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日向は悩んでいた。
悩みすぎて、「日向さん?」と雨杜に覗き込まれるまで溜息が止まらないくらいだった。
「あ、ああ……、申し訳ない、
新商品だったね、うん、検討しておきます」
雨杜が持ってきた広告を手繰り寄せる。爽やかな青空の下で女性が、夏の新商品であるペットボトルを手に会心の笑みを浮かべていた。
どこまでも日向の心境とは対照的だ。
また溜息が出る。
「お加減が優れないようですが、大丈夫ですか」
雨杜まで表情を曇らせた。
申し訳ないな、と自省する。
「至って健康だよ、大丈夫、大丈夫」
「それなら良いんですが。
私はてっきり安孫子さんが担当から外れてしまったので、」
「えっ、」
気落ちされているのかと。と、続きそうな言葉を、日向は最後まで聞かなかった。
慌てて伸び上がり、デスクに置いた試供品のペットボトル数本を転倒させてしまった。
「え、本当ですか」
二人して慌ててペットボトルを拾い上げる。
雨杜は軽く放ったボールが、意図せず命中してしまったように目を丸くしている。
確かに昨日、関という男が挨拶に来た。我孫子の仕事が忙しくなるので、今後のサポートを任されたという話だった。
日向としては気心の知れた安孫子の方が仕事がし易いので、残念だったが文句を言うわけにもいかない。
いかにも最近の若者、というのが関の第一印象だ。もっとも日向の場合「最近の若者像」そのものが古いのだが。なまじ安孫子が真面目を着ているような人間だったため、任せて大丈夫なのか関に一抹の不安を抱いたのは否めない。
「……ちょっと聞いていいかな」
日向は上目遣いに雨杜を見た。
なにしろ、目の前に正真正銘の「最近の若者」がいるのだ。これを確認しないことには、日向の悩みが本物なのか、ただの杞憂なのか判断できない。
「最近の若者って、ほっぺにキスする?」
「……それは、どういう関係が前提なんでしょう?」
それが分からないから、聞いているだけどな!
日向は胸内で絶叫した。
「友達とか、同僚とか、」
「しませんけど」
しないらしい。
まことに残念な結果になってしまった。いや、残念か残念でないかは日向の主観によるものだ。つまり、非常に失礼な感想なのである。
ふと、日向は気が付いた。
「雨杜くん、どうして我孫子くんが外れたの知ってるの?」
関が来たのは雨杜の後で、二人は殆ど入れ違いだった筈だ。
雨杜がハっ、と息を飲んだ。
余計なことを言ってしまった、と顔に書いてある。気弱そうな顔がますます居づらそうになった。
「……エントランスで声を掛けて頂いて、ラインを交換しました」
「…………」
それはもしかして、取引先の会社のエントランスで関にナンパされて話をしているうちに、我孫子の後任である事実が判明した。そういうパターンなのでは。
雨杜の一言がかなりディティールを欠いているのは、告げ口にならないよう、わざと省いているのかもしれない。
日向は言葉を失った。
ただ、一言を除いては。
頬とはいえ、どうしてそういう非常識なことする男に、キスを許しちゃうかな安孫子くん!?
真面目な人間ほど、踏み外すときは大幅に外れてしまうんだろうか。目の前が暗くなる。
しばらく眠れなくなりそうだった。
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