むかし、むかし

1/1
26人が本棚に入れています
本棚に追加
/20ページ

むかし、むかし

 むかし、むかし、大昔。  人々は鬼の存在に畏怖し、その存在から遠巻きに、縮こまった暮らしをして凌いでいた。  時に貢物をして、時に祭り、それでも敵わず時には鬼の逆鱗にも触れ。  鬼が笑えば物事のあらゆるものが打ち砕かれた。願ったことも、望んだことも、鬼が笑った瞬間に、その瞬間の物事はけして叶わないものへと変化した。ほんの些細なことも、命程大事なものさえも。  互いに互いの距離をはかりながら、けして踏み込むことはないように。  ある時、現れた鬼が気に入ったものは人間の生活に必要なものではあったが、けれどそれを使って鬼を弱らせることが出来ると踏んだ人間は二度返事でそれを鬼へ差し出した。それは反旗の手段だった。人間にとってはこれ以上ない程の好機になった。  鬼が気に入り、人間が選んだ反旗の手段は雨だった。  雨と呼ばれるその者のいる場所には常と言ってもよい程に雨雲が立ち込めていた。雨が一定より下の感情に陥ると辺り一帯はその度合いに応じて雨が降り注いだ。人間は雨のその性質を使い上手く生きたが、鬼に対して邪険さが勝ると同時に、手のかかる雨に対しても同じ感情を抱き始めた。最早雨に頼み込んで恵みを受ける手段でもなくなった。人間は雨を殴っては必要な時、必要な場所に雨を降らせるようになっていた。  脅威である鬼に、手間のかかる雨を押し付けた。恐怖で縮こまった雨は常に鬼の空に雨を降らせるだろう。二度と晴れることもない空に鬼は笑うこともないだろう。人間は嗤った、遂に鬼に勝つのだと。  人間は恐怖に勝った。鬼は、それから本当に笑わなくなった。  けれど人間の思惑とは違った。鬼が笑わない理由は鬱屈とした空の所為ではない。自分が笑えば雨の望みを叶えることも出来ない。雨を、悲しませない為にだった。  雨の為に鬼は笑わない。  鬼が雨に奪われたのは空ではなく、その心だった。
/20ページ

最初のコメントを投稿しよう!