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先輩後輩と夫婦の距離感
桜が舞い散る出会いの季節、新生活への意気込みを語る新人スタッフ達の中に、赤茶の髪を少し切り揃えた一美の姿があった。
「本日からお世話になります、三隅一美と申します! 大学二年生になりたての十九歳です。よろしくお願いします!」
「俺は準社員の壱谷千智。
入社五ヶ月のひよっ子だけど、分からない事があったらなんでも聞いて。
これからよろしくね、三隅さん」
そう、これが彼女とのファーストコンタクトだった。
千智の発言は一字一句違わないが、最初の頃の俺は一美の事を明るい女の子だなくらいにしか思っていなかった。
俺の記憶が正しければ先に錬次から距離を詰めていって、そのうち三人で遊んだりする仲になるはず。
仕事でも積極的に質問をくれたりして、どんどん彼女の印象が良くなっていき、いつの間にか一緒に居たいって思うようになったんだよな。
「同じく準社員の二色錬次です。
無事に採用されたわけだし、約束通りしごかれる覚悟はして来たよね、三隅さん」
「あ、お兄さん!
やっぱりお手紙じゃなくて電話でしたよー!
しごかれる覚悟は………出来てます!」
あぁ懐かしい。
この出来てますって言う瞬間にファイティングポーズを取る姿を見て、彼女のイメージは元気があって面白そうだって始まったんだ。
しかしそんな抵抗する気満々みたいな構えを取られたら、かえってしごけなくなるじゃないか。
「なに?
錬次と三隅さんって知り合いだったのか?」
「ただ面接に来た時に対応しただけの関係だよ。
てかお兄さんはやめて」
「はい、すみません。
二色さんは初めて見た時から、少し大人のお兄さんって感じだったので……」
そうして挨拶を交わした初日から、一美は一週間程導入研修を受ける為に社員と共に裏でこもる。
ようやく売り場に出た一美の教育担当は、まさかの俺だった。
普通なら社員や年単位で経験してるベテランスタッフの役割だが、思い返してみれば錬次が色々教えている姿を見かけたような気もする。
「本当に俺で良いんですか? 新井店長。
俺だってまだ入社後半年も経たないのに……」
「いやボクの見立てだと二色ちゃんが一番上手いんだよね、教えるの。
業務内容も理解してるし、もうちょいなのは接客くらい。ちょっと堅いんだよね。
だから三隅ちゃんに教えながら頑張ってみて」
言い方悪いけど、あまり賢そうに見えないのによく見抜いていらっしゃる。
店長代行者に昇格した辺りから直接自分で接客をする機会が減り、自分でもまだ感覚が戻らず、ぎこちなさを感じているところだった。
新井店長のアドバイスを参考に、自分のスキルアップも意識した新人教育になるよう張り切らねば。
「それじゃ基本的な声掛けの仕方、あと乱れた売り場を綺麗にしていく動き方から教えるね」
「はい、二色先輩よろしくお願いします!」
後輩の教育を本格的にやるのは久しぶりだったが、店長をやってた俺から見ても一美の上達は早かった。
持ち前の人当たりの良さを活かした、お客様への丁寧かつ大胆な対応は評判も良かったし、研修で覚えた服の畳み方も綺麗だった。
しかし大きな欠点もひとつある。
「この商品、ネットではこのお店に残ってるって出てるんだけどねぇ……」
「えっと、少々お待ち下さい。
………二色さん、この後サイズを指定して探すのどうやるんでしたっけ?」
機械類の扱いが壊滅的に下手だったのだ。
うちのブランドでは電子端末を使って在庫検索や取り寄せを行うのだが、その操作はスマホの扱いと大差無い。
本人はメモを見ながらやっているが、それでも手順を間違えて結果が出なかったり、仕舞いにはエラー表示になり本人までフリーズしてしまうのだ。
未来の錬次はこの一美をどうやって社員になれるレベルにまで持っていったんだ………?
「あーこれはね、まず商品番号から確認して、そうしたらこことここにチェック入れた後、次のページが開かれたところでサイズの入力をすれば良いんだよ」
小さな端末を手に持って操作している為、覗き込む二人の距離は必然的に近くなる。
何年も一緒に居て、その身体を抱きしめた回数も数え切れない程なのに、今は吐息を感じる距離に居ても手を触れることすら叶わない。
高鳴る鼓動にジッと耐えて息を呑み込んだが、こんなことが繰り返されては、正直俺の身が持たないだろう。
「おぉ、さすが二色先輩ですね!
ありがとうございます。お客様にご案内してきます!」
にかっと笑って敬礼するその姿は、何年経っても全く色褪せないんだな。
もういっその事恋人関係からやり直して、もう一度彼女と一緒に人生を歩んでいきたい。うやむやに終わった千智としての人生よりも、このまま錬次に成り代わって一美と結ばれた方が幸せかもしれない。
そう思って二人の将来を想像した時、俺の脳内に浮かんできたのはあの浮気現場だった。
「どうした錬次?
なんか青ざめた顔してるが」
「あぁ、悪い千智、なんでもないんだ。気にしないでくれ」
「ん? 本当にどうした?
お前が謝る理由なんて何も無いけど、具合悪いんだったら無理するなよ」
咄嗟に出た謝罪の言葉は、紛れもなく壱谷千智へのものだった。
自分が思い浮かべた光景を、まるで目の前の壱谷千智に覗き込まれたような罪悪感に苛まれていたのだ。
この当時の千智にとって、一美はまだ同じ店で働く一人のスタッフでしかないと言うのに。
さっき俺が望んだ未来は、必ず良くない方向に向かうという暗示のようにも思えた。
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