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我ながらストーカーじみたことをしている。
誰かに見咎められたわけでもないのに、雨杜は気まずくなりながら新宿駅で途中下車した。
この前、安孫子と会った東南口へ向かう。この先にある屋内喫煙所で我孫子を探すのが、このところの日課だった。
今のところ全敗しているが、日向に『これからは頻繁にはこないだろうね』と断言されてしまったのでは仕方がない。
名刺に書かれていた電話番号は会社代表のみだったし、メールアドレスも個人のものではなかった。そもそも用事が個人的なことなので、それらで連絡を取るのは憚られたというのもある。
高架下喫煙所を見渡し、雨杜は肩を落とした。
我孫子は周囲より頭ひとつぶん背が高いから、混雑していてもすぐに分かる。それでも未練がましく、もう一周視線を巡らせる。
やはりいない。
諦めて踵を返した時だった。
「吸って行かないんですか」
ずっと会わなくてはいけないと思っていた人が立っていた。
この前より少し疲れているようだった。後ろに撫でつけた髪が額に落ちている。目元にも薄っすらと隈が見て取れた。
「えっと、吸います……」
不意打ちに、雨杜はたじろいだ。
頭の中でシミュレーションを繰り返した第一声は霧散して、ぎこちない返事が唇から零れる。
灰皿へ向かう我孫子の後をついていく。
煙草に火を点け最初の紫煙を吐く横顔を、雨杜は見つめた。
煙を喫い、肺に溜めて、吐く。一連の動作が堪らなく色っぽい。煙草を挟む指先にも男らしさが匂っている。
煙草の銘柄はその辺で容易に買えるような「おじさんが喫う煙草」だったし、ライターもサービスライターだったけれど、格好良かった。
爪がやや伸びているところも、雨杜の気分を良くさせた。セックスの相手が存在する可能性が少し減ったからだ。
雨杜はほっと胸を撫で下ろした。
我孫子を好きになろうと決めたのだから、好きになれそうなところはたくさんある方が良い。それがたくさん集まれば、本当に好きになっていくだろう。
「……何か?」
つい見過ぎてしまった。不愉快にさせてしまったかもしれない。慌てて「なんでもありません」と首を振る。
雨杜は自分の煙草に火を点けた。ごく軽いものだが、それでも口にいがらっぽい臭いが残る。吸っているときはまだましなのだが、寝起きなど不意に口内に煙草の苦みを感じるのは良いものではない。
本当に、喫煙所に入り浸りのあの人と話をするためだけに喫っているんだ。そう自覚的にさせられる。
「……あの、連絡先を交換していただきたくて、……迷惑でなければなんですが」
一服して、上目遣いに我孫子を見る。
彼は軽く目を見開いてから、口元を覆うようにして深く喫う。返事を検討しているようだった。
決して長い時間ではないのに、雨杜は落ち着かない気持ちになる。
なんのために? などと尋ねられてしまったらへこんでしまう。
恋みたいなものは、ストーカー紛いの行動をさせる勇気を与えるくせに、同時に臆病にもさせる。アンビバレントだ。
我孫子は煙草を揉み消し、スーツの隠しからスマホを取り出した。
「こちらからお願いしようと思ってたので、ちょうど良かったです」
「えっ、」
「あなたも不安でしょう」
意図が分からず混乱したままラインを交換すると、すぐに我孫子から画像が送られてきた。
「……?」
燃え滓が映っている。それも少なくない量だ。
「これって……?」
「処理を任されたものです。安易に他人を信用するのは正直どうかと思いますよ」
雨杜は「あぁ、」と呆然と息を漏らした。どこへ出しても恥ずかしいあなたの自撮りを適切に処理しましたよ、ということらしい。
思わずラインの画面を眺め呆けてしまう。
この人、どういう人なんだろう。
我孫子という人間のディティールがブレる。
我ながら頭の悪い性癖を見られてしまった。大抵の人間なら関わり合いを持ちたくないだろう。それを大人の立場として諫めてくれた。その上、こんな手間までかけて雨杜の立場を守ろうと努めてくれている。
ここまでして、彼になんのメリットがあるというのだろう。
「あの、」
雨杜の鈍い反応に、今度は我孫子が戸惑ったらしい。
「クラッシュしたHDDの処分を頼まれた時とか、ドリルで穴を開けて、現物か画像をお渡しするので、ついそのつもりだったんですが、」
厳つい大型犬がオロオロとご機嫌を伺っているのに似ていた。
可愛い。
そんな感想が沸いて出た。
好きになれるに決まっている。
この人は間違いなく、良い人だ。きっと自分を傷つけたりはしない。
そんな確信が雨杜の心を浮き立たせる。
チカチカと世界が輝きだした気がした。
「ありがとうございます!
ご迷惑をおかけしたのにここまでして下さると思ってなかったので、驚いてしまいました」
雨杜の笑顔を受けて、安孫子もほっとしたらしい。軽い吐息と共に、二本目に火を点ける。
だが、上手く行き過ぎている展開に、早くも雨杜は不安になった。
……もしかして、彼の用はこれで済んでしまい、以降の連絡はないということだろうか。
それでは困る。
「あの、これから予定って、あったりしますか。お礼って言ったら変ですけど、どこか行きません?」
「気にしないでください」
我孫子の返事はつれない。本当にどうでもいいような、相手にするまでもないような口調だった。
年齢差を考えれば、雨杜が奢ると言っても我孫子が財布を開かせないだろう。かえって迷惑になる。
そんな考えが脳裏を掠めたが、雨杜は止まれない。
「迷惑料でもいいんですけど、……口止め料でも」
「本当に、……あ、」
泣き声交じりに食い下がる雨杜に我孫子は困った様子だったが、何かを思い出したように、人差し指でトンと煙草の灰を落とした。煙草の燃え尽きた白い部分が灰皿に落ちて崩れる。
我孫子は小さく息を吐きながら、額に落ちた前髪を撫でつけた。
「バーでも良いですか。
日向さんもたまに顔を出される店なので、そういうのが嫌じゃなければ」
どこか痛みを耐えるような色をした目は、すぐに紫煙の合間に隠れて消えてしまい、それを雨杜が見ることはなかった。
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