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取材:小原 タツ(おばら たつ) 私邸の使用人
ぃよ大将。席はあるかな。三人なんだ。
いける? ああそう。じゃあちょいと邪魔するぜ。すまねえな、ちいとばかり席詰めてくんな。や、ありがとう、ありがとう。
ささ、お二人とも、こっち座ってくんねえ。
や、や。ありがとう。嬉しいじゃねえか。何がって、こっちが席に着くなり手ぬぐいが出る。ネ? これだけの繁盛をしたって、客をなおざりにしねえんだからさ。偉いよ、本当に。うん、また呼ぶからさ、ちいとひと心地つかせてくんねえかな。うん。手間ァかけるけどよ、頼むよ。
やあ、どうにも賑やかですなあ。あたしも独身もんでしたら、毎晩でも飲み歩くところなんですがなあ。うん、大変な騒ぎだ。
……そりゃそうだねェ。お国をあげて祝わなきゃあなりませんよ。
あなた方だって毎日海軍さんを褒め殺して、お足を稼いでいらっしゃるんでしょ?
うちの女房も毎朝熱心に読んでるんですよ、これが。あたしがおまんまの催促をしても、見向きもしないんだから。ほどほどにしてくだいよ、まったく。
いや、嫌味で言ってんじゃァねえんだ。成程なあ、やっぱり記者ってのは、真面目でなけりゃ務まらねえんだなぁ。まったく。あたしには生涯、縁がありませんよ。大したもんだ。
や、や、やあ。
ちょいとお兄さん。やだなァ、そんな真似されちゃあ。薄情じゃありませんか。ネ?
これからあたしはあなた方にご馳走になろうってんですよ。ネ? 店のもんを呼ぶとか酌をするとか、あたしの仕事なんだ。そこんとこあなた方にやらしちゃァ、きまりが悪くったってしょうがねえや。
ま、ま、任せてくんねえな。
おおい、姐さん、姐さん。こちらの御仁にね、二合徳利でな、酒をくんな。え? いちいちそんなことを聞くんじゃないよ。あたしにもだよ。うん。肴はちいとばかり遅くなっても構わねえからさ、香香だけは先に出してくんねえかな。この繁盛だもの、急かしたりしませんよ。うん。でもさ、酒の肴が無ぇってえと寂しくッていけねえからさ、香香だけは頼むよ。うん。ありがとう、ありがとう。悪ぃね、小言言っちまってさ。機嫌を直しておくれよ。
や、や。お待たせをしました。これで酒が出て参りますでな。整いましてございますよ。
は、は、は。
いやあ。それにしてもあなた方、見る目がある。ネ? そりゃァそうでしょう。うちの坊ちゃんの話を聞きてぇってんだからさ。世間は海軍さんの話で持ち切りだが、陸軍さんの話は滅多と出てこない。いけませんよ。ネ?
何を隠そう、あたしも陸軍さんには縁がありましてな。
うん。知ってる? へえ、驚いた。どうして知りなさいました。
は、は、はあ。人差し指がねえから?
まァ。さすが記者さまですな。いや、お見逸れを致しました。なるほどなあ。人差し指が無ぇと銃が打てねえ。いや学のある方には敵いませんな。ほんとですよ。
ここだけの話なんですが、手前ェで落としたんでさ。
や、姐さん、待ってましたよ。やあやあ。二合徳利に猪口に肴。卓が賑やかになってきましたよ。やあ、良い景色だ。姐さん、さっきは小言言ってすまなかったね。一杯おやりよ。いや、良いんだ。払いはこっちから出るからさ。ぐっとおやり。……よッ。いいねえ。良い女ってなぁ呑みっぷりも良いもんだ。もう一杯やるかい? え? 客が呼んでる? いよいよもって良いね、真面目にやらなきゃいけませんよ商売は。いいよ、いいよ。お行きよ。暇んなったらね、またこっちおいで。呑ませてやるからさ。うん。
ささ、どうぞどうぞ。うん。爺の酌ですまねえが、やっておくんなさい。
は、は、は。
そうだねえ、あたしの奢りじゃねえんだ。うん。大きい顔しちゃあいけないね。
おやご返杯? やあ、偉いね、あなたは。まだお若いってのに道理が分かってらっしゃる。おまけに偉ぶったところがないでしょ? 出世しますよ、本当ですよ。あたしもね、軍隊勤めが長くてね、いろぉんな人を見てきたんだ。ええ。面ァ見りゃ分かるんだから。ネ?
や、それじゃあ頂きますよ。
……はぁ。旨いねえ。うん。
いっときは酒を見るのも嫌でね、やらないでいたんだが、改めて呑むってえと結構なもんだ。え? いやあ、あたしが軍隊で世話になったのがさ、大変な大酒飲みでねえ。あっちが先任だから、勧められて「イエ、呑めません」じゃあ通らねえからさ。ネ? こっちだって殴られたくねえからイヤイヤ呑んだもんだ。
そこへいくってえと、今の坊ちゃんはご立派だよ。うん。やれウグイスをやれだのセミをやれだの、乱暴を言わねえからさ。そりゃカデだもんなァ。あたしらとは出来が違うんだね。品がある。ほんとだよ。
世間様はあたしンとこの坊ちゃんを悪く言うが、とんでもねえやな。いや。いやね、言いたいことは分かりますよ。ネ? たしかに坊ちゃんのご実家は成金かもしれねえけえどもさ。お足があって、そっぽが良くて、学があって、ネェ? これより要りますか? 有ったら恨んじまいますよ。
や、やあ──。
さっきも言いましたでしょ? ネ? あなたがたのお世話はみぃーんな、あたしがさせて頂くんですから、……エ? 差しつ差されつ? ……アァ、そう言われちゃあ返す言葉が無ぇってんだ。断ンのも粋じゃねえしな、……え、どうも。
……、ふゥ──。
……ああ、そうですな。鋭一坊ちゃんが帰還なすってからだなァ。
イヤ、奉公の話を持ってきたのはあたしの女房でね。あたしも女房も、てっきり坊ちゃんのお妾の世話をするもんと思ってたんだ。うん。貸家が、イヤ、どこたぁ言えねえけどさ、あるでしょ。花街からさ、こうこう、こう行って、こう行ったとこ! ネ? 椿の生垣のある小ぎれいな家でさ。女郎を囲うにはうってつけの場所なんだ。
や、や、頂きますよ。
えぇ。あたしは人の頼みを断ったことがねえのだけが取り柄なんだから。ウン。遠慮しませんよ、本当に。
……ン、ン、……ヤァ、良い酒だ。ハァ──っ。
エ? いや、急かさねえでくださいよ。あなた方が呑ませたんですから。
いやでもね、腹ン中にしまっとくのも勿体ねえからさ、言っちゃうんだけどさ。
坊ちゃんもお独り身でしょ、気心の知れた女の一人や二人を側に置いといておかしくねえやな。もしかするってぇと、西に征く前にさ、「俺が生きて還ったら、てめえを身受けしてやる」ってな話もあったかもしれねえじゃねえか。ネ?
だが違うんだねえ。ここが凡人じゃねえとこなんだ。
坊ちゃんはもっと立派な方でさ。
うん。もっと細かに聞かせとくれ? 良いね、立派だね、あなたは。出世しますよ。そっちのあなたももっと見習ってくださいよ。本当に。ねえ。
あたしが坊ちゃんの顔をちゃぁんと見たのは、ご挨拶させて頂いた時だけだねぇ。あんまり出っくわすってこた無いからさ。万が一鉢合わせても、こうですよ。こう、頭ァ下げてっから。うん。
これがえらく二枚目でしてな。役者じゃねぇのが不思議なくらい! 女房のやつもポーっとしちまってね。たいへんな騒ぎでしたよ。でもって、ナヨナヨナヨナヨしたところがないときた。イヤ、いるんだこれが。あなた方、軍隊にいたことがないからそう思うんですよ。いけませんよ、そんな了見じゃァ。ネ?
青白くって丸の眼鏡をかけててさ、勉強ばっかりしてたのがさ。可哀想だよ、当番兵がさァ。見ててこっちが気の毒になっちまう。
そういう、のちのち頭を下げなきゃいけねえのに限って、士官学校出の方だったりするからタチが悪ぃや。本当だぜ?
だからねェ、あたしも覚悟はしてたンだ。うん。
だがそうじゃないんだね。うちの坊ちゃんときたら、大したもんですよ。どっからどう見ても立派な将校さんなんだ。
こっちは親代々からの下郎だよ。天保銭が目に入るってぇと、自然と「ハハァー」ってな具合に平服しちまうんだから。ネ?
エ?
あたしがやけに坊ちゃんを持ち上げるのが気に入らねえ?
なんだい、悪口が聞きてぇってのかい? エ? ひどい目に合わせるよ?
じゃあ申し上げますがね、あたしだって元は歩兵だよ。どんな上官を持ち上
げたいかくらい、分かってらぁな。
あたしに言わせりゃ、あんた方の書き物はダメだね。てんで分かっちゃねえ。エ? そうでしょ? 堅牢なりし敵陣に御旗の翻るに感極まって涙するじゃねえってんだ。女子供を喜ばしときゃお足が稼げると思ってんだから。冗談じゃないよ。
そこへ行くってえと、波羅の会報は偉いもんだ。ネ? 真ッ当なのを前線に行かして書かせてるんだからさ。
──なんだい。あたしが将校倶楽部の会報読んでちゃいけねえってのかい? いいじゃねえか。……あれだい、ガキの時分に世話してやったのが偉くなりやがってさ、チラっと目に入っちゃったの!
もう。言いつけねえでくださいましよ。最近は九鬼なんて憲兵が幅ァきかせてんだからさ。
機嫌を直せったって、一杯こっきりで直るもんじゃありませんよ。
……あたしも悪かったけれどもさ。あなた方だって、あんまりそんな目で人を小ばかに見ちゃいけませんよ。ばかにもばかなりの矜持というものがあるんだから。
イヤ、だからさ、八月二十四日、黄瀬トの会戦だよ。
あれでうちの坊ちゃんが勝ってなきゃ、あなた方だって今だに旗口少将を死なせた陸軍はどじだ、間抜けだ、ってなこと書いてたわけでしょ? ネ?
あれで、坊ちゃんの偉いとこは、ただ形勢逆転を仕掛けたってだけじゃないんだね。上から追撃命じられてたにも関わらず、これをガーンと突っぱねたって話じゃねえか。うん。天気が荒れるのを読んでたんだね。あそこで深追いをしてたら、ことによるってぇと三割の消耗が出てた。ちゃあんと載ってたんだから間違いねえよ。
有難ェもんだよ。歩兵にとっちゃさ。ネ? 兵隊なんて大層な呼ばれ方ぁするけれどもよ、結局は肉の盾に過ぎねえのさ。
軍隊で上に盾突くなんて胆力のいることだ。
うん。だからさ、あたしは坊ちゃんが大好きなんだい。
や、ありがとう、ありがとう。頂きますよ。
なに? 女の話と繋がらねえ?
う、うーん。まあ、待ちなよ。
うーーーん。
おや。いつの間に注文通しといてくれたの?
有難いねえ、どうも。うん。
ここのはね、ちょいとしたもんだよ。
ああ、ああ、あなた。なんだって最初ッから混ぜくっちまうんだい。まずは山葵を乗せないでやるんだよ。ネ?
たかが奴(やっこ)に餡をかけたのだって作法があるんだから。餡が良いんだよ、ここのは。
……そう睨むんじゃないよ。
そっちの兄さんは適ってるじゃあねえか。なあ。それでなくッたって、あなた面が拙いんだから。
え、これから鮪が来ます? 弱ったねえどうも。これだけのもてなしをされちゃあ、あたしだってさァ……。
──これァ、脇行って話さねえで欲しいんだがね。
あたしとあたしの女房はね、お妾の世話をするって話で雇われたんだよ。でも違ったんだね。
居たのは男でさ、それも坊さんが囲うような、ショーネンての? そんじゃァなかった。げっそりやせ細っちゃっててさ、幽霊みてぇな形ィしてたが、えらく背が高ぇんだ。ウン。
女房は引き揚げじゃねえかって、言ってたなァ。俘虜だよ、俘虜。言わせるんじゃァないよ。あちらにもあたしにも気の毒なんだから。ネ?
あたしは坊ちゃんに雇われてからさ、庭の手入れをするとか、廊下を拭き上げるとか、風呂を沸かすとかさ。下男の真似事をしてたんだ。ンなこた軍隊で慣れてたから訳ねえやな。そんで殴られたり、どつかれたりがない。その上、お足まで頂けるンだから、こりゃあ良い商売はねェって励んでたんだね。
だがねえ、奥の間に入るのだけは許されてなかった。
分かりますよ。ネ? 主の居ぬ間にさ、お妾ンとこに下男が行っちゃ、要らぬ疑いがかかりますよ。そうでしょ?
だから、奥の間のことは、もっぱら女房に任せっきりだったんだね。ウン。
ある時ね、自分とこでゴロゴロしてたらさ、女房が青い顔して帰ってきたんだ。
あたしぁびっくりしちまってさ。あれこれ聞いたんだ。肝の据わった女だよ。よっぽどのことがあったに違ぇねえって思うじゃねえか。
でさ、女房の言うには、お妾に抱きつかれたって言うんだね。
あたしぁ莫迦だからネ? 大笑いしたんだよ。
てめえ、んなことで、ンな真っ青になるこたァねえだろうよ。お妾だって生まれた先から花街にいたわけじゃねェ。田舎のおっかさんが恋しくなるときだってあらぁな。
って、そう言ったんですよ。
でもさ、女房の言うにはね、あたしがお妾と思っていたのは、男で、世話してやってたのは、気狂いだって話じゃねえか。
……びっくりしちまってさ。
そうじゃねえか。あたしと女房が通うようになって半年といわないよ。
女房は坊ちゃんに義理立てて、あたしに愚痴のひとつも言わずお仕えしてたんだね。
気狂いの世話ァするなんて、あたしにゃ想像もつかねえ。
だからさ、あたしは余計に腹ァ立っちまってさ。気狂いだろうが何だろうが、自分とこの女房乱暴されて黙ってられるかッて、いきり立っちまってさ。
女房が「あんた、違うんだよ、聞いとくれよ」って縋りつくのを振りほどいてさ、椿の生垣乗り越えてった。
──怖かったねぇ。
襖をパァンてな具合に開くってぇとね。人が首括ってたんだ。
灯りひとつない奥の間でね。四隅の角ンとこ。白い寝間着だけがぼぉんやり浮かんでて。
首がガックリ落ちてるんだよ。
ぞっとしたね。
女房がね、あたしの腰ンとこに巻き付いて「あんた、あんた、」って呼んでやがんです。
どれだけ突っ立ってたんでしょうなあ。
夜のしじまがやけに耳に痛くてねえ。
あたし、陸軍にいましてね。人が死ぬのを山ほど見てきた。だからさ、慣れてると思ってたんだなあ。
でも違ったんだね。
ドカァンドカァンって、大砲やら三八やらで景気良く人が死んだり、死なれたりするのたぁわけが違う。
なんていうか、紛れることがねえんだ。
見ちゃいけねえもんが、誤魔化されねえのよ。
あたしの前で人が死んでんです。
あたしと死人の一体一なんです。勝てるわけがない。
ぞっとしたねぇ。
あたしは学がねえから、神様のこたぁ分からねえ。でもね、忌み事ってな、こういう時の為にあるもんなんだと、芯から思ったんですよ。
忌み事からは目ぇ逸らさなきゃ、魂取られっちまう──。
ぇえ?
生きてましたよ。
女房の話じゃぁ、いつもやるらしい。
なんのこっちゃねえや。気狂いが死んじまわないよう、見張っとくのが女房の仕事だったわけさ。
普段はさ、壁をボンヤリ見てるとか、押し入れの中で縮こまってるらしいんだが、たまに正気になるらしくってよ。こう、やっちまうんだ。
どんだけ酷い目に合わされてきたんだろうねえ、まったく。
女房に抱きついてきたときもね、「大丈夫だ、生きて内地に帰ろう」って繰り言をしたって話でさ。気狂いになってまでンなこと言えるなんざ、将校さんに違いないよ。可哀想な話だ。
さぞかし立派な方だったんだろうなあ。
あたしが坊ちゃんを好きなのも、そういうわけなんだよ。
他所へ話すんじゃねえぞ、あたしンとこ来な、ってな気風の良いことはさ、しょせん相手を選んで言うもんだ。気狂いの世話なんざ大抵の人間はできませんよ。
え、
え、どこへ行くんです?
よしてくださいな、なんなんです?
急に、え、痛いじゃありませんか。
小便? 嘘だぁ。そんなら一人で行きゃ、
よしてくださいよ、そんなあなた、ねえ?
姐さん、ちょいと、姐さん、大将、ねエ、
えぇ? 一体なんだってんだ、ちくしょうめ! あたしはあなた方が話聞きてぇっていうから、
…………エ。
……あ、あなた、あなた。
なんだってそんな目付きであたしを見るんです、
……ア、……ア、
は、は、は、、
…………そうか、ばかだねあたしは。うふふ。
や……、
や、やァ、
……あのね、
聞いて下さいましよ、ネ?
そう恐い顔しないで。
いやだなァ。
あたしみたいな酔っ払いの話を真に受けちゃァ、困りますよ。
新聞記事をやられるくらい、賢いんでしょ、あなた方。
言い間違いくらい、察して分かってくんなきゃさァ。
……ネ?
そうじゃねえか。
あなた方がさ、あんまり真面目な顔であたしの話を聞いて下さるからさ、あたしだって、ちィとは話を、ネ? 喜ばしてやんなきゃって思うじゃねえか。
だからサ、
将校って言ったかもしれないよ、あたしは。
言い間違いなんだ。うん。
立派な方だから、ことによるってえと将校になったかもしれねえな、とこう言いたかったんだよ。
あたしだって陸軍にいた身だ、将校さんが俘虜に甘んじるわけがねえってことくらい、分かってんだい。
あの旗口少将の部下だって、追い腹を切ったって話じゃあねえか。てめえらが記事で書いたんだ、知らねえとは言わせねえよ。
だからさ、
あれは、あの気狂いは、坊ちゃんの部下なんだ、そうに違ぇねえ、
どっかの田舎から出てきたのをさ、面倒見てやってるんだ、それでなんの咎があるってえんだ、
だから、
だから、
ああ、
あああ、
てめえら、あたしを騙してたんだな、坊ちゃんの何を探ってやがる、
坊ちゃんは、悪いこたあ、してねェ、
イツゑ、イツゑ、すまね、ぇ、──。
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