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雨杜には「お父さん」が二人いる。実父と義父だ。
実父のことは殆ど記憶がない。両親が離婚したのは雨杜がごく小さいうちで、一度も面会に来たことがない。母は口に出したことはないが、養育費すら払っていないのではないだろうか。
それから雨杜が中学生になるまで、母と二人で慎ましく暮らしてきた。
中学生になって、母がひとりの男性を連れてきた。穏やかそうな人だった。「結婚を考えている」と告げられた。
母が苦労をしてきたのを雨杜は間近で見てきた。反対する理由などなかった。
義父は真っ当な人だった。
いわゆる「シングルマザーの彼氏」として、ニュースで報じられるような人ではなかった。DVや連れ子への性的虐待とは無縁だった。
「いきなりお父さんとは呼べないよね。でも、君がそう呼んでもいいと思ったら、お父さんって呼んで欲しいな。
今すぐじゃなくてもいい。どれだけ時間をかけても構わない。
君が十五歳になっても、二十歳になっても、いまの僕と同じ歳になっても、ずっと待ってるね。
待ってることを、許してね」
義父はそう言って微笑んだ。中学生の子供を相手に、ばかみたいに丁寧に喋る人だった。
雨杜は義父を待たせることなく、すぐに懐いた。そもそも実父の顔すら覚えていないのだから、反抗心などおこしようがない。
義父の書斎には本がたくさんあった。とりわけミステリー小説が多く、雨杜も借りてよく読んだ。この人物が犯人ではないか。その根拠は。このトリックは。そんな話をにこにこしながら聞いてくれた。
母は人が死ぬような本を好まないので、話ができて嬉しいとさえ言ってくれたので、以来、読書量は増えた。
あの夜さえなければ、雨杜はもっとまともな人間に育っていただろう。
深夜のことだった。
雨杜は咽喉の渇きで目を覚ました。とっくに眠っているだろう両親を起こさないよう、慎重に一階にあるキッチンへ歩いた。
「…………、」
両親の寝室の前を通ろうとしたとき、微かな声を聴いた気がした。止しておけばいいのに、そっとドアに耳を押しあてた。
ドアを一枚隔てた奥で、夫婦の営みが行われていた。
か細い声に交じって、太く荒い呼吸がする。
義父がセックスをしている──。
雨杜は全身を緊張させた。驚愕の事実を知ってしまった気持ちになった。
今まで雨杜は義父の下半身のことを考えたことはなかった。
義父は母を思いやる良い人だった。連れ子である雨杜に対してもそうだった。だから、雨杜は義父を聖人かなにかのように思っていたのかもしれない。
その義父が……。
早くここから立ち去らないと拙いことは分かっていた。けれど、魅入られたように動けない。ばくばくと心臓が早鐘を打って、汗が吹き出る。
耳を押し潰すようにして寝室の物音に聞き入った。
肉と肉がぶつかり合う音がする。一定のリズムを保って、ギ、ギとベッドが軋む。はッ、はッ、という食いしばった歯の隙間から漏れる吐息が混じる。
耳が犯されているかのような荒々しさだった。
ぞくり、と熱の本流が腰に流れた。
普段は穏やかな義父は腰を使いながら、どんな顔をしているのだろう。
どんな顔をしていようと、雨杜には見せない顔であるのは間違いない。
ずるい。お母さんばっかり、ずるい。僕もお父さんがセックスしてるときの顔、見たい。
雨杜は乱れる呼吸を片手で抑えながら、もう片方をスウェットの中に潜り込ませた。むっと湿度の高い空気が充満していた。下着の上から触るとペニスが硬く勃ちあがっていた。
下着の上から軽く擦り上げただけで、腰が抜けそうなほど気持ちいい。
お父さん。
ベッドの軋むリズムが変わった。義父が射精に向かってピッチを上げたのだ。
さらに鋭さを増した雄の唸り声が聞こえる。
『お父さんって呼んで欲しいな』。そう言われた時の義父と、今の義父の姿の落差が、どうしようもなく雨杜の劣情を煽る。
腰が揺れてしまう。
クラスメイトに無理に見せられた動画が脳裏に過ぎる。結合した性器がアップに映し出されていた。
粘っこい水音が記憶の中の動画から再生されたものなのか、ドア一枚を隔てて聞こえてくるものなのか、区別がつかない。
義父のペニスも動画と同じ動きをしているのだと思うと、涙が溢れてきた。今まで経験したことのない、制御不能の欲情のためだった。
義父がセックスしてるときの顔を見たかった。それを見るには自分も同じベッドに上がるしかない。義父とセックスするには彼の欲情を煽るしかない。
お父さん。お父さん。
お父さん、僕を見て。
いやらしいことするから、見て。
繰り返しただけ、下腹部が熱を増していく。
妄想の中で、義父がすぐ目の前で、荒い吐息を雨杜の頬に吐きかけている。
そこには家庭を第一に考える出来た父親などいない。
手加減のないストロークが雨杜の孔を穿ち、粘ついた音を発てる──。
ギッ、とひと際、激しくベッドが軋んだ。義父が達したのだ。
「っ、」
同時に、雨杜は咽喉を跳ね上げてイッた。全身がピンと硬直した。
乾いていたはずの舌がぐっしょりと唾液にまみれて、顎にまで伝った。
逃げるようにして自分の部屋に戻っても、まだ身体の火照りが残っていた。自慰ではとても足りなかった。
義父でさえなければ、と思った。
思春期の子供なら両親のセックスを盗み聞きしたりしない。その場で生理的な嫌悪を感じて踵を返した筈だ。
けれど何度お父さんと呼ぼうが、義父は他人に過ぎなかった。
その夜のことがあって、雨杜は寮制の学校へ進学した。母には何度も思い直すよう説得されたが、わがままを通してしまった。
母が苦労した末に手にした幸せを象徴する家に、自分がいてはいけないと思ったのだ。義父にも良い子の顔をしたままでいたかった。
ふたりに本性を知られるのが恐かったのだ。
雨杜には「お父さん」に見られたいという欲望だけが残った。
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