prologue なにせ顔が良かったもので

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prologue なにせ顔が良かったもので

 古今東西、老若男女問わず刃物で刺されたら血が出る。  そして受けた場所によっては、致命傷となり生死を彷徨うことになる。  ───それは将来を約束されている、超が付くほどのエリート騎士だって例外ではない。  西の空の雲が燃えるような朱色に染まっている。東の空には夜の帳が迫っている。  けれど、街並みは夜の静けさを拒むように騒がしい。  大通りには、これから飲みに行こうと誘い合う男の声や、遊び疲れて家路を急ぐ子供の甲高い声。  そして婦人たちの夕餉のおかずの情報交換するやけに真剣な声がごちゃ混ぜになって響いている。  そんな中、少し離れた路地裏では、一人の騎士の命が消えようとしていた。 「………くそっ」  心の臓のすぐ近くに深手を負った宮廷騎士は片膝を付いたままの姿勢で、こんな状況に陥ってしまった全てに対して悪態を付いた。  辺境伯爵の次男坊の生まれとしては、かなり順風満帆に生きてきたのに、本当にクソのような人生の幕引きだ。  手負いの騎士は、そんなことを思いながら、傷口を片手で押える。  止血の為に手を当てているが、ドクンドクンと心の臓の動きに合わせて吐き出される血液は、その大きな掌でも抑えることができない。  ぬるりとした感触がやけに他人事に感じる。多分、いや間違いなく自分はここで死ぬのだろう。  人の命などなんと脆いものなのだろうか。  そんなことをつらつらと思いながら、騎士はほんの少し前の出来事を思い返していた。  事の始まりは、部下の一人の失恋。  一世一代の大告白をした挙句、木っ端みじんに砕け散った部下を慰める為に、3人の部下と共にバルへ行こうということになった。  少し治安が悪いがかなりいい酒を出す店があると一人の部下が提案し、言われるままそこへ向かった。  ただ運悪く、その途中で引ったくりを目撃してしまった。騎士は街の警護兵ではない。けれど、見て見ぬふりもできない。  ………などと迷う余地はなかった。気付けば部下があっという間に犯人を捕らえていたからだ。  これで一件落着。近くの警備兵の詰所に犯人を押し付ければ済むだけのこと。けれど、一つ困ったことがあった。犯人は子供だったのだ。  先の戦争のせいで、この国にはいたるところに傷跡も残している。そして、この男児も戦争孤児なのかもしれない。  不意によぎったそれを打ち消すことができず、騎士はしばし悩んだのち、軽く説教をして見逃すことを選んだ。  だか、ここでも思わぬ誤算があった。  ひったくり犯である男児を人目のつかない路地裏に連れ込み、それから目線を合わせ、説教を始めようとした。だがその途端、斬り付けられたのだ。あろうことか、その男児に。  ───あのクソガキ。恩を仇で返しやがって。  騎士は、路地に消えて行った男児の後姿を思い出して顔を顰める。  次いで支えていた片膝が限界を迎え、地面に叩きつけられた。 「隊長っ」 「しっかりしてくださいっ。隊長」 「誰か、医者を呼んで来いっ」  部下が口々に切羽詰まった声を出す。  覗き込まれたその表情も、縁起でもない程に悲壮なものだった。  そして、その一人が堪え切れず首を垂れた。バルを提案した騎士だった。 「……隊長、自分のせいです。申し訳ございませんっ」  ───気にするな。お前のせいじゃない。それよりも、失恋した部下を慰めてやってくれ。アイツの方が今にも死にそうだ。それに後追いなんてされたら冗談じゃない。つまみ出すぞ。  騎士はそう伝えようとした。  けれど、深手を負った騎士は、部下たちに声を掛けることができない。  もう、息も絶え絶えなのだ。  視界がかすむ。自分の息が細くなる。今、意識を手放せてしまえば、二度と目を覚ますことができないだろう。そんな恐怖が全身を襲う。  ───頼む。誰か、助けてくれっ。  16歳で騎士となり、それから7年ずっと命と剣を国に捧げたつもりだった。  けれど、いざとなったらこんなにも情けないことを心から口走ってしまう。  ─── なんて無様なのだろう。だが、まだ死にたくないっ。  そう、騎士が声にならない声で叫んだ瞬間、 「どうかしたんですか?」  鈴を転がしたような涼やかな少女の声が路地裏に響いた。
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