花を食べる鬼くんは

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花を食べる鬼くんは

 雨が雪の屋敷で暮らすようになってから少し、あの日の宣言通りに毎日の三食と彼等の身の回りの世話をして過ごしたが、なにもしないような彼等の手間はそもそも酷く汚すようなことにもならず雨の仕事はさほど多くはなかった。手間あるとしたら、時折屋敷に入り込んだ鳥が屋内にまで追い込まれてオウとカミ、草履を脱ぎ忘れて夢中で追いかける縁の足跡くらいのものだった。  庭に至っては天狗の術がかかっているのかそもそも荒れるようなこともない。雨風が強まれば掃除や手入れが必要になるのだろうかとも思ったが、未だそんな日は訪れなかった。もしかしたらこの屋敷か、土地一帯に天狗の力が働いているのかもしれない。  それに加えて、ここに来てからというもの雨は一度も雨を降らせてはいなかった。  あれ程雨を降らせることにばかり専念していた自分が、その一切を望まれもしない。あれはなんだったのか、これはなんなのか、少しばかり、雨は自分自身について考える時間が増えていた。  しかしそれにしても穏やかで、考えるは考えるものの同じだけ心は安らいだ。  朝、叩き起こされることもなく自発的に目が覚めるまで寝て、身支度をして持ち場の台所へ。朝食を作っているとにおいか腹時計でふらつきながら現れる縁もそれに混ざった。  だが寝ぼけすぎて刃物や火を任せることも出来ない。縁の瞼が完全に上がりきるまでは「鳥にお皿のものがとられないように見ていて下さい」とお願いする。寝ぼけた縁はこれに疑いもなく任され、目覚めが本調子になる頃には朝餉も出来上がっていた。  膳は二人と一匹で運び雪の待つ部屋へ。  二日目の昼には食事は各々の部屋より広い場所でとろうと決めた。全員が揃って雪の部屋に集まってはなかなかの圧迫感で、庭園を望む屋敷の中心のような部屋でと意見が一致してのことだった。  食べ終わると雨は片付けを済ませて洗濯に移る。しかしこれには少々手こずった。なにしろまばゆい程絢爛な布をどう洗ったものか。そうそう汚すこともないが、洗わないわけにもいかない。何故ならこの屋敷にはそんな布しかないのだ。手拭いの一枚だって人が使えるものでもない。  それも終えると掃除に移るが落ちているのはオウとカミの体毛くらいなものでやはり時間はかからなかった。あっという間に終わる、これだけ広い屋敷と敷地で雨の仕事は昼にすら差し掛からなかった。  残すは昼餉と夕餉、そしてその後片付けのみ。あまりにも仕事がなく、三日目には手持ち無沙汰でたまらなくなり雨はお茶の用意を始めた。  昼餉から少し、縁の昼寝が終わる頃、あの庭の床几台にお茶と茶菓子を置いて二人を呼んだ。縁は想像通りに喜んだが、意外にも雪も好んだようだった。  言葉の多い縁と弾む会話に雪の相槌が時折流れる。それを見ていると、どうも雪は寡黙なわけでもないのかもしれないと思った。  ただ圧倒的に流れている時間に差があるだけで話したくないわけでも、楽しくないわけでもないように思える。縁の多少無遠慮な言葉も、雨の引け腰の言葉にも雪は躊躇わずに答えその場を去ることもない。きっと表に現れるものが圧倒的に微量で、圧倒的に感情を表す器官が鈍いのだ。  ただ、雨にはどうにも理解し難い行動が一つだけある。  雪はよく雨の髪に花を挿した。花を食うという雪が選ぶ花はその日最もよい花だと言って選んで雨の髪に挿すのだ。  雨が忙しなく屋敷を移動している間、度々雪は雨のもとへと現れる。雨が困っていればなにも言わずに手を貸して、雨が礼を言えばゆらゆらと庭か部屋へと戻っていく。これも最初の内は何事なのかと奇妙に思えたが、雪なりの気遣いなのだろうと理解は出来た。  雪が雨の髪に花を挿すのは、決まって昼餉の後だった。それはやがて床几台で賑わう頃合と重なり、雪は決まってお茶の時間に庭を練り歩いて花を探すようになった。雨の髪に挿す花を、その日一番良い花を。  そして一日の終わり頃。雪は雨の髪に挿した花を回収していく。明日には明日、一番の花をと言って。  雨が花をどうするのかと聞くと、雪は後で食う、と答えた。あらゆるものが乏しい雪の微細な違いや変化は理解し始めても、未だこの行動はわけがわからないままだった。  だがきっと意味はあって、悪い意味でもないことはわかっていた。花は雪にとって大切な食糧、それを、その中で最も良いというものを差し出してくれているのだから。  だから、実際に見ている部分以上に雪は優しいのだと雨は思っていた。表に出ないのが惜しいと思えるだけ優しいのだと。  その証拠にも、未だに雪は雨と対峙する際にその長身を縮めることがある。その場に膝をついてまで雨の言葉を受ける。それはオウやカミとも変わらないような、まるで動物から受ける忠実さにも似ている姿で、雨には正直くすぐったいものだった。  静かな声で、少ない言葉で話し絢爛な中を穏やかに動く雪の姿は優しさが相まって本当に美しかった。  人にはない美しさがその種族にはあるのだろうが、縁から聞いたように雪は鬼らしくはないのだ。それはつまり、鬼の持つ美しさではない。雪本人による美しさなのだろう。  敵がいない、危険がないという生命単位でも余裕があるからなのかもしれない。人のように忙しなく動くことも、逆に落ち込むこともない優雅さが、雨には眩しくて仕方がなかった。  今日も、朝餉を三人で囲み雪の部屋にいる。正面にはオウとカミを背後に据えた縁がいて、左手には雪がいる。自分が作った食事を静かに食べる雪を見て、雨は花を食べる雪の姿を想像した。  まだその姿を見たことはない。どんなに綺麗だろう、どれだけ美しいことだろう。  きっと、想像を絶してその姿は美しいことなのだろう。
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