第二部 結婚とは……

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 ───……グレンシスが相槌を打ったあとは、再び沈黙が落ちる。  王城にはたくさんの人がいる。  いるはずなのに、まったく人気がない。話し声も足音も聞こえない。  風に揺られる葉の音しか聞こえないここは、まるで二人だけの世界に移動してしまったかのようだ。  ティアはこくりと唾を呑む。  たったそれだけでもグレンシスに聞こえてしまいそうで。そして、グレンシスの口から放たれた言葉は、ただの相槌でしかなくて。  今、グレンシスが何を考えているのか、ティアはさっぱりわからなかった。  対してグレンシスは、自分の足の間にすっぽり収まっているティアを、じっと見つめている。  無意識なのか、意識的にそうしているのかわからないけれど、ティアは深く俯いている。  そして俯く角度が深すぎて、ティアのゴールドピンクの髪が左右に別れ、白く細いうなじがグレンシスからは、よく見える。  それをグレンシスは熱のこもった視線で見つめている。  つまり、他のことを考えているのだ。  ただ、グレンシスが覗き見を趣味に持つイケメン変態というわけではない。  好きな女性を困らせて、悦に入るイケメンどSというわけでもない。......たぶん。  グレンシスにとって、ティアの告白はだったのだ。  適当な相槌で流せるほどの、ついつい好きな人のうなじに意識を向けてしまうほどの、とても軽いもの。  けれど彼だって、ちゃんとわかっている。  ティアがありったけの勇気を振り絞って、自身の胸に秘めていたことを、自分に伝えてくれたことを。  そしてグレンシスは、それがたまらなく嬉しかった。  このまま、ティアのそのうなじに口付けをしたくなるほどに。 「オイデ オイデ ココニオイデ ツタエ ツタエ ワタシノモトニ イタミモ ツラサモ アワトナリ キラキラトカシテ ミセマショウ メザメルトキニハ ……えっと、続きは……忘れてしまったな」  結局グレンシスは悩んだ末、こんな言葉を口にした。  けれど、過去2回。正確には1度しか聞いていないそれは、さすがに全部は覚えきることができなかったようだ。 「ティア、続きを教えてくれ」  ちょっとそこにあるものを取ってくれ。  そんな感じの軽い口調で、グレンシスはティアに頼んだ。 「えっと……メザメルトキニハ ヤスラギヲ アナタニイヤシヲ アタエマショウ です」  意味がわからないまま、でも知られたら困る事でもないので、ティアはグレンシスの問いに答える。  そうすればグレンシスは、途切れてしまった移し身の術の呪文を最後まで紡いだ。そして、そっとティアの頭を撫でる。 「あのぉ……グレンさま」 「なんだ?」 「グレンさまは移し身の術は、使えません」 「そうだったな」  グレンシスは当たり前のことを真面目に指摘され、軽く笑い声をたてた。3拍置いて、手厳しいなという苦い言葉も降ってくる。  でもティアは、グレンシスが藪から棒にそんなことを言った理由がわかっている。  グレンシスは、ティアを癒そうとしてくれていたのだ。  しかも、万人に伝わる方法ではなく、ティアだけにしかわからない方法で。  移し身の術は血で受け継いでいくなんて嘘だったんだと、ティアは気付いてしまう。  だって彼が紡ぐ移し身の術の呪文で、ちゃんと癒されたから。  不安で暴れ回る心も、恐怖に怯える身体も、今はとても凪いでいる。  ただ水面が風に揺られるように、さわりさわりと心にさざ波が立つ。  その波を更に煽るように、グレンシスは吐息交じりの甘い声で、ティアの耳元に言葉を落とす。 「なぁティア、こっから言うのは、全部俺の独り言だ。だから、聞き流してくれればいい」  独り言に宣言をされるのは初めてのティアは、思わず首をかしげてしまう。  でも、言いたい言葉を全部飲み込んで、こくりと頷いた。 「俺はお前の事を子を産むための存在だと思ったことは一度もない」 「……っ」 「それに望む望まないに限らず、子供がいない夫婦などたくさんいる。そしてその夫婦が皆、不幸だとは限らない。ちなみに俺は一応貴族ではあるが、幸い次男だ。だから家督を継がなくて良い。世継ぎ云々という責任はない」 「......」 「勘違いしないでくれ。俺はお前と一緒にいたいだけだ。お前に求婚をしたのは、ずっとずっと、手を取り合って生きていきたいからその約束を形にしたかっただけだ」  そこで、ティアははっと息を呑んだ。  これまで目の前にかかっていた霧が晴れ、急に視界が明るくなったような錯覚を覚えたのだ。  目から鱗が落ちるとは、まさにこのこと。  グレンシスが紡ぐこの言葉が独り言だという前提を忘れ、体を捻る。当然のように彼と目があった。  ブルーグレーの瞳は、嘘も偽りもない澄んだ氷の色だった。 「でもなぁ、俺はこんな話を聞かされて、ちょっとだけ喜んでいたりもする」 「へ?」  ティアが間抜けな声を出せば、ここでやっとグレンシスは、ほっとした笑みを浮かべた。  ただ、それを見せるのが恥ずかしいのか、照れているのかわからないが、グレンシスは表情を隠すように自身の顎をティアの頭のてっぺんに乗せた。  「お前がそんな具体的に、俺との結婚について考えていてくれたからな。俺はてっきり、お前に釣り合わないから、無理だと言われたような気がしていたんだ」 「そ、そんなわけないですっ」  あり得ないと思えるほど的外れなことを言うグレンシスに、ティアは全力で首をぶんぶんと横に振る。 「良かった。ほっとした。ああ、それとティア、お前は知らないかも知れないがな───」  中途半端なところで言葉を止めたグレンシスは、ここでぎゅっとティアの身体を後ろから抱きしめた。  でも、この後に続いた言葉は、聞いたティアがびっくりして逃げ出さないように拘束した。  と、思われても仕方がないほど、破廉恥なものだった。  【子を作らないように愛し合える方法などいくらでもある】 「馬鹿ぁ!!」  グレンシスの予想通り、ティアは真っ赤になって大声を上げた。  そして拘束している腕から逃れようと、渾身の力を振り絞って暴れ出す。  でも力では到底かなわないと知っているティアは、今度は、ぽかぽかとグレンシスを殴りだす。 「なんだ言い出したのは、ティア、お前だろう?」  グレンシスの口調は呆れかえったものなのに、その瞳はどこまでも優しい。  遠慮なしに彼の胸のあたりを叩く自分を、可愛くてしかたがないといった感じで眩しそうに目を細めて見つめている。  それをティアだって知っている。  知っているからこそ、叩く手を止められないのだ。  グレンシスはずっと胸に抱えていた自分の不安を、こんな下品なネタに変えてくれたのだ。  少々ぶっ飛び過ぎだとは思うけれど、でも、これくらいのインパクトは必要だった。  おかげで自分は、今まで悩んできたことは何だったのだろうと思ってしまうほど、馬鹿馬鹿しい気持ちになれた。  でも素直に感謝することができず、羞恥半分、照れ隠し半分で手を上げてしまう自分を、グレンシスは笑って受け止めてくれいる。  なんて優しいのだろう。なんて器が大きいのだろう。なんて、なんて......  ティアはそれ以上、言葉が思い浮かばなかった。  ただ、ちょっとでも気を抜けばすぐに泣いてしまいそうになる。嬉しすぎて。恥ずかしすぎて。  こんな溢れる感情を言葉にできなくて、もどかしくて。それでもやっぱり伝えたくて。  こういう気持ちも切ないというのだと、ティアは初めて知った。
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