鬼くんのたべもの

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鬼くんのたべもの

「そう、元は私がこの屋敷にいたんだ。もう随分と前のことで、あの頃はまだ鬼も小さかったな。いや雪か、もう」  鬼へ名を渡した後、天狗は雨と縁を引き連れて屋敷を案内して歩いた。後ろ髪引かれるような雪の気配は感じていたものの、それよりも雨の困惑が強い。その理由も悟って、天狗は雨を連れて歩いた。  縁も雪も気心の善い性格ではあってもそこまで察しが良いわけではなかった。屋敷にいろと迎え入れてはいるものの、そこでなにが必要かまでは気が回らない。部屋や設備の案内や、どこになにがあるかを知らせることが重要なことだとは考えが至らないのはきっと、彼等が根本的に妖であるが為なのだろうと天狗は思う。生きるのに、暮らすのに必要なものも、そもそも感覚が違う。例えば寝床の必要性や厠の重要性、食事の意味やそれら全ての概念が。  つまり、この屋敷の環境では雨のそうした部分を気遣えるのは天狗以外他ならなかったのだ。元が人間であるだけ、人間らしい生を捨てたとは言え忘れているわけでもない。  全てを好きにして良いのだいう前提はなかなか人には通用しない。その説明を説くよりも先に自分自身が動くことの容易さも明確だった。  だが、天狗はそれで構わない。足りないばかりの鬼の言葉も、違った意味で足りない縁の言葉も手にとるように把握する術を持つ天狗には。だからこそ、きっと雨はいつかその〝足りなさ〟で困ることが出るだろう。  天狗の〝耳〟に届く雨の心ならある程度は寛容で相応に対処してはくれるだろうとわかる。けれど素性が知れない分、ここからどうなるかがわからないのも事実だった。万が一、負の蓄積で爆発する力を持つ同胞だった場合はどうしたものか。  どうしたものか。何故得体が知れないのか。天狗の知識や術を持ってしてもわからないものは、一体どの部分であるのか。 「いやぁなんだろうねぇこれ」 「え? はい?」 「ああ、大丈夫今のは独り言」 「会話の中に独り言ですか」 「そう、私は常に忙しいからね」  どんな仕掛けが待っているかと思えば、得体の知れない雨という子はただただ無垢で幸の薄い少年なのみだった。そこになにも感じられないのに人でもない不気味さはあれど、見えるものも聞こえるものも、全ての感覚から得るものに昏さのひとつもない奇妙さだった。いっそ清廉潔白、こんなにも汚れのない生き物がどうして、人に囲われ乱暴に扱われていたというのか。  知れば知るほど、余計にわからない。人を捨て、雪よりも永く生きてきたはずがその長寿の間に一度も触れずにいられたものだろうか。  一体今までどこにいたのか。どうして今、そんなものが人の元に囲われていられたというのか。 (まさか、この世に生まれたばかりとは言うまいね)  だが、それも考えられてしまったということ。いつから存在していたのか、人の中に囲われていたのかを調べる必要もありそうだった。  さて、その所為もあるだろう。仕方がないとはいえ、屋敷に戻った時分から既に雨は随分と緊張した様子だった。心の緊張に引っ張られた体の強張りまでが聞こえてくる程凝り固まって、先ほどから天狗の耳には雨の声と同時に古木が軋むような音が入り込み続けていた。  ただ、それでも顔を合わせるまでよりは幾分か軽い。無理もない、不安な状況に加えてどちらも違った意味でうまく会話が成り立たなかったのだから困惑も相当のものだっただろうと察せる。天狗自身、あの二人の口から出る言葉よりも出ていない部分で理解する部分が多いのだ。  雨は、漸く話が通じると安堵していた。緊張が和らぐ音が聞こえる。口調に滲み出た怯えも、古木が軋むような強張りも薄れていった。  綻んだ表情はまさに無垢な少年。この中に、一体なにを隠しているというのか。 「不思議だねえ、君は」 「わた、私がですか」 「そう、君が」  案内しながら、天狗は雨への質問以外に自分の話を挟んだ。なんでも雪の口から「時々人ではないものが来る」とは聞いていたようで、実際に二人の会話には「天狗」という言葉も混じっていて初手の自己紹介から既に「この人のことだろう」と察しはついていたようだった。  そして、その理由だ。天狗は縁側に沿って続く庭園に腕を広げ語った。 「元々、ここは私が住んでいたんだ。でもここを離れなきゃならない理由があって、だから行くあてのない子鬼を捕まえてここに住まわせたんだ。庭の状態も屋敷も誰もいないより人気があった方がいいからね。何より、鬼がいれば人は寄りつかないから、虫除けにもなるからね」 「子鬼、と言うのは、その、雪様のことですか?」 「そう、あの鬼が本当に子供の頃、雨なんかよりもずっと小さくて、人の子供と変わらないだけ小さな頃のことね」 「そんなに小さな頃に……?」 「そう。でも、あれもあれで百は生きているからね。今であの姿にはなったけど、百年前はまだまだ、雨よりもずっと小さかった頃になるね。狼達よりも小さかったよ」 「百年!」 「まあ、人ではないからね。それでも長寿の鬼では今でもまだまだ子供なんだけど。雨は幾つになったの?」 「私……すみません、生まれは、わからないんです」 「そう。じゃあ仕方ないよね。縁だってわからないんだものね」 「はい、わかりません」 「君が屋敷に住むようになってからは十八年は経っているけど、狼の年も曖昧だからね。でも、見た目も中身も近そうで、良かったね」  言葉の流れで振り向く動作のまま、天狗は視線を右手に留めて足を止めた。それにつられて雨も同じ方向へと頭を固定し、なにがあるのかと部屋の中を覗き込んだ。  そこにはまるで使用感のない台所がある。最後に使われたのはそれこそ天狗が住まい、鬼が住み始める前のこと。  天狗の術のおかげで朽ちてはいないものの食物のひとつもない。あれから、調理を必要とする者が屋敷からいなくなった所為だった。 「まあ、こんな場所もあるんだけど、今後も使うのは雨だけになるかもしれないね。だから好きなように使って構わないからね」 「え? 何故です?」 「彼等は料理などしないから。それに、調理が必要なものを、そもそも食べていないからね、彼らは」 「……はい?」 「俺は狼たちと同じものか、村からあげられた作物を食う」 「はい?」 「雪に至ってはそんなものでもないからね」 「はい。雪様は花を食べる。だから、ここは使わない」 「はい?」  雨の表情は完全に混乱した。口に出したい言葉があまりに多すぎて、言葉の数々で混雑した喉がつっかえて、みるみる内に困惑で染まり上がった。  縁は屋敷に入る以前から二匹の狼と共に生き、変える必要もなく食生活もそれまでと同じなままだった。それは雪も同じこと、天狗が初めてその子鬼を見かけた時点で既に、雪は花を食べて生きていた。  食べられないわけではないのだが、その他は特に必要もない。生物として水分は摂っても米や魚、花に似た野菜すらも口にしていなかった。  天狗も雨の混乱がわからないでもない。なまじこの二人の外面が人とさほど変わりない部分が混乱させているのだろう。人の形をした縁が狼と同じ獲物を食らう姿など、きっと血の気も引く光景に違いない。ただ、天狗の知る内では果物か、縁のみ肉は焼いてもいたのだが。  そう、人と変わりないのだ。それでも鬼である雪が人や獣、同胞を食わずに花を食うなど、想像もつかないのではないか。  だが、雪は花を食う。花しか食わずに、生きてきた。 「…………雪様は鬼では……?」 「鬼は鬼でも、あれは作りが鬼らしくはない部分があってね。世に聞く鬼とは少し違うんだ。特出して見た目も大分違うんだけど……それ以上に、よく言う人を食うみたいなこともないんだよ」 「だから、花を食べているのですか?」 「私があれと出会った頃にはもう、ずっと花を食べているから。もしかしたら最初からそういう作りなのかもしれないよね」 「庭の花は雪様のお食事ということですか?」 「はは、そういえばそういうことだよね。いや、本来そんなものの為の庭ではないんだけど、あれにとっては自由に食べられる食物だよねえ。でも、花以外も一応は食べるんだよ、進んでそれ以外を摂る必要や環境がないだけで。持って帰れば茶も飲むし団子も食べる。でもここには食べ慣れた花があるからね。勿体無いことに、ここの二人は食事に無頓着なんだ。だから、ここは雨の城として好きに使ったらいいよ。雨は人と同じものを食べるのだろう?」 「はい……」 「混乱してるね。大丈夫、大丈夫。こんがらがっても、間違っても雨が食べられるようなことはないんだから」  困惑する雨は言葉をなくし、ただただ台所を眺めるばかりとなった。広い土間に頑丈そうな二つかまど、上がり段の先には炉もあって、こんなにも豪華な設備を無駄にしてしまうのは恐ろしいとばかりの目の色だった。  しかし、ここで雨ははっとした。これこそ、と閃いた様子で。 「天狗様、今日からこの屋敷の食事は雨にお任せ下さい」 「あれ、急に気力が湧いたね」 「お二人が出来なくて私が出来ることです。ただ屋敷に置いて頂くだけでは私の気もおさまりません。今日から、私がしっかりとした食事をお二人にお出しします!」
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