1.優しい恋の終わり

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「申し訳ありません。お約束できません」  我孫子はよっぽど頬を張ってやろうかと思った。実際に身を乗り出し、利き手が動いた。我孫子は他人に暴力を振るった経験がない。それでも動いた。  だが、振り下ろせなかった。  雨杜が身を縮めて、打たれるのを待っていたからだ。子供が親から折檻を受ける姿を連想させるには十分だった。  振り下ろす目標を失った右手を戦慄かせながら、我孫子は呻いた。 「今の会社、いられなくなりますよ」  封筒には画像をプリントアウトしたものが入っていた。現実離れした、雨杜が映っている。  明らかに性行為によって顔を蕩けさせている彼。  脚を広げて、バイブレーターを受け入れている彼。  赤くめくれ上がった後腔を、さらに指でもって広げて見せる彼。  本気で処分するつもりなら、シュレッダーにかけた上で燃やすだろう。そこまで徹底しなければ安心できない内容だ。  それなのに雨杜は、封筒に入れてはいるものの、誰でも手に取れる場所に捨てた。捨てた、というより放置したの方が正確だろうか。  その事実がカラオケボックスという空間をなおさら狭く、重くしている。 「あなたがどういう嗜好を持っていようと勝手ですけど、人目につくような真似は感心しません」  我孫子は乱暴にソファへ座りなおした。雨杜を打とうとしたショックが抜けていない。出来るだけ雨杜から離れたかった。  自分はもっと理性的な人間であるつもりだった。相手が要求を飲まないからといって、暴力で言うことをきかせるなどやっていい筈がない。 「────誰かに、強要されてるんですか」  雨杜はこちらを見ないまま首を左右にふる。少し長めの髪が乱れた。  すがるような期待が霧散する。  正直なのは結構だが、こんな時は嘘をついてくれた方がかえって楽だ。我孫子にも、雨杜にも。 「カウンセリングに行く気がありますか」 「……どうして、」 「泣いてたので。画像全部」  我孫子は煙草に火を点けた。雨杜にライターを差し出したが、断られた。  どうするのが正解なのか、我孫子には分からなかった。自滅を待つだけの行為は止めさせたい。だが雨杜は止める気はない。平行線だ。  ひとつだけ、我孫子は交渉材料を持っている。  だが口に出すのは止めた。それこそ脅しになってしまう。 「そのつもりがあるなら、付き添いますよ」 「よくそこまで親身になれますね……、何度か会っただけなのに」  感情の乗らない声だった。  余計な真似をしている自覚はある。  同情や心配というものは、相手によっては不快にしかならないのを、我孫子は知っている。それが善意からくるものであってもだ。  溜息交じりに紫煙を吐き、灰皿を引き寄せた。 「誰にでも、……こんなふうに優しいんですか?」 「ええ、まあ」  あまりの白々しさに、我孫子は唇の片側を持ち上げた。  親身にしてやって心象を良くしよう、という打算はない。ないが、雨杜に好意を寄せているのも事実だ。どうしても言動の裏に後ろめたさが貼りついている。 「……これから、どうしたらいいと思いますか」  服の裾を掴まれて振り返ったら、迷子がこちらを見上げていた。そんな顔で雨杜が我孫子を見る。  頑なだった雨杜が揺らいでいる。  手を引いてやるべきかと一瞬迷ったが、思い直した。 「自分で決めて下さい。大人なんだから」  灰皿に喫い尽くした煙草を押し付ける。 「は、」  断片的な返事に違和感を覚え、我孫子は灰皿から雨杜に視線を移した。  彼は真っ直ぐにこちらを見ている。  新宿駅とは雰囲気が違った。最初、雨杜に抱いたイメージに近い、清涼な感じがした。 「……はい。決めました」
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