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2話 トゥルーエンドじゃなかった
「ここに我が許嫁、イザベルとの婚約を破棄させてもらう!」
「え!? アーサー!?」
冷たくそう言い放ったのはアーサーだ。
軽蔑するような瞳でわたしを見ている。
このゲーム内の世界に来て、そろそろ一年を迎えようとしていた。
今日はイザベルの誕生日。
その誕生日に合わせて、アーサーは舞踏会を開いて、わたしとの結婚を発表するはずだった。
でも、そうはならなかった。
わたしは真っ赤な絨毯の上にへたり込んだ。
会場にいる王侯貴族の歴々の冷た視線が、わたしの体中に突き刺さっている。
「な、何かの冗談ですわよね? アーサー……」
お腹の底から振り絞ってやっと出た言葉がそれだった。
胃液が逆流している。
今にも吐き出しそうなくらいだ。
「悪いが冗談じゃないんだ、イザベル」
憎しみと憐みが混ざったアーサーの表情。
アーサーだけじゃなかった。
すがる様に見るわたしを、四人の王子たちも軽蔑の眼差しを向けてくる。
わたしは思わず叫びそうになった。
だって昨日まであんなに仲が良かったはずなのに。
だった一夜で、こうまで態度が変わるものなの?
「アーサー……理由を教えてください。いったい私が何をしたと言うの?」
「何をしただと……? 本気で言っているのか、イザベルっ! 何やったのか、自分の胸に手を当てて考えてみるがいい!」
本気で怒ったアーサーの顔なんて初めてみる。
激怒するようなことを知らずにやって言うの?
でもわたしには心当たりが全くない。
「アーサー、お願いします……それほど貴方を怒らせるようなこととを教えてくださいっ!」
「貴様っ、まだそんな戯言を言うか!」
アーサーの怒りに満ちた声が、ホール内に響き渡った。
わたしの全身を貫くような会場の冷たい視線。
他の王子たちもお父様でさえ同じ目をして、わたしを見ている。
わたしには、ちょっと耐えらそうも無いよ、この雰囲気……
「アーサー、そんなに怒鳴ることは無いでしょ? 私なら大丈夫よ」
透き通るような声が会場内に聞こえてきた。
開かれた奥の扉から、純白のドレスを纏った一人の少女が立ってる。
一歩一歩と、彼女が絨毯を歩くたびに貴族達から、感嘆の声が漏れる。
絨毯の上を静かに歩いてくる少女にわたしは安堵した。
この世界に来ての親友の姿がそこにあったからだ。
でも、それは不安へと変わった。
「……サクラ。どうして、あなたがそのドレスを着ているです……?」
そのドレスはエンディングでわたしが着るはずだった衣装。
それを何食わぬ顔で着ている女の子こそは、この『ロイヤルプリンス』の正規ヒロインのサクラだ。
サクラはプレイヤーキャラで、日本から転移してきたって言う設定。
笑顔が可愛くて健気。か弱そうに見えて、実は芯がしっかりした子。
そんなヒロインに惹かれたアーサーとオルハンを除く三人は、あっという間にサクラの虜になってしまう。
気持ちは分からないでもない。
わたしが男だったとしても、確実に惹かれちゃう。
主人公補正がすごいことを、わたしは身を以て体感したよ。
プレイしてるときには分からなかったけれど、イザベルには随分と酷いことをしてたようね。
自分がイザベルになって、初めて分かったわ。
最終的にイザベルは全員から振られて、生涯孤独の身になってしまう。
イザベルは誰とも結婚することができないから、ウェルブ家は断絶って言うあり得ない結末が待っているのだ。
これはゲームを普通に進めた場合の話。
だからわたしはそれを回避することに徹底した。
最初にやったことは、プレイヤーキャラを虐めず友達になること。
プレイヤーキャラとは直ぐに気が合ったのか、割と簡単に友達になれた。
彼女と友情を育みつつ、次に推し一位アーサーと二位のオルハンに好かれるように上手く立ち回った。
プレイヤーキャラとのフラグを折って、バッドエンディングのフラグを潰すことに成功もした。
その成果がようやく実って、遂にアーサーの心を射止めることが出来たのだ。
そして……本来ならここでグッドエンディングを迎えるはずだった。
なのにわたしは今、悪い夢を見ているみたいな感覚。
「うふふ。イザベル……あなたは私に負けたのよ? ねえ、今どんな気持ち?」
サクラは表情は明らかに、わたしを見下している。
わたしはサクラに負けた?
悪いフラグは全て回避したはずなのに。
主人公補正には、どんなに逆立ちしたって無理だったってことなの?
「あはははは! そう、その顔。その絶望した顔が見たかったのよ、私は! あはははは!」
「……あなたは本当にサクラですの……?」
恍惚とした表情。
あの可愛かったサクラの顔が醜く歪んでる。
「あ〜あ……本っ当に最高に気持ちがいいわ。これって最高のエンディングだと思わない……ね、ユキ」
「……ユキって……どうしてわたしの名前を知っての? それに今、エンディングって言った?」
「あら、まだ気づかないの? うふふ……あなたって相変わらず鈍いのね」
本当の名前を言われただけでも意味が分からないのに。
ゲームキャラが決して言わない台詞……『エンディング』と言う言葉。
「あなたは誰? ゲームキャラじゃ無い……誰なの!」
「そんなに怖い顔して。綺麗な顔が台無しよ、イザベルゥ?」
「誤魔化さないで答えなさい! あなたは誰だって聞いてるのよ!」
「そうね……いいわ。教えてあげる前に、少し待ってて」
サクラは不適に微笑むと、アーサーの首に腕を回、アーサーの唇に自分の唇を重ねた。
わたしは全身から力が抜けていく感覚に襲われた。
愛した人と親友が、わたしの目に前でキスをしてる。
わたしの目から大きな涙の粒が溢れ出していた。
愛した人を奪われた喪失感、親友であるサクラに裏切られたことに対する涙。
舌を絡めあってるのが分かるくらい、二人は長いキスをしている。
それ以上見ることなんかできない……けど、目を逸らすなんてことはしない。
「いい加減にしてよね……アーサーから離れなさいよ、サクラ!」
「あはははは! やっとその気になってくれた? いいわよ、なんならここで今戦ってあげてもいいんだから……『日高流古武術』でね」
日高流古武術。
戦国時代に発祥して、現在に至るまで代々わたしの実家に伝わる武術だ。
こっちの世界には存在しない武術を、どうして彼女がそれを知ってる――
「……もしかして、あなたは野々宮サクラなの?」
「あら。や〜っと気づいたんだ。そうよ……私は野々宮サクラ。あなたの親友のね」
あり得ない。
元の世界にいた親友の野々宮サクラが、どうして同じゲームの中にいるの!?
それも正規ヒロインとして……こんなの絶対にあり得るわけない!
野々宮サクラは、小学校からの友達。
中学、高校まで一緒だった。
わたしの実家がやってる道場に通っていた時に知りあって、それ以来ずっと友達だった。
高校に入ってから同じ陸上部に入部したけど、わたしは実家の道場で本格的に古武術を習得するために陸上部を辞めることに。
でも彼女は逆に道場を辞め、一人陸上部に残ったんだ。
そのサクラがプレイヤーキャラとして、わたしの前にいる言う疑いのない事実。
しかも、アーサーをわたしから奪い取った。
「どうしたのよ、イザベル? 早くかかっていらっしゃいよ? それとも私が怖いのかしら? あはははは!」
「いいわよ……そこまで言われたら、わたしだって黙ってられないわ」
売られた喧嘩は買う主義じゃない。
でもね……ここまでコケにされたのなら、買ってやろうじゃないの、その喧嘩を!
わたしはゆっくりと立ち上がると、眼前のサクラを見据えた。
余裕があるのかは分からないけど、サクラは腕を組んだまま仁王立ちしてる。
構えさえとる気はないんだ。
どこまで人をコケにするつもりなのよ。
「覚悟はいい、サクラっ!」
「あはははは! その怒った顔もいいわね、イザベルっ!」
余裕ぶっこいてるのも今のうちだ。
その顔面に渾身の拳を一発ぶち込んでやるわよ!
「辞めろ、イザベル! サクラに手を出すと言うなら、我々も黙っていられないぞ……」
サクラを庇うように、五人の王子達が立ち塞がった。
武器を手にした五人は、敵意に満ちた表情をわたしに向けている。
「アーサーっ! みんなっ!? いったいどうしちゃったの!?」
なんなの……どうしてわたしに武器なんて向ける事ができるのよ……
わたしが何をしたって言うの……?
「うふふ。無駄よ、無〜駄。アーサー達は今、私の支配下にあるから、あなたの声なんて全く聞こえないんだから」
「……なに、それ……? 支配下……? サクラ……アーサー達がおかしくなったのって、あなたがやったの!?」
「そうよ。アーサー達だけじゃ無いわ。ここにいる人達……この国のすべての人間は私の支配下にあるのよ。だから、あなたの味方なんて誰一人としていないの。うふふ、理解したかしら?」
嘘だ……いくら何でも、そんな事ができるはずがない。
できるはずが無いんだから!
「ふふ。嘘だって顔してるわね。それができるのよ、今の私にはね」
「……みんなに何をしたの、サクラ」
「うふふ……そうね、教えてあげてもいいわよ。実はね、国中の人たちに暗示をかけたのよ。イザベルがアーサーを殺して、この国を乗っ取ろうとしてるってね。それを知った私まで殺そうとしたってね。うふふ……あははは!」
「な!? わたしがそんな真似する訳ないでしょ! いくら精神を支配できるからって、そんなのみんなが信じる訳……」
サクラの言葉が真実であるかのように、会場にいる人々の瞳はどこか虚で、焦点があっていない。
アーサー達の瞳も、他の人たちと同じ瞳をしていた。
「どう、納得したかしら?」
「……あなた……あなたは、本当にあのサクラなの? わたしが知ってるサクラは、こんなのできる――」
「力なんて無いって? あはははは……私はあんたが知ってるサクラじゃないのよ。私はね、この世界に来て変わったのよ!」
サクラから感じる得体の知れない何かに、わたしはゾッとした。
「さ、話は終わりよ。これ以上あなたには何も出来ないのは明らかなんだからね。どうしようかなぁ〜……この場で首を斬り落とすとか……う〜ん、火あぶりがいいかしらねぇ? ねえ、アーサー、どうしたい?」
「サクラがしたいようにすればいいさ。ボクはそれに従うだけだからね」
「優しいのね、アーサーは……じゃあ今ここで首を跳ねてやるのはどうかしら?」
わたしの首を跳ねる!?
王宮でそんなことをしようというの!?
あの大人しかったサクラがどうしてここまで変貌してしまったのかなんて、もう聞く機会なんて永遠にないんだ。
「それも名案だけれどね、サクラ。でもね、こんな女の血でここを汚したくは無いな……うん、ボクにいい考えがある。衛兵!」
アーサーの言葉に反応して、会場の外にいた数人の衛兵が会場になだれ込んできた。
そしてあっという間にわたしを取り囲んだ。
衛兵に取り囲ませて、アーサーはどうしようと言うんだろうか。
今のアーサーの考えは、わたしには分からない。
わたしは既に死を覚悟している。
愛した人に殺されるなら、それも案外いいのかもしれない。
「この女を『魔女の森』に連れて行け!」
「あ、それすっごくいいかも! うふふ……あはははは!」
わたしはあっという間に衛兵達に押さえ込まれ、身動きができない態勢にさせられた。
まるでサクラに屈服して跪いたようにだ。
それを見るサクラは恍惚の表情をしてる。
「あなたなんか、絶望したまま『魔女の森』で死になさいよ……うふふ」
「サクラっ! 覚えておきなさいよ……絶対にあなたの思い通りにはいかないんだから!」
――負け犬の遠吠えね
衛兵に連れ出されるわたしに、サクラはそう呟いた。
そして王都の外に連れ出されたわたしは、『魔女の森』で、解放されたのだ。
さっきまでは死を覚悟してたけれど、そんなのわたしらしくない。
石に齧り付いてでもわたしは生き残ってやるんだから!
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