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目覚めた俺とそこにある過去
「おー、目が覚めたか」
「うわぁっ‼︎ なにこれなにこれ!」
新手のドッキリかと思った。
なにせ目を開けたら目の前に、寝ている俺を覗き込む俺の顔があったのだから。
硬いソファーから飛び起きた俺は、周辺を不自然なくらいキョロキョロと見回す。
いや俺にとって不自然なのは周りの景色の方だが……
「あー、起きたん? やっぱ頭打ってたんだねぇ二色くん」
「いやぁそれにしても失礼ですよね。
錬次のやつ、売り場で俺の顔見た途端に卒倒したんですよ?
俺が松本さん見て倒れたらどうします?」
「そりゃあねぇ、あんたを二度と目覚めなくさせるに決まってるよねぇ」
楽しげな会話が響くこの場所は、やはり三年間世話になった休憩室で間違いない。
月間目標が書かれたホワイトボードも、番号札の付いてるロッカーも、全部馴染みのあるものばかりだ。
そして低いテーブルを挟んで座るそこの二人は、先輩社員の松本さんと………どう見ても若い頃の俺だ。
「どうした錬次? 鳩が豆鉄砲を食ったような顔してんぞ?
もう二ヶ月以上一緒に働いてんのに、俺の顔忘れたのか?」
忘れるわけあるか。こっちは二十八年間もその顔の成長過程まで見てきたんだ。
それよりもなぜか俺がこの場所に居て、俺の目の前にもう一人の俺が居るこの状況、どうやって飲み込めばいい……。
しかもさっきから気になってたが、この店で一緒に働いてた錬次と言えば、当然あいつしかいないんだ。
なぜ俺がその名前で呼ばれてる……?
ソファーからゆっくりと立ち上がった俺は、静かに深呼吸をする。
これからなにを見たとしても、もう驚いて倒れたりしないためだ。
休憩室に居る二人は不思議そうに眺めているが、最早そんなことはどうでもいい。
受け止める決意と覚悟を決めた俺は、出入口の隣にある鏡に向かって歩き出す。
「二色錬次……に、俺がなったのか?」
そこに映っていたのは、出会った当初の短めの髪をした友人………いや、親友と呼べる男だった。
いかにもアパレルスタッフらしい爽やかな外見で、知識や接客スキルも飛び抜けている。
この男と働けたから、俺は上を目指す気になれたと言っても過言ではない。
しかしあの日、妻と手を繋いで歩いていた男もまた………
状況を整理する。
俺は結婚記念日に、妻の目の前で車に撥ねられた。
その後目が覚めたらなぜか過去に働いていた店におり、今のところ出会ったスタッフもその当時のままと、プラスアルファの自分。
本当の俺はそこに居る壱谷千智のはずだが、なぜか今の俺の姿は二色錬次になっている。
つまり導き出される結論は……
交通事故で死んだ俺は過去の世界に戻り、妻の浮気相手に生まれ変わった⁉︎
「二色くーん、ホントにダイジョブかぁ?
具合悪いんだったらあたしから店長に言っとくから、今日は帰ってもいいよん」
衝撃の事実にグッタリと肩を落とし、鏡の前で頭を抱えている俺を、松本さんが軽いノリで心配してくれている。
松本さんは十歳くらい年上の社員だが、面倒見が良くてみんなから人気があった、小柄な独身女性だ。
彼女の送別会では俺も泣いたっけ……
「すみません松本さん、頭痛と吐き気が酷いので、早退させてもらいたいです」
「あいよぉ! 行けそうだったら病院行ってね」
調子が悪いのは本当だ。理解不能な状況下に放り込まれ、正気を保っているだけでも頭が痛い。
行って解決するなら病院にも行きたいが、過去の世界の同僚に転生しましたなんて言えば、心療内科か精神科にでも回されてしまいそうだ。
いやむしろ本当に精神障害の類いなのか?
それにしては未来の出来事を知ってるなんて、特殊能力過ぎるだろ……。
「たまにはゆっくり休めよ。錬次は相当頑張ってたし、疲れが溜まってるんだろ」
「あぁ、悪いな。先に帰らせてもらうわ」
まさか昔の自分に挨拶をして帰る日が来るとはな。
休憩室を出るとすでに店内は賑わっていて、チラホラと懐かしい顔も見掛ける。
売り場の至る所に新店オープンの文字があり、まだ大杉店が開店して一週間程度の時期だと把握できたが、俺はその賑わいから逃げるように店を後にした。
さすがに今の精神状態では、他人とまともに会話をする余裕がない。
商業施設のビルから外に出ると、景色の何もかもが懐かしく思えて少しだけ嬉しくなった。
仕事後によく行ってたラーメン屋も、飲み会後の溜まり場にしていたカラオケ店も、全てあの頃のままだった。いや、今から考えればこの先の未来に起こるのか。
気を取り直して歩いていたのだが、駅に着いたところで俺はフリーズする。どこに帰れば正解なのかが分からない……。
当時の俺は安いアパートで一人暮らしをしていたが、間違いなく後程仕事を終えた俺が帰ってくるだろう。
錬次も一人暮らしだったけど、体がこれでも他所様の家に行くみたいでなんだか気まずい。
そもそも財布やスマホがちゃんとあるのかすら、確認していないではないか。
慌てた俺はすぐにカバンの中をかき回し、一応生活に必須なものが揃っていることは分かった。
だがカバンのポケットに入っていた鍵を見て思い出す。
「そう言えばあいつ、よく原付きで通勤してたな……」
俺は駅までの道のりを引き返し、近くのバイク置き場までは到着したが、錬次のバイクはどれなのかという難題を前に泣きたくなっていた。
微かに残っている記憶の中で、色や形を基準に十数台に絞り込み、人が居ない隙にキーを挿して確認すること三十分。
めちゃくちゃ怪しい行動を繰り返したが、なんとか発見した慣れない原付きを運転して、無事に錬次が住んでいたマンションに到着出来た。
ここへは何度か遊びに来たこともあるが、やはり他人の家に居る感覚は拭えず、あんまり落ち着ける気分にはなれない。
これから毎日こんな生活になるのだろうか。
それとも寝て起きたら元の俺に戻っているとか、そんなパターンか?
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