鬼くんと狼くんと雨くんのごはん

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鬼くんと狼くんと雨くんのごはん

「雪様、食事です」  天狗が戻らない限り見た目に豪華な食事を自発的にとることもない縁だったが、それでもいざそれらを目の前にするとたまらなく心が躍るのがわかった。運ぶ足取りも軽い。意気揚々と、縁は自身の分の膳をカミの背中で器用に運ばせ、雪の膳を持ち運んで彼の部屋へと入った。  少し遅れた後ろには自身の膳だけで精いっぱいの雨と、その横で不安そうに見上げるオウの姿がある。雨の体が頼りなく揺れる度オウの体が沿うように支えたが、今の雨にはそれに気が付けるだけの余裕もなかった。  自分が作った食事はまだ良いとして、この立派な器の数々と蝶足膳を落とすわけにはいかない。これまで連れ込まれたどんな人間の屋敷とも比べにならない距離を、こんな高価なものを抱えて運ぶなど。  雨の目は白黒する。オウはいっそ浮かぶ蝶足膳の下に首を差し込んで支えた。  雪は、突然のことに驚いているようにも見えた。見ようによってはで表情に変わりはないが、それでもほんの少しばかり、これまでより反応が機敏だった。据えていた腰を浮かして立ち上がろうとして、それを縁が制す。正面に雨が作った夕食の膳を揃えて。 「これは」 「雨が作りました、夕餉です」 「どこで」 「天狗様が台所を扇ぎました」 「天狗が」 「はい」 「雨が」 「え!? あ、はい!」  丁度、雨は自分の持つ膳をどこに置けば良いのかと困惑している時だった。慌てる雨の体が後方に揺れ、それをオウの頭が支えている。  雪は、一体どういった感情でいるのか。目の前に置かれた膳をじっと見つめている。「信じられない」とも見え、「なんだこれは」とも見える。結局はわからないが、それでも怒られていないのであろうことは縁やオウとカミの様子から汲み取れた。  縁は雪の左手側に自身の膳を置き、右手側に雨のものを置くように促す。その距離があまりにも雪に近いような気がして、けれどこうして食事を囲う経験もない雨にはこれが間違いなのか正解なのかも定かではなかった。  困惑する雨はそのままに、縁は自身の膳を前に腰を下ろした。オウとカミは彼の背後で伏せて待ち、残すは雨の着座のみとなった。  いつかのように、雨に全員分の視線が刺さる。けれど、雨にはこの瞬間決めたことがあった。 「あのっ」  縁は怪訝な色をして、雪は変わらない表情のまま雨を見ている。雨は丁度三つの膳に囲まれるような位置で雪の正面に正座し、その急さに縁の表情は遂に呆気にと変わった。 「ここに置いて頂けるのなら、台所はお任せ下さい。あと、その、ほかの、なにか私に出来る、洗濯も。身の回りのことでしたら、私にも出来ます。ですから、……ですので、どうぞ、よろしくお願い致します」  後半の声は尻すぼみで、声が掻き消えるのと同じく雨の体もしおしおと畳に沈んだ。  雪に向かってしっかりと頭を下げ、隠した顔は燃えていそうなほど熱い割に体は冷たかった。おかしなことを言わなかっただろうか、皆どんな顔をしただろうか、どう思われたのだろうか。雨の額は羞恥で畳に着地しきってしまった。  暫くして、布擦れが聞こえる。そうして昨日のように、あの可憐なかおりが雨の元にふわりと届いた。 「よろしく頼む」  声に弾かれ顔を上げると、雨の前には自分と同じように頭を下げる〝鬼〟の姿があった。まるで雨を真似ているよう、下がった頭は突き出た黒い角が畳に付いてすらいた。  鬼は全てを奪う。命さえも簡単に奪う。だから怒らせてはならない、逆らってはならない。鬼は怖い、強い、恐ろしい。人から教わったもの、どれひとつにも当てはまりそうにない鬼が目の前にいる。  だが、雨は思う。もしも雪がその鬼と変わらぬ存在であったとして、自分に失えるのは命以外にはなにもないのだと。この鬼が、雪が怒ったのだとしたら、こんな穏やかな雪が怒ったのだとしたら、それは相当のことをした自分が愚かなだけなのだろうと。  視界の端で縁が雪の真似をして頭を下げた。雨はその理由がわからないまま眼球が熱くなり、隠すようにもう一度体を伏せた。そしてもう一度「よろしくお願い致します」という雨の声に、オウかカミの短い返答が誰よりも早く返って来た。
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