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「ねぇ、覚えてる?」
絶対に、佑太が覚えているわけがない。
その自信がありながらも、心の中のどこかで、もしかしたら覚えているかもしれない、なんていう気持ちがなかったわけじゃない。
佑太が一瞬、困ったような顔をしたのを見逃さなかった。
ほらね、やっぱり覚えてるわけがない。
諦めモードで、私は佑太に背を向ける。
「ごめんごめん、怜奈。で、なんだっけ?」
「覚えてないならいいの」
覚えてないのは、佑太にとって忘れても困らないことだからだ。
「ごめん、怜奈。怒らないで、こっち向いて」
私の身体を丁寧に撫でながら、佑太は耳元に唇を寄せてくる。
甘く耳たぶを噛み、私を自分の元へと強制送還すると、これ以上なにも喋らせないように、私の唇を塞いだ。
佑太の舌が、私の舌を絡めとる。
このまま流されたら、私の負け。
甘い佑太のキスに、身体ごと蕩けそうになるけれど、わずかに残る理性を総動員させて、佑太の胸板を押す。
「覚えてないなら、今日はしたくない」
精一杯の抵抗をしてみせると、佑太は降参と言わんばかりに私の髪の毛を優しく撫でた。
「ごめん、教えて?」
「本当に、全然覚えてないの?」
「うん、ごめん」
私のことなんて好きじゃない佑太が、覚えてるわけなんてない。わかっていたのに、いざ認められると泣きたくなんてないのに、勝手に涙が零れてしまう。
「怜奈、頼むから泣くなって」
「もう、いい」
やっぱり、聞かなければよかった。
後悔しても、もう遅すぎるけれど、優しくされればされるほど、惨めで涙が止まらなかった。
「怜奈、覚えてなくてごめん。怜奈の誕生日じゃないし、なにかの記念日だったりする?」
ゆっくりと首を横に振る。
付き合ってもいない私たちに、記念日なんてひとつも存在しない。
だけど、ひとつだけ存在するとしたら、きっとそれは今日という日になるだろう。
「なんでもないの」
私には、今を壊す勇気も、未来を望む勇気もない。
恋人でもない私に、佑太はどうしてそんなに優しくできるんだろう。
佑太が、私の背中をポンポンと撫でてくれるだけで、気持ちが少しずつ落ち着いていく。
どれくらい、そうしていただろう。
触れた肌と肌から、温もりが伝わってきて、いつのまにかそれ以上の幸せを求めたらいけないような気持ちになっていた。
「ごめん、本当は覚えてるよ」
不意に、佑太の声が聞こえてくる。
驚いて顔をあげると、佑太とバッチリ目があった。
「覚えてるの?」
「うん、覚えてる」
まっすぐに見つめられて、鼓動が高鳴る。
「どうして、忘れたふりをしたの?」
佑太は、私の額にキスをすると、ゆっくりと身体を起こした。
「好きになったら、別れよう」
一年くらい前、私が佑太に言った言葉を、今度は佑太が口にする。
「私のこと、好きになったの?」
「俺は、怜奈を初めて抱きしめた日からずっと、怜奈のことが好きだったよ。別れたくないから、忘れたふりしてた。怜奈は、俺のこと好きになった?」
「私も初めから佑太のことが好きだった。別れたくないから、恋人じゃなくても平気なふりしてたけど、もう限界だった」
大切な恋を失った私たちは、最初はただお互いの話を聞くだけの友達だった。でも、新しい恋を始める勇気がなくて、どちらからともなく、
【好きになったら、別れる】という契約を結んだ。
「だったら、あんな契約、もうなかったことにしないか?」
「え?」
「俺たち、今日からちゃんと、恋しよう」
fin
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