呪物による呪いではないでしょうか?」
私が思ったことをそのまま口にすると、遠君さんはどこかしらほっとした表情で溜息をつき、
「なるほど」
と答えて頷いた。「生きた人間の仕業ではなく、呪物による穢れではないか、ということですね?」
「はい」
「Xさん、ここまでで何かご質問は」
ない、とX氏は即答した。が、彼の目は相変わらず私を見据えている。まるでそうすることで、私の考えが全て見通せると信じているかのようだった。
「ここはひとまず」
と遠君さんは言う。「その穢れの正体が何であるかは一旦脇へ置くとします。問題なのは、その強い穢れを撒き散らす存在が数十年に一度この世に誕生するという事実と、その穢れを押さえ込む役割の一族が存在するという悲劇です。そしてその穢れを押さえ込む役割を担う一族が、わたくしども始門家なのです。観測者、と言われた由縁です」
遠君さんは先程、高い霊性を持った霊能者を輩出する一族、と言った私の言葉をやんわりと否定した。私が聞きかじった内容だけで判断するなら、始門の一族は正しく名門である。だが、逆だったのだ。
「Yさん、そしてXさん。わたくしどもは、自らの意志で力のある霊能者を産み出しているわけではないのです。不浄なる穢れを押さえ込むべく、尊い命を差し出し、犠牲を強いられているに過ぎないのです」
「はい」
と、私が再び挙手したその時だった。
私の右のこめかみに穴を開けようとじっとこちらを睨みつけていたX氏が、正座したまま物凄い勢いで真後ろに半回転したのだ。
あ、と言って篝さんが立ち上がった。
私は何が起こったのか分からず、右手を顔の横に挙げたまま振り返ろうとした。が、ぎゅん、と急ブレーキを踏んだように私の身体が停止した。本能が、振り返るなと脳に指令を出したみたいだった。
「そろそろだと思っていましたよ」
と遠君さんが言った。彼女の目は私の背後を見ていた。
「ッシ!」
気を吐き、X氏が左手を横一閃に走らせた。すると空気が切り裂かれ、私の身体を鷲掴みにする怖気のような呪縛が不意に解けた。私は反射的に振り返り、中腰になって身構えた。
「……?」
しかし、そこにいたのは全く予想外のものだった。いや、人だった。おそらくまだ小学校に入学したてくらいの、背の低い男の子だったのだ。
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