盲目の彼とナルシストな俺

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俺は万人をも狂わす魅力がある。 そう言ったのは俺じゃない。両親が成長していく俺を見て言った言葉だ。 けれど、俺自身もそう思っている。それくらい俺の容姿は神が考えられる全ての美を集結したと言っても過言では無いくらいに、美しく整っているのだから。 深い金色の輝く髪に、青く澄んだ瞳。高すぎない鼻とやや薄めの唇、長すぎるまつ毛に縁取られた目に、全てのパーツが完璧な配分でそこにある。顔だけではなく体もきちんと鍛えているので引き締まったしなやかな体に、やや白めの肌が完璧だ。生憎身長は百八十を少し超えない位で留まってしまったが、まあそのおかげか女には「かっこいい」、男には「美人だ」と持て囃され、丁度いいと言えるだろう。 お陰様で本当に、俺は相手に困る事が無かった。男でも女でも俺とひとたび目が合えば落ちない人間は居なかった。しかも俺はこの見た目が買われて、王城の近衛兵という職まで掴むことが出来た。益々磨きを掛けようと思うのはおかしな事ではない。 今日も当番で城の警備に向かう所である。自室の鏡の前で、俺は自慢の金髪を緩く肩の辺りで結んだ。少し髪を伸ばしているのも、色っぽく見えるための演出だ。そして近衛兵の制服に袖を通す。完璧な美貌がそこにはあった。俺程の美形は、この国でも王族以外他に居ないだろう。流石に家系なのか王族は皆美しい、俺と肩を並べる程に。 王城に向かう道すがら、歓声が聞こえてくる。「スタンレイ様だ」「今日も美しすぎる」等の賛辞を道の両脇から聞きながら、俺はにこやかに城へと向かった。 「お前、いつか刺されるぞ」 「はぁ?」 近衛兵の事務所に着いた俺に、開口一番そう言ったのは同僚であり友人でもあるレオナルドだった。 レオナルドとは実家が近く、所謂幼馴染というやつだ。二十年も一緒にいるからか、レオナルドには俺の渾身のスマイルや美貌があまり効かない。それでも多少効いてるのか、俺の顔を真正面から見るとたじろぐのは気分が良いが。 「刺される?なんで。上手くやってるだろ」 「上手くやってるけど、お前今月で何人手を出した?お前の元彼女って名乗る集団が昨日揉めてたぞ」 「手を出すなんて人聞きが悪いが、向こうからやってくるものになんで俺が配慮しないといけないんだ?」 「そりゃそうだけどさ…でもそのうち何か揉め事に巻き込まれるかもしれないぞ」 「その時はその時だろ。俺は悪くないし」 「スタンレイ…」 レオナルドのそばかすだらけの顔が呆れた様に歪んだ。レオナルドは良い奴だ。俺を心配して言ってくれるのだろう。でも何故俺が自分の行動に気をつけないといけないのか分からない。 男も女も、皆俺と付き合って欲しい、一夜限りでもいいからと寄ってくる。そうして一夜だけならと寝所を共にすると、今度は恋人になりたいと皆言うのだ。そして俺は毎回お決まりの断りの台詞を満面の笑顔で言えば、皆俺の笑顔に魅了されて了承して去っていく。その繰り返しだ。 俺が本当にその中の誰かを好きになれば、別に付き合っても良いと思っている。でも今のところ生まれてこの方、俺は自分以上に愛せる人間に出会えていないのだ。 他人は殆ど同じだ。俺を見れば惚けるか、驚くか、畏怖を感じるか。そして大抵は俺に好意を抱く。その中から適当に俺に寄ってくる人間を受け入れているだけだ。例外なのは父と母、兄とレオナルドくらいだが、これは皆家族または家族と等しい存在であって、他人では無い。 俺はため息をついて、レオナルドに向き合った。 「ま、何かあったら頼りにしてるよ」 「おい、お前の尻拭いはごめんだぞ!」 「上手くやるって、適当に」 じゃあね、と俺はレオナルドに後ろ手を振って、事務所を後にした。事務所の方からレオナルドが騒ぐ声が聞こえるが、無視する。 今日は来賓があるとかで、いつもの城の警備コースとは違った場所の見回りを割り振られていた筈だ。 面倒臭いなあと思いながらも、俺は指示された持ち場へと向かった。 俺の今日の持ち場は、いつもの城内部王族居住スペースとは離れた王宮騎士団の演習場付近だった。騎士の見習いをしていた頃はよく通っていた場所だが、ここ数年は通り掛かりもしなかった場所だ。 遠くから騎士見習い達の掛け声や剣がぶつかる音がする。懐かしいなぁ、という気持ちになったが、そちらを覗いてしまえば俺が来た事に気を取られて騎士たちの練習が中断してしまうだろう、と思い止めた。大袈裟ではなく俺が大勢の人間がいる場所に行くと、全ての注目を奪ってしまうのは何度も経験済みだ。 辺りに異変が無いか気を配りながら歩かなければいけないが、その時演習場の方に気を取られていた俺は曲がり角から人が歩いてきていた事に気が付かなかった。 気付いた時には、角で何やら人らしきものと衝突してしまい、その人が抱えていた大きな本何冊かがばさばさと地面に落ちてしまった。 「っ…」 「わ、すみません」 慌てて俺はその落ちていた本を拾い、その人に渡した。つい癖でにっこりと笑顔を浮かべたのだが、その目の前の人は受け取った本の方に視線を向けたままだった。 大きな男だ。全身黒いローブを身にまとっており、俺がぐっと見上げなければいけない位に背が高く、騎士にしては細身と言えるがそれでもがっしりとした体躯がマント越しでも分かる。癖のあるうねった黒髪をざんばらに後ろで括っており、薄い紫色の瞳は美しく精悍な顔立ちだった。俺程では無いにしろ格好いいと言える男だ。 男は抱えた本をもう一度しっかりと腕に抱き込むと、その視線をやや俺の方に向けた。何故か胸元の辺りで目線が止まり、そのまま口を開いた。 「…悪かった。前が見えていなかった」 「いえ…」 「では失礼」 「え?」 「……何か?」 「いや、別に…」 そうか、では。と言って……なんとその男はそのまま俺を通り過ぎて行ってしまったのだった。 有り得ない。有り得なすぎる。 俺と道の角でぶつかったなんて運命的な出会いをしておいて、しかもあまつさえ俺に天使の様に微笑みかけられたと言うのに…まさかそのまま行ってしまうなんて。 今までこんな事は無かった。どんな人間でも俺と出会い微笑み掛けられれば全ての事を投げ出し、忘れて、俺を見詰めることに夢中になってしまうのが普通だ。それくらい俺は美しいのだ。 だと言うのにまさかそのまま、大して俺を見もせずに何処かに行くなど…有り得ない。 俺は呆然としてしまった。そしてもう一つ気付いてしまう。 目線すら、合わなかった様な気がする…。 二十数年生きていて初めての事態に、俺の方こそ全てを忘れて、その場で暫く呆然と立ち尽くしてしまうのだった。 あれから俺は彼の事を調べた。 名前はノア。伯爵家の次男で首席で騎士学校を卒業し、異例の若さで魔術騎士団長に襲名したのが五年前の事。しかし三年前に起きた隣国との大戦で負傷し、魔力循環の障害を患ってしまう。結果として現在視力がほぼ無く、僅かに見える人や物の気配や動きを読みながら生活しているらしい。それでも膨大な魔力と剣術は変わらずとの事で、今は騎士学校で未来の騎士達に剣術を教える教官として働いている。 なんて事はない。見えていなかったのだ…俺が。 見えていなかったのなら仕方ない、あんな態度も納得が出来る。 それでも何故か俺は、最近騎士学校の演習場の方に足を運んでしまう事が多くなった。今日も気付けば交代の時間の後に、ふらっと演習場まで来てしまった。 …いた、ノアだ。 今日も彼は演習場の中庭で生徒達に剣術の指導をしている。講義中には目元に魔力増力のサングラスを掛けているが、それにしても動きや空気の流れが良く見えるといったくらいの代物らしいのに、彼は見事に生徒達の動きの癖や力の入り方を指摘していた。 はっきり言って凄すぎる。並大抵の人間では無理だ。 彼は凄いと思う。俺がレオナルドに「ノアって男知ってる?」と聞いた時も、レオナルドは興奮気味に彼の事を自慢げに教えてくれたものだ。どうやらノアのファンらしい。 レオナルド曰く、先般の隣国との大戦も勝利できたのはノアの力あっての事だとか。今の我が国の平和もノアが一役を担っているそうだ。そして彼も俺程では無いが人気者らしい。 ふうん、と適当に相槌を打って見せたが、俺はやっぱり彼ともう一度話がしてみたいという気持ちがふつふつと沸いて仕方が無かった。 俺のこの美貌が分からない男、と言うものに興味があった。 俺は街で一番美味しいと有名なサンドイッチを今朝テイクアウトして来ている。毎日焼きたてのカイザーパンに自家製の生ハムとクリームチーズが挟まっていて、俺も大好物なのだ。先日の詫びを兼ねて、彼のランチ時を狙って渡しつつ会話をしようという作戦だ。 丁度昼すぎになり、剣術の指導が終わった様だ。ノアはさっさと宿舎の方に行ってしまうので、俺は見計らって声を掛けた。 「あの」 「…!」 驚いた様に彼が此方を振り返った。…しまった、目が見えていない人間にいきなり後ろから声を掛けるなんて、驚くに決まっている。申し訳ない事をした…と少し落ち込んだが、彼は何かを気にした様子もなく落ち着いた表情に戻った。 「どなたかな」 「あ、えっと俺…スタンレイと言います。先日道の角でぶつかっちゃった詫びに来ました」 「先日…」 考え込む様に彼は首を捻ってしまった。 …やばい、もしかして覚えられてすらいない。ノアにとって、人や物にぶつかるのは日常茶飯事なのかもしれない。だとしたらいちいちどこで何とぶつかったかなんて覚えていないだろう。 うわあ、どうしよう。と俺は焦った。 「あ、これ、…めちゃくちゃうまいサンドイッチなんです。良かったら食べてください」 「サンドイッチ…」 「怪しいものじゃないです!城下町で一番有名な店のなんで、誰か信用してる人に見せてもらえば分かると思うし…」 「……」 「じゃ、じゃあ!さよなら!」 サンドイッチの紙袋をぐい、と彼に押し付けると、俺は一目散にその場を走って逃げてしまった。 無理だ。生まれてこの方、俺を前にして落ち着き払ってる人間と会話した事が家族以外に無い。相手が落ち着いていると、逆にこんなに自分自身が焦るのだと言う事を初めて知った。 走って逃げて、人気の無い廊下で俺は頭を抱えた。ただ会話をしたかっただけなのに、全然上手くいかなかった。こんなにも普通の会話っていうのは難しいものなのか…。 やっぱり、次こそはきちんとノアと話がしてみたい。俺の顔を見ない人間と、話がしてみたいんだ。 俺はまた今度は違う店の食べ物でも持って会いに行こうと、算段を練るのだった。 それから暫く、俺は足繁く演習場の方に通う日々が始まった。流石に毎日の様に差し入れを持っていく俺を覚えてくれた様で、ノアも俺の事をスタンレイと呼んでくれる様になった。 「スタンレイ、毎回このような差し入れをしていては懐が痛むだろう。ありがたいが無理をしなくて良い」 「無理はしてない。俺が持ってきたくて持ってきてるだけで…」 「しかし……そうだな、では私も何か食べ物でも持ってくるから、それを君に渡そう」 「え?」 ノアは優しい。俺なんかの懐を気にして、代わりに何かをプレゼントしてくれるようになった。結果的に毎日のようにお互いが渡した何かの食べ物や飲み物を手に、演習場の横の草むらで一緒にランチを取る仲になってしまった。 当初不審者でしか無かった俺なのに、二回目に訪れた際ノアはオレが何処の誰なのかきちんと聞いてくれた。俺が近衛兵だと言い証のバッジをノアの手にのせると、「若いだろうに近衛兵とは素晴らしい」と言って笑ってくれた。近衛兵をお飾りの騎士なんて嘲笑う輩だっているのに、ノアは本当に優しくて思慮深い男だった。 最初こそしどろもどろだった俺だが、漸く普通に話せるようになった俺に「敬語が苦手なら普通に話して構わない」と言ってくれて、結果的にはまるで友達にするかのような話し方で彼とお喋りする日々だ。 優しくて暖かく、俺を変な目で見ないノアのそばに居るのが心地よくて仕方なくなってしまった。それからは、本当に毎日の様に彼の元に押しかけているのだ。 「わあ、モンブランだ。俺好きなんだよな」 「それは良かった。君が好きそうだなと思ったんだ」 「え?ありがとう…」 彼の好意はいつでもただ純粋で、照れてしまう。俺を振り向かせようとか、俺と付き合いたいとか、俺に取り入りたいとか。今まで誰かに何かを貰う時は大体見返りが求められた。でもそうじゃない、ノアは単純に俺を喜ばせようとして何かをくれる。それだけでもこんなにも嬉しい事なのかと、俺は毎回舞い上がってしまう。 それだけじゃない。彼は本当に優しくて良い人だ。以前失礼にも程がある突っ込んだ質問をした時も、優しく返答してくれて嫌な顔一つしなかった。 「ノアは見えていないのに、どうやってフォークとかナイフも使えるの?」 「フォークやナイフは、それぞれの重さが違う。それに私は物の気の流れが見えるから、大体の形や場所はわかるんだ。全ての物には微量ながら魔力があるからな。…鮮明には見えないが」 苦笑する横顔は、何処か寂しげに見えた。当たり前か。昔はきちんと見えていたものが、今は見えないというのは辛いだろう。しかしそれでもここまで普通に生活をし、仕事もして腐らずに生きている彼は凄いと思う。 そこからポツポツと、ノアは騎士団にいた頃の話をしてくれた。俺が近衛兵しかした事が無いと言うと、騎士団長として世界各地へ赴いた時の事を語ってくれるようになった。 この国から出たことが無い俺にとっては想像も出来ないような国の話を聞くのは毎回本当に楽しかった。 「──それで氷漬けになった十年前の人々を助け出した…と言う訳だ」 「よかった!すごい…凄すぎるよノアー!」 寒すぎて全てが凍ってしまう国に行き、そこに居た人々を火の魔法で救った話を聞いて俺は手を叩いてノアを褒めた。この話だけでは無い。いつだってどの国に行っても、彼は様々な人々を助けてきたらしい。本当に彼は英雄だ。しかしノアの方はやや照れた様に苦笑した。 「もう四年も前の話だがな」 「四年前なんて、俺はまだ学生でちんたら遊び回ってたよ。凄いなノアは」 「凄くないよ。…君の話を聞かせてくれないか?」 「俺?」 「そう。いつも私の話ばかりだろう。スタンレイの話を聞きたい。君はどうやって生きてきたんだ?」 「俺は……」 俺は、どうやって生きてきただろう。 公爵家の三男に生まれて、何不自由無く育った。加えてこの美貌で小さな頃から持て囃され、周りには常に人が居た。俺はそれを自覚して常に上手く立ち回ってきた。寄ってくる知らない男女を適当に相手にして、コネクションになりそうな取り巻きは利用させてもらった。近衛兵になれたのも、成績が良かったからというのもあるが俺を王妃殿下が気に入ったからというのが大きい。さすがに王族に手を出してはいないが、俺をいたく気に入ったと見えた王妃殿下には、特別に媚びを売った。 ああ、そうだ。俺には何も無い。 何も無かった。容姿だけが飛び抜けて優れているが、それ以外何も無い。 彼と居て、気付いてしまった。今まではこんな恵まれた人生他に無いと思っていた。それなのに、彼の波乱万丈ながらも素晴らしい生き様を聞いて、俺はなんて空っぽでちっぽけな人間なんだと気付いてしまった。 しかも目の見えない彼にとって、俺がいくら優れた美貌の持ち主でも関係無いのだ。俺の持ち得る物は何も無い。 黙りこくってしまった俺に、ノアが心配そうに此方を覗き込んできた。もちろん目線は合わない。 「すまない、話したくない事も人間多々あるだろう。無理に話さなくて良い」 「…いや、ごめん。気を使わせた」 「いいんだ」 優しく笑うノアに、俺は黙る事しか出来なかった。 明くる日、俺は気を取り直していつものように昼頃演習場へ向かっていた。昨日の事もあるので、今日はしんみりするまいと話を考えてきた。俺にだって小さな頃の可愛い思い出くらいはあるのだ。 いつものように演習場へ到着し、ノアがいる木陰の方に行こうと歩みを進めた。ノアはいつも通りそこに居たが、ふと気付くとどうやらもう一人居ることに気付く。 女性が一人、そこにいた。演習場に女性が居ることはあまりにも珍しいが、何かあったのだろうか。 女性は年の頃は俺と同じかそれより下くらいといった感じで、長いブルネットの髪を編み込みした後におろしていて、お洒落で可愛い女性だった。 二人は何やら話し込んでいたが、女性はぺこり、と会釈をして去っていった。ノアは何とも言えない複雑な表情を浮かべながら、その女性が去っていった方向を見詰めていた。 なんだろう。何故だか胸がもやもやとする。 俺はその胸の内を無視して、いつものように彼の元へ近付いた。 「やあ、ノア」 「…ああ、スタンレイ。こんにちは」 いつもより元気の無い笑顔が返ってくる。なんだろう、俺の胸のもやもやがどんどんと大きくなっていく。 俺たちはいつもの場所に腰掛けて、いつものようにランチをスタートした。 「今日は前にノアが美味しいって言ってたランチボックスのお店が、新しいのを出してたからそれを持ってきたよ」 「…ありがとう」 彼は歯切れが悪かった。本当にどうしたのだろう。思い切って、聞いてみようか。 「ノア、どうかした?」 「……いや、なんでもない。心配をかけて済まない」 「ううん。…さっきいた女性と、何かあったのかと思って…」 「ああ、見ていたのか」 ノアはじっと地面の方を見て、黙ってしまった。俺も何か聞いてはいけない雰囲気で、何も言えずに彼を見詰めていた。 暫くして漸く、ノアが口を開いた。 「彼女は、私の元婚約者なんだ」 「婚約者…」 何故だろう、胸のもやもやがどんどんと大きくなって、俺の体を占領していくような感覚だった。胃の奥底が重くなって、喉まで苦しくなってくる。 「元、だけどね。目が見えなくなった事で普通の生活は難しいだろうと、あちらの家から婚約破棄を言い渡されたのも随分昔の話だ」 「……好き、だったの?あの人が」 「どうだろう。でも小さな頃から彼女と結婚すると信じていたから、多分好きだったのだろうね」 「そっか…」 どうしよう。俺はおかしい。さっきのもやもやに全身を占領されていく。それどころか泣きたくなるような悲しさまで押し寄せてきた。これじゃまるで……。 「今はもう、ただの幼馴染でしかないが」 「……時々こうやって会いに来るの?」 「そうだな、彼女は私を気にかけてくれて時々現れる。……」 「…ノア?」 「今日は……また寄りを戻せないかと言われてしまって。動揺して変な態度になってしまったかもしれない。済まないね、スタンレイ」 俺の心臓がどくどくと音を立てた。 「……まだ、好きなの?あの人が」 「いや、今はもう未練はないよ。好きだったのは昔の話だ。それに今はいくら人や物の動きや気の流れが読めるからと言っても、普通の人と同じ生活が送れるかと言ったら嘘になる」 「……」 「それでは彼女の親は許さないだろうし、早く彼女には別の相手を見付けて幸せになってもらいたいと思っているよ」 ノアは優しい。そして思慮深い。 いつだって他人の事を優先出来る。自分の思いや欲望よりも、人の思いやその先の未来まで汲める。本当に素晴らしい人間なんだ。レオナルドが陶酔するのも分かる。 俺とは真逆の人間なんだ。だからこそだろう。俺は…ノアに惹かれているのを認めざるを得なかった。 だってこんなにも苦しいんだ。ノアから昔の好きだった人の話なんて聞きたくない。俺だけを見て欲しい。彼の手を取って、二人で何処へでも行ってしまいたい。 その日俺は結局ろくな話もできないまま、楽しい筈のランチの時間を上の空で終えてしまった。 誰かを好きになるのは生まれて初めてだった。しかも俺の事を好きじゃない人を好きになるなんて、思ってもみなかった。 しかも恋愛って、ふわふわしてて楽しくて嬉しくてどうしようもない、みたいな状態になるんだとばかり思っていた。現実は甘くない。今俺はとても苦しいからだ。 見回りのルーティンを終え、また昼は何を持っていこうか考える時間である。毎日もうこれのために生きているんじゃないかと思うくらいだ。 レオナルドからは最近また知らない令嬢と逢瀬を重ねていると思われているが、まさか俺が本気で好きになってしまった人がいて、それが男で、しかもレオナルドの大好きなあのノアだと知ったらどう思うだろう。 昼の事を考えながら、浮き足立つ気持ちと同じくらい苦しい気持ちがまた湧き上がってくる。 ノアは絶対、再びあの令嬢とまた結ばれるのが良いだろう。だってどう見てもお似合いな上に、元は好いた相手なら尚更寄りを戻した方がいいからだ。いくらノアの目が見えないからと言っても、一人で自立して現在もなお立派な仕事をしている人なのだから、彼女の両親も納得するに違いない。 そう頭では分かっているのに、俺の心は裏腹にキリキリと痛み、悲しんだ。 だって俺を選んで欲しいんだ。あの微笑みも優しい時間も、全部俺にだけ向けて欲しい。 けれどそれは無理な話だった。 何故なら俺にとっては唯一の取り柄であるこの美貌が、ノアには通用しないのだから。 秀でた見た目という取り柄を除いた俺は、ちっぽけな口の悪いただのガキの男だろう。ノアは優しいから押しかけてくる俺と一緒に居てくれるだけに違いないのだ。それくらい俺には、なんの魅力も無いのだから。 分かってはいても、せめて…思いを伝えるだけでも許されるだろうか。彼は優しいから、断るにしてもきちんと丁寧に振ってくれるだろうと思うのだ。しかしそうなるともうあの演習場へは行けないな…とも思い、少し悩んでしまう。 しかし人生で初めて人を好きになったのだから、振られると分かっていてもやはり思いだけでも伝えたい。最近はそう考えるようになっていた。 もし今日なんとなく、言えそうだったら言おう…。あなたが好きですって。 そう考えるだけで俺は自分の頬が熱くなっていくのを感じてしまう。 いつものように昼になって、演習場へと着いた俺はノアの様子がおかしい事に気がついた。今日は彼一人だけだったが、どうも顔が険しい。今までに見た事がないくらいに難しい顔をして、地面を睨んでいた。 「やあ、ノア」 「……スタンレイ」 …やっぱりおかしい。いつもなら優しく微笑んでくれる彼の顔が、一段と険しくなったからだ。 「……どうかした?」 「……」 「…………今日、調子悪い?俺帰ろっか」 「君の話を、聞いた。私の友人から」 さっと体温が下がり、自分の顔が青ざめるのが分かった。何を聞いたんだ、俺の事を。 怖い。 「君は……この国でも一番と言われるくらい容姿端麗で、魔性の男だと」 「……」 「様々な男女を魅了する王子のような男だが、一方で冷淡で誰も本気で愛さない…とも」 「……」 「君は、何故私の元に現れたんだ?目の見えない私が面白かったからだろうか。私を陥落させれば楽しい、そう思ったからだろうか」 彼の言葉はナイフのように俺の心臓に刺さった。違う、そうじゃない。ただ貴方と話がしたかった。そしたら本当に好きになってしまった…それだけなんだ。 けれど、彼の言う事の何が間違いなんだろう。結局は俺は目が見えない彼に興味を持って近付いたのは間違いない。そして今までの人を弄ぶ行いも全て事実なのだ。だとすれば、俺に言える事は何も無い。 しかも、極めつけは彼のその表情だ。俺に対して不信感を抱いている顔だ。その表情から、俺を信じていない事が見て取れる。余程信頼している友人から俺の事を聞いたんだろう。俺よりもよっぽど信頼出来る人間から。 「…もし、そうだと言ったら?」 「……もうここには来ないで貰いたい」 「……」 涙が頬を伝うのを感じた。溢れて溢れて止まらない。けれどここでしゃくり上げてしまえば、泣いてるのがバレてしまう。俺は声を押し殺した。 「今まで、ありがとう。貴方と話すのは、本当に楽しかった。心からそう思ってる」 「……」 声が、震えそうになる。必死で耐えた。 「さようなら」 「おい、スタンレイ?」 「え?」 「何度も呼んだのにお前全然気が付かないし」 「あ、ごめん」 「いやいいけど。どうかした?お前最近腑抜けって言うか、心ここに在らずみたいな…」 「そうかな」 「そうだよ」 今日は非番の日であったが、近衛兵の詰所で溜まった事務作業をしていた。しかしどうもぼうっとしてしまっていたらしい。 夕方の巡回を終えたレオナルドが此方にやって来て隣に座った。 「何かあった?大丈夫かよ、こんなお前初めて見るぞ」 「うん。いや、初めて……失恋した」 「はあ!?え、お前が!?」 「正確には告白もできなかった」 「マジかよ…」 「レオナルドの言う通りだ。刺されはしなかったけど、今までの報いを受けたんだ」 「スタンレイ…」 そう、レオナルドの忠告通りだったのだ。俺は今まで誰も愛さず、全ての寄ってくる人間を適当に相手にしていた報いを受けた。 生憎刺されたり脅されたりそう言ったことは無かったが、それ以上に悲しい結末を迎えてしまった。初めて心から好きだと思える人に好きだとも言えぬまま不信の目を向けられ、遠ざけられたのだ。 しかし全ては自分が撒いた種だろう。自業自得だった。 お陰様でここ最近、毎日よく眠れない。昼食の時間になると彼の事を思い出してしまって、無駄に涙すら出てくる日々だ。恋というのはこんなにも苦しくて辛い事だったのか…二十年以上生きてきて初めての挫折と辛さに、俺は打ちのめされていた。 「いやまさかお前が失恋なんてね」 「いいんだ、自業自得だから」 「あまり気落ちするなよ?お前ならすぐ次の相手見つかるだろ」 「……あの人以外好きになる気がしない」 「うわぁ」 他の人間じゃダメなんだ。ノアがいい。ノアはもし目が見えていたとしても、きっと俺の容姿に惚けるなんてしないだろう。多少見蕩れてくれるかもしれないが、それでも多分俺の内面を知ろうとしてくれる気がする。それくらい地に足が着いていて素晴らしい人物なのだ、彼は。でももし目が見えたままなら、あの令嬢と結婚していたのか…と思うとまた落ち込んでしまった。 最近落ち込んでしまい外でもあまり笑わなくなった俺だが、それでも「ミステリアスさが素敵」とか言って寄ってくる人間は減らなかった。それどころか何故か増える勢いだ。俺が登城した際なんかには、道の横に俺のファンクラブと思われる旗を持った人々が列を作るようになってしまった。俺が失恋して外面を保てなくなったというのに、逆にさらに人気が出るなんて余りにも滑稽な話だ。 しかしその中から次の恋愛相手を探そう…だなんて気は全く起きなかった。 「あの誰にも心を開かなかったお前が、初めて好きになった相手って誰なんだ?俺が知ってる人か?」 「……知ってる。多分皆知ってる人だ」 「え!?マジか、誰!?」 「それは…」 「あの、お客様が居らしてます」 俺とレオナルドが話しているのを割って、部屋に近衛付きの従僕の声が響く。顔を其方に向けると、従僕の男性が俺を見て頷いた。俺宛に客?心当たりが無い。だとすれば俺目当ての奴が押し掛けてきたという確率が高い。本当に面倒だ。 「悪いが帰ってもらってくれ」 「しかし、その…」 「何だ?」 従僕の男性が言い淀んだ。高位の人間が来ており断れないのかもしれないと俺は悟った。益々面倒な事この上ないが、どうやって帰ってもらうか…と考えていると、ドアの向こうからちらりと顔が覗いてきた。俺はその顔を見た瞬間、驚きすぎて思わず座っていた椅子を倒す勢いで立ち上がった。 「ノア!」 彼はバツが悪そうに此方を見てほんの少し微笑んだ。隣に居たレオナルドが「え?あのノア元騎士団長?え?呼び捨て?」と混乱しながら俺とノアを交互に見ていたが、俺は驚きすぎてレオナルドに構っている暇が無かった。 「どうしてノアがここに…」 「……ちょっと、時間はあるか」 俺は呆然としながら、頷く他無かった。 「ここまで来るの…大変だっただろ」 「そうだな。私はこの目になってから殆どをあちらの演習場と局舎でしか過ごした事が無かったから、道が分からなくてね。ここまで来るのに一時間も掛かってしまったよ…結局人に案内してもらわなければ、来れなかっただろうな」 「そんなに……」 そうまでして、何故自分に会いに来てくれたのだろう。俺は何を言われるのか恐れて、俯いたままノアを案内していた。 彼に「何処か落ち着いて話せる場所はあるか」と聞かれ、咄嗟に俺の家まで案内してしまった。と言うのも、近衛兵の詰所は王城の中でもまさに主要の場所であるので、いくら近くに人気の無い所を探そうとも常に見張りや使用人達が何処にでも居るような場所なのだ。これでは落ち着いて話など出来ないので、俺の屋敷ならなら王城から歩いてすぐにあるからと彼を案内してしまった。 家の使用人達が帰ってきた俺以外の客を見て慌てていたが、俺は皆を下がらせる様に伝えると自室へと彼を案内した。 自室にノアが居る、という事が落ち着かない。俺は彼が着ていた外套を肩から脱がせると、ドアの横のコート掛けに引っ掛けた。そして彼に「どうぞ」とソファへの着席を促す。初めての場所だからか、ノアはゆっくりとそのソファを目で確認しながら座った。見えていないというのが嘘のようだ。いくら物のある程度の場所や大きさが分かろうとも、やはり彼は凄い。 俺も向かいに腰掛ける。 「それで…今日はどうしてここに」 「ああ。君に、謝らなければならないと思って来たんだ」 「謝る?」 ノアが謝る事なんて何も無い。むしろ俺の方が謝る事ばかりだと思うのだが。 俺が訝しんでいると、ノアは悲しげな表情になった。俺は慌ててしまうが、何と声を掛けて良いかが分からなかった。そのうち、ノアの口が開いた。 「最後にスタンレイ…君に会った時に、君の話を聞かず私は一方的に友人から聞いた話を鵜呑みにし、糾弾してしまった。本当に申し訳無い」 「え?いや……だってそれは、事実だから」 「……」 そう、全て事実だ。俺がノアが目が見えない事をいいことに近付いたし、過去に色んな男女を取っかえ引っ変えしては誰にも愛を語らず、利用してきた。全て事実だ。何を彼が謝る事があるのだろう。 「事実。本当にそうだろうか」 「……そうだよ」 「しかし最後、君は泣いていただろう」 「!」 「私は、視力を失ってから他の感覚が研ぎ澄まされるようになった。些細な物音でも聞こえるし、気になるようになったのだ。君の声が震えて、堪えるように捻り出した声は…泣いていたんだと私は思った」 「……だから?」 「それだけじゃない。思い返せば、初めて私にサンドイッチを差し入れしてくれた時だって、君は緊張し、焦っていた。その後段々と仲良くなり、私の昔話を聞いている時の君は心底楽しそうで、自分が体験してきたかの様に喜んでいた。違うか?それらは全て演技だった訳では無いな?」 「……」 「だと言うのに、私は友人の君への総評を聞いて…頭に血が上ってしまった。君が根っからの色男で全ての人を騙していて、私との時間も嘘だったんだと思ってしまった。きちんと今までの事を信じ、本人から直接自身の事を聞かなければいけなかったのに…本当に済まない」 どこまで優しい男なんだ、ノアは。感動してしまう。そんな事を態々言いに一時間もかけて、来たことも無い場所まで来てくれたと言うのか。俺を傷付けてしまったのではないかと、謝るために。 優しすぎて、また涙が溢れそうになる。やっぱり俺は彼が好きだ。真っ直ぐで暖かくて、こんなに俺と向き合ってくれる人は他に居なかった。 溢れそうになる涙を堪え、俺は彼の方に目を向けた。 「ありがとう、ノア。ここまで来て、誠意を見せてくれてとても嬉しい。けど、友人の話とやらは事実は事実だよ。俺は今まで全ての人を誑かして、利用して生きてきた」 「……」 「ノアは見えないだろうが、俺は今まで目が合えば俺に好意を抱かない人間が居ないくらいに容姿が優れているんだ。だからこそ…他人は皆同じだった。俺の容姿に惹かれて現れる人間なんて、どれも……同じだったんだ」 「そうか…」 「だからあの時、道の角でノアとぶつかった時。俺に関心が無いノアに興味を持った。今までそんな態度を取られた事がないんだ。だから目が見えないということに納得して、俺はノアに近付いた。…信じて貰えないかもしれないけど、決してノアを落としたいとかそういう気持ちは無かった。ただ話がしてみたかったんだ……俺の美貌が分からない、という人間と」 「……」 「でも……」 まずいな。そう思った時にはまた涙が溢れて、頬を伝ってしまった。一度決壊した涙はそれ以降止まることを知らず、次から次へと溢れて零れてしまった。バレているかもしれないが、俺は懸命に堪えて声の震えを押し殺した。 「ノアと一緒に居て…ノアの話を聞いていたら…、ノアの事が好きになってしまった。生き様とか、話し方とか、持ってる空気感とか、全部好きになってしまった。人生で初めて人を好きになったんだ。でも俺はこの容姿しか取り柄が無いから…、目の見えないノアにとって俺は…なんの魅力も無くて、絶望した」 「ああ、スタンレイ」 ノアはゆっくり立ち上がると、そのまま俺の座る方のソファへやって来た。そして俺のま隣に腰掛けると、俺の体を包み込む様にそっと抱き締めた。 驚いて、涙が引っ込んでしまう。 「君は容姿以外何の魅力もないと自分で言ったが、それは間違いだ」 「え?」 「私は視力を失ってから、それ以上に多くの物を失った。愛していた自分の騎士団、思い描いていた未来、そばに居た人々、今までの日常。表面的にはどうにか生きていたが…もう死んでしまいたいと思う日々もなくは無かった」 「!」 「しかしあの日…差し入れを突然くれたスタンレイの行動が、驚きはしたがとても嬉しかった。大抵の人は私を腫れ物を扱う様に接してくるから…新鮮だった」 「ノア…」 「その後ちょくちょくとやって来ては、私の話を楽しそうに聞いてくれる君が…何時しか可愛いと思えてならなかった。昼食の時間に君に会える事が一日の中で一番の楽しみになってしまった」 「う、うそ」 「嘘じゃない。スタンレイの明るさと素直さに、すっかり私は心を奪われてしまった。けれどスタンレイ、という名前から友人にどんな人か知っているかと尋ねた時、思ってもみない答えが帰ってきて…余計に頭に血が上ってしまったんだ。よくよく今までの君を考えればわかった事だと言うのに。君が実は純粋で可愛い人だと」 「じ、純粋で可愛い……初めて言われた…」 「そうだろう。むしろ他の人間に言われてはならない。私しか本当の君を知らなくていいんだ」 「ひえ」 さらっと恥ずかしい事を言ってのけるノアに驚いて変な声が出てしまう。身じろぐ俺をよそに、ノアは手を俺の顔の横に添えた。そして親指で俺の唇の端に触れた。 ゆっくりとその精悍な顔が近付いてくる。避けるなんて考えもつかないが、どうしたらいいのか分からなくて硬直してしまう。そしてそのまま唇と唇が触れた。 優しいキスだった。何度か触れ合っていると、ノアは角度を変えて深く口を合わせてきた。俺だって手馴れているはずなのに相手がノアだと緊張してドキドキして、手練手管を披露しようだなんて到底無理な程頭がパンクしてしまった。 その間にもノアの舌が俺の唇を割って口内に入ってきた。舌と舌が絡み合う上に、あのノアがこんなにいやらしい動きをするのかと興奮してしまう。そして上顎を舌で舐めあげられた時、俺はぞくっとして小さく喘いでしまった。 唇が離される。目の前には雄の顔をしたノアがいた。普段の思慮深くて優しい穏やかな彼はいない。まさに今俺を食おうとしている猛獣の様な目がそこにはあった。 そうだ、何を隠そう彼は元騎士団長なのだ。男の中の男であり、頂点に立った人だ。俺なんかでは到底敵いようがない。 「スタンレイ」 「うん」 「愛している」 「俺も、好き」 全身に嬉しさと幸福感が駆け巡って、俺は目の前の人にぎゅ、としがみついてしまった。 誰かに好きだって言うのは、こんなに嬉しくて幸せな事なのか。好きな人に好きだって言って貰える事も、こんなに幸せなのか。何も知らなかった。俺は無知だったのだ。 ノアは真摯で熱い目で俺を射抜いたまま、口を開いた。 「今日はもう夕方だが、これから何か先約等は入っているか」 「いや、無い…元々今日は非番で…」 「そうか。なら、これからの時間を私にくれるか」 「もちろん。いつだって俺の時間全部ノアにあげる」 「ああ、本当に可愛い」 「か…」 言われ慣れてない言葉はどう反応していいのか分からない。あたふたとする俺をよそに、ノアはゆっくりと優しくソファに押し倒した。 「ん、っ…あ、やだ…」 「ここか」 「ひ、あっ…」 もう後ろに何本指が入っているのか分からない。ノアは優しく、でも時折情熱的に俺を責め立てた。 俺自身男に抱かれた事は幾度となくある訳だが、ここまで感じて狂った事は無い。ノアに触られてしまうとどこもかしこも感じて、体が勝手にびくびくと反応してしまう。 「そこ、だめ…」 「駄目じゃないだろう。イイ、の間違いだ」 「、あっ、…いい……でも、そっちは一緒に触らないで…っ」 「何故だ、気持ち良いだろう」 「そうだけど…ぁっ…、か、感じすぎちゃう…」 「っ…」 全身を隈無く愛撫する大きな手が、俺の後ろの孔だけでなく胸の尖った先端も押し潰す様に捏ねられると、体の芯からぞくぞくと何かが這い上がって勝手に仰け反ってしまう。 目が見えていないノアは手で俺の様々な所を触りながら反応を確かめるので、俺の体はすっかり感じ切って蕩けてしまった。見えない分声だけでもサービスしないと、なんて考えていられたのは最初だけで、結局意図せずとも勝手に声が出て恥ずかしい事を口走ってしまうようになった。 「スタンレイ、そろそろいいか」 「いい…早く」 前を寛げたノアが、自身を取り出して俺の後ろに当てた。今からされる事を考えるだけで、俺の後ろは勝手に期待してうねった。 先端が少しずつ俺の中に入ってくる。痛みや苦しさが来るかと思いきや、入口を刺激されただけで俺は達しそうな程感じてしまった。自分の体に驚いている暇もなく、そのまま押し進められて入ってくるそれに意識を奪われた。 「んっ、ああっ、…ぁ、」 「っ…入ったよ」 「ん……ノア」 嬉しくなってノアの首に手を回して、キスを贈った。俺の中にノアがいるのが嬉しい。そもそも俺で勃ってくれるのが嬉しい。今までは何だったんだと思うくらい、好きな人と繋がるのはこんなにも幸せで気持ちが良い事なんだと初めて知った。 「スタンレイは、キスが好きだな…」 「そうみたい。俺も知らなかった」 にこ、とノアが笑ってくれる。服を脱いで惜しげも無く披露された筋肉質な肉体美と、汗ばんだ男らしいその顔は本当に格好良くて、俺は知らず知らずのうちに後ろをきゅん、と締め付けてしまった。 「う…」 「んっ…」 「こら、待てが出来ないのかな」 「できない…」 動いて、とノアに囁くと、ノアはらしくない「クソっ」と言う声を上げ性急に俺の中を穿ち始めた。 「ひっ、あ、ああっ…!」 「スタンレイ…君は凶悪だ…」 「なんで…あっ、…ぁ、きもちい、っ」 「凶悪なまでに可愛い…」 がつがつと中の俺が感じる場所が的確に抉られて、俺は感じすぎて体が跳ねるのを止められなかった。 ノアが俺の腰を掴み更に奥までと進めてくる。ついでに先程同様すっかり立ち上がって敏感になった胸の先端まで触られてしまい、思考力もどんどん消えていった。あられも無い声が口から飛び出す。 「ノアっ…ノア、いく、いっちゃうっ…」 「ああ、いけ…」 「んっ…あっ!好き、ノアっ…」 「ああ、スタンレイ…愛している…可愛い人」 「あ、あああ…っ!!…」 愛していると言われて、俺は盛大に果てた。人生で一番の絶頂を味わってしまい体が痙攣する。後ろも勝手に収縮してしまい、中にいたノアを締め付けてしまったからか、ノアも小さく声を漏らして俺の中に果てた。 はぁはぁという二人の息遣いが重なる。力が抜けたのか俺に覆い被さるようにして息を整えているノアが、何故か可愛く見えて仕方なかった。俺は彼のこめかみに小さくキスを送った。 「……」 「…ん?あれ?」 「スタンレイ……すまないが、私は三年前この目になってから、一度もこの様な行為はしていなくてだな…」 「えっ、あ、ちょっと」 「枯れたかと思っていたが、そうでは無かったらしい」 「あ、っ待って俺、いったばっかりで…んっ!」 まさか脅威の早さでノアの分身が復活するとは思っていなかった。果てたばかりで敏感過ぎる後ろをもう一度刺激され始めて、俺はまたしてもあられも無い声を発する他無かったのだった。 「やあ、ノア」 「スタンレイ」 にっこりと笑ってくれるノアの横に、俺はいつも通り腰掛けた。 あれから俺は昼食の時間を狙ってノアの所に押し掛けるのを再開した。最近ちょっと気付くとイチャイチャしたりしてしまうから、場所を変えて演習場の近くにあった広場の休憩スペースの木陰で逢瀬を重ねるようになった。ここは人が来ないし涼しくて良い。 そして金曜日の夜は俺がノアを迎えに行って、週末をずっと一緒に過ごすようになった。恋人が元来できたことが無い俺にとって誰か同じ人と毎週ずっと一緒に居るなんて考えられない事だったが、ノアと一緒にいる時間はあっという間で幸せで堪らないひと時だった。 すっかり距離が近くなってしまった俺は、ノアの真横に座り込んで持ってきた紙袋を開く。 「今日はこれ、サンドイッチ!久しぶりに買ってきたよ」 「最初に持ってきてくれたあれか。懐かしいな…とても美味しかったのを覚えているよ」 「これ俺も大好き。ノアが気に入ってくれてよかった」 ノアが嬉しそうに俺の頭を撫でるので、俺まで嬉しくなってしまってノアの横に体を滑り込ませて頭をノアの肩に乗せた。 俺は恋人には甘えたのベタベタになってしまうらしい。自分でも知らない自分を今更発見していくのは、凄く楽しい事だった。 あからさまに毎日ニコニコと上機嫌な俺に、俺のファンと称する人達の間でも「恋人が出来たのでは」と噂する声が大きくなってきているので、そのうちノアとの事は公表してしまいたいと思っている。 レオナルドだけにはノアと付き合っている事を隠さず伝えたが、「まさかスタンレイの初めての本気の相手が、俺の憧れのノア元騎士団長だなんて…」と驚いていたけど、最後は笑って祝福してくれた。 サンドイッチを囲みながら、俺達はいつも通り会話を楽しんだ。食べ終わるとノアはいつも俺の頭を撫でたり肩を抱いたりしてくれる。今日は髪の毛を梳くように撫でてくれていた。 「ノアって、俺の髪好きだよね」 「ああ、いや…ずっと君の見た目は分からなかったからね。髪の毛が長い事もスタンレイに触れて初めて知ったから」 さら、と髪の毛の先を掬われる。「さらさらで美しい髪だ」と言われて、俺は嬉しくなった。見た目を良くするためだけに伸ばして手入れしていたが、ノアに褒められて嬉しい事この上ない。伸ばしていて良かった。 「金髪と聞いているが、さぞかし美しい色なんだろうな。見えない事が残念だ」 「ノア…」 「髪だけじゃない。君が声を上げて笑っていたり、君と抱き合っている時なんて、どうして見えないのだろうと思うよ。きっとスタンレイは美しくてとても可愛いんだろうね」 堪らなくなって、俺はノアにぎゅっとしがみついた。俺の事を見たいと思ってくれている事は嬉しいが、どんな思いでそう言ってるのだろうと考えてしまう。辛くはないかと心配になるが、見上げた先のノアはいつもの優しい顔をしていた。 「スタンレイ、実は一つ君に言っていない事があるんだ」 「何?」 「私の目は、直ぐには無理だが徐々に回復しているんだ」 「…え!?そうなの!?」 「ああ。元々魔力の循環障害というもので目が見えなくなっているんだが、数ヶ月に一回の魔力を体に巡らせる治療で少しずつ回復しているんだ。こうなった当初なんて真っ暗で何も見えなかったのが、今は人や物の気配や動きや形が分かるのはそのおかげだ」 「そうなんだ…」 「あまりにも少しずつだから何年か掛かるかもしれない、それとも急激に良くなるかもしれないしそれは分からない、と医者からも言われているけれど」 「そっか…でも良かった……」 「だから何時になるか分からないが、スタンレイの事を見られる時が来るのが今から待ち遠しいよ」 にっこりと笑ってくれるノアに、俺はまたほろりと涙を零してしまった。何年かかるか分からないその先でも、まだ俺と一緒に居てくれるつもりなのかと思ったら泣けてきてしまったのだ。 俺が泣いている気配を察知して、ノアが苦笑して俺を抱き寄せてくれる。 「君は泣き虫だね、スタンレイ」 「ノア関連の事でしか泣いた事ない…」 「それは光栄だ」 ぽんぽん、とあやす様に俺を抱き込む大きな手に、俺は体の力が抜けていくのを感じていた。 これから先、きっとまだ色々な事があるだろう。俺の身辺は煩いし、ノアの目の事もあり何かとぶつかる事も多いかもしれない。 それでも、何年経とうとも、この手は絶対に離したくないと誓った。俺の見た目じゃなく中身を愛してくれた、唯一の優しい手を。 涙を拭った俺は、優しく微笑むその口元にゆっくりと自身の唇を寄せたのだった。
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