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5話 サクラ撃破
わたしの攻撃は全て躱された。
連打も蹴りも、わたしが持てる技術の全てを出しても、サクラには擦りもしなかった。
「ねえ、もう終わりなの?」
「……そんなわけ無いでしょ」
まだ諦めたわけじゃないけど、正直勝てるイメージが湧かない。
喉元を狙った手刀のフェイントからの、膝頭を破壊するための蹴りも外された。
他の連携技も、サクラには難なく見切られた。
彼女の中にある『赤ちゃん』が気になって、どうしても攻撃範囲が頭か脚になってしまう。
だから攻撃が短調にならざるを得ないのだ。
ムカつくくらい、サクラは余裕の表情を見せてる。
「ふふ。まだ諦めたわけじゃないんでしょ?」
「当たり前でしょっ!」
大地を蹴りあげ、わたしは駆け出した。
半ば自棄の攻撃だった。
武術家として一番やってはダメな行動だと云うことは、自分でもわかってる。
それでも、理屈なんて関係ない。
サクラの顔面に一発ぶん殴ってやらないと、わたしの気が済まないのよ!
ブンと、わたしの右の拳が空を切った。
サクラは僅かに身体を逸らして、拳をやり過ごす。
外れるのは想定内。
もちろん攻撃の手を止めるつもりはない。
間髪入れずに、左拳でサクラのこめかみを狙う。
けど、サクラは身を屈めてその攻撃を躱した。
「まだまだ終わらせないわ!」
しゃがんだサクラの顔面に、強烈な膝蹴りを仕掛けた。
「あははは! いいわね、その躊躇いの無い蹴り! あははは! でも無駄」
わたしの膝蹴りがサクラに当たるよりも速く。
サクラはニイと笑みを浮かべると、数メートル離れた場所へと後ろ向きに跳躍してみせた。
一瞬で遠くまで飛べるはずがない。
人間としてあり得るわけがない、あんな身体能力なんて。
「これが今あなたと私との力の差。あなたがどんなに頑張っても、絶対に埋まらない差よ? もう理解してるわよね……あなたが絶対に私に勝てないってことを!」
「さあて、それはどうかしらね?」
って、虚勢を貼ってみたものの。
武術の世界じゃ実力の差が相手との力量に直結するのよね。
サクラ――あの人を褒めることがないお父さんが、唯一認めて、『天才』とまで言わしめた人間。
実の娘を前にして、嬉しそうに語っていたのが嫌だったのを覚えてる。
彼女が日高流から離れた空白は一年ある。
逆にわたしは一年間、必死ぬ鍛錬を積んだ。
だから、サクラと対峙したときは実力差はかなり埋まってると判断したんだけど……それは甘い考えだったようね。
参ったわね。
まさかこんなに差が開いてるとは。
練習試合でも一度も勝てなかった相手が、更に強くなってなんて。
「もう打つ手が無いって、その諦めた表情……私は好きよ? その顔を見るのも、これで終わりだなんて、寂しいわぁ……うふふ」
「終わり……? まだ諦めたつもりは無いんだけど? 勝手に終わりにしないでくれるかしら?」
「そう……相変わらず諦めが悪い女ね、それが気に入らない……ん?」
最初に異変に気がついたのはわたしだった。
サクラの鼻から、赤い血が流れ落ちているのが見えたのだ。
彼女もそれに気づいたらしく、それを指で拭った。
「……あんた……いったい何をしたの?」
サクラの声が震えてる。
「ふっ……教えてなんてあげないわよ。自分で考えてみたら、天才さん?」
とは言ったものの、わたしがそれを一番知りたい。
もしかしてサクラが離れる瞬間に、わたしの膝蹴りが掠ったってことなのかしら。
サクラは信じられないって表情で、血を拭った指を見ている。
彼女が血を流すのをわたしは初めて見た気がする。
もちろんわたしがサクラに一撃を加えたことも初めてのことだけれど。
今まで一回も勝ったことが無い相手のサクラに一矢報いたような気がした。
それはそれで喜びたいところなんだけど、そんな雰囲気じゃあないわ。
「この私にユキが……? あんな無能な女に私が一撃……? この私がっ!?」
あの子はプライドが異常に高いから、わたしに一撃をもらったことが許せないんだろう。
現に彼女は肩を震わせてる。
あれは怒りを抑えているのか、爆発寸前といったところか。
「このクソ女ぁっ! 許さない許さない! 今ここであなたを殺してやるわっ!」
「……やっと本性現したわね、サクラ」
さっきまでの余裕の表情から、顔を真っ赤にして激昂してる。
普段は口数も少なくてで大人しいくせに、武術をやるときだけは別人のように気性の荒い性格へと一変させる。
サクラが吠えた。
次の瞬間、わたしの視界からサクラの姿が消える。
彼女から視線は外していない。
瞬きすらしていないのに、彼女がいた場所にはその姿はない。
「あはははは! どこ見てるんだよ、ノロマ!」
「サクラっ!?」
消えたはずのサクラが、突然目の前に姿を見せた。
振り上げた拳が、わたしの顔面を狙っている。
その拳打を躱し、わたしはサクラの背後にまわり込んでいた。
サクラの攻撃を受ける前に、わたしの身体が自然と動いたのだ。
到底避けることができない攻撃を避けたわたしより、多分一番驚いているのはサクラだ。
振り向いた彼女の表情は、明らかに衝撃を受けているのが見てとれる。
でもね、それに気づいたってもう遅いのよ!
ガツンと、サクラの顎にわたしの掌底が突き上げた。
体勢を崩されて数歩後ろに下がったサクラに、追撃を加える。
こんな好機を見逃すわけにはいかない。
「いちっ!」
わたしの掌底げサクラの顎を撃ち上げる。
彼女の顎先が天を仰いだ。
サクラの喉元が無防備に晒されている。
「にぃっ!」
そこに間髪入れず掌底を叩き込む。
サクラはごふっ、と息を詰まらせてよろけた。
「さんっ!」
今度は両手でサクラの左右の肺に掌底を当てる。
「しいっ!!」
これが最後の一撃。
渾身の力を込めて、サクラの心臓に衝撃を与えた。
心臓に衝撃を与える。
これには理由があるのだ。
血液循環がうまくいかなくなり、心臓から送り出される血液量が減る。
脳への血液循環の流れを悪くすると目眩を引き起こす。
肺と喉を狙ったのも呼吸困難を引き起こすためだ。
常人なら立っていられなくなり倒れたり、嘔吐するはずなのだが。
でも彼女はまだ倒れる気配がない。
その胆力と気力には関心させられるわ。
流石、としか言いようがない。
「まだよ! まだ終わらせるわけにはいかないわよっ!」
「――!?」
わたしは身体全身を回転させる。
回転による遠心力を利用させた攻撃を放つためにだ。
もう一度、サクラの胸部に一撃を与えた。
さっき出した以上の力でだ。
あまりの勢いで、サクラの身体が『く』の字に折れ曲がる。
サクラは何度も地面に叩きつけられながら転がっていく。
さすがにあれだけの衝撃をくらえば、早々に立ち上がられるはずがない。
現にサクラは倒れたままだ。
この好機を逃すわけにはいかない。
わたしは助走をつけ、高く飛び上がった。
着地点はサクラが倒れた数メートル先。
全体重を乗せた拳を倒れたサクラの顔面に叩き込むために。
この攻撃でサクラに負けを認めさせて、王都に人たちにかけた支配下に置く魔法を解かせてやる。
「これであんたの負けよ!」
「……ふふ……そう……かしら……?」
サクラの声がはっきりと聞こえた。
その声が聞こえてきたのとほぼ同時だった。
わたしとサクラの間に割って入るように現れたのは黒いドラゴン!
さっきリョウマが吹き飛ばしたのと同じドラゴン!?
それとも別のドラゴンなの!?
いや今はどっちだろうと、それは大した問題じゃない。
問題は滞空してるわたしの前に現れたってことだ。
このままじゃドラゴンの攻撃をまともに受けてしまう可能性が大きい。
ドラゴンは周囲の空気を震わせるかのような雄叫びを上げる。
それはサクラを守るために、わたしに向かっての威嚇だと云うのが分かった。
でも、今攻撃を止めるわけにもいかない。
「あんた……邪魔ぁっ!」
サクラに振り下ろすはずだった拳。
仕方がないけど、この拳はあんたにくれてやるわよ!
ドン、と鈍い衝撃音と振動がドラゴンの頭部に走る。
まるで分厚くて巨大なゴムの塊にたたき込んだ手答えが、わたしの拳から伝わってきた。
ドラゴンに変化は見受けられない。
たかだか乙女の拳なんかじゃ、ドラゴンに何のダメージも与えられるわけがない……のか!?
ギロリとドラゴンの黄色い目がわたしを睨んだ、次の瞬間だった。
――ボンっ!
限界まで膨らませた風船が破裂するような音。
その音と共に、大きなドラゴンの頭部が周囲に肉片を撒き散らし消滅した。
頭部を無くしたドラゴンの巨体が、振動音を立てて地上に落ちる。
わたしも地上に着地して、動かなくなったドラゴンに目をやった。
乙女の拳がドラゴンに通じた。
サクラに攻撃をしたときに、人間一人を弾き飛ばすこともあり得ない。
何かがわたしの中で、変わってきてる……の?
それは後でもいいか。
今はサクラが優先だしね。
まだ起き上がれる状態じゃないし、また邪魔が入らないうちに今度こそケリをつけなきゃいけない。
わたしはサクラが倒れてる方へと視線を向けた。
――誰?
さっきまでは誰もいなかったはずなのに、サクラの横に立っている男の人。
ロングの白髪に、赤い瞳。
全身も白い服装に身を包んでいる。
肩に羽織ったマントも白。
目が覚めるような綺麗な男の人が、心配そうにしてサクラに手を当てている。
「……あなたは誰?」
「サクラ……可哀想に……」
「ちょっと、わたしは無視なわけ? あんたはサクラの何?」
状況から判断するに、この人はサクラの知り合いだと思うけど。
『ロイヤルプリンス』の登場人物……じゃないわよね。
と言うかわたしの問いかけに、少しは反応して欲しいんだけどね。
その人は優しくサクラを抱き抱えた。
慈愛が溢れるような瞳で、サクラの顔を見つめている。
そして彼は何事もなかったかのように、わたしの横を通り過ぎていった。
一切視線を合わせることもなくだ。
彼が通り過ぎるとき、わたしは動けなかった。
視線を合わせることすら出来なかったのだ。
サクラからもドラゴンからも感じた事がない、得体の知れない何か。
自分の全身から、じっとりとした汗を吹き出すくらい、こんなに恐怖を感じた事がない。
そいつは何も言わないまま、フッとその場から消え去った。
額から大量に滲み出ていたじっとりとした汗を、わたしは拭うと、全身の力が抜けたみたいにその場にへたり込んでしまった。
サクラを連れ去ったヤツは誰だったのかは、分からなかったけど……
あれはわたしやサクラよりもずっと強いと、直感で感じた。
もし戦ってたらわたしは無事じゃなかったもしれない。
正直、奴にはわざと見逃されたような気もしないでもないけどね。
はぁ……結局のところサクラと決着をつけられなかったな。
今すぐにサクラを追うって手もあるけど、わざわざ危険を犯してまで王都に戻るつもりもない。
これから自分がどうすればいいのか、今はまだ考えられない。
はぁ……これからどうすればいいんだろ、わたし。
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